<33> 勢いで書いた手紙あるある
「なんでこんなもの書いちゃったかなぁ」
私の手には同一人物に宛てた手紙が三通あった。先日髪結い屋さんで助けてもらったお礼が一通。それから近況報告の手紙が二通。
素性がわかった以上もう軽々しく会えないんだろうとは思っていたが、二週間以上姿を現さないロディさん宛に深い意味などなく書いて、どうやって渡すか思案して結局出さずにこうして持っている。
ただの庶民の娘が侯爵家に手紙など出せるはずもないのに。
封筒と便箋は文具屋さんで買った三種類を使った。勢いで書いてすぐに封じたから、内容はあまり覚えてないや。
『夏が近くなり高く濃くなる空を見上げて貴方のことを想っています』
なんて書いてないよ。手が勝手に動きそうになったから創作メモの方に書いといた。
うん。捨てよう。
近況報告はすぐでないとイミないし、お礼も遅くなって手紙もアレだから今度会った時に丁寧に言うことにしよう。
「・・・今度なんてあるわけないのに、なんて滑稽なの」
馬鹿馬鹿しい。
モヤつきとイラだちをぶつけられた手紙は、封筒ごとびりびりに引き裂かれて丸められて屑入れに捨てられたとさ。
ぜんぶ捨ててしまえればいいのに。
それが三日前の話で、五日後にロディさんことジルベールの誘いで、さる貴族の夜会に行くことになりました。
え?展開がイミフ?同感、同感。
なにせ手紙と一緒にドレスや靴や装飾品まで贈られてきたのだ。深い青色のドレスと金の蝶がトップにあしらわれたペンダント。イヤリングも揃いで、こちらは羽を閉じた蝶のモチーフに魔導具としての付加がされてある。
髪結い屋さんで眼鏡を外したあと付けていたイヤーカフと同じく視力矯正の効果がある。前々から存在は知ってたんだけど、別に眼鏡でいいやと思ってたんだよね。でも使ってみたら便利便利。肩凝りもマシになったし、もう眼鏡に戻れないかも。
『素性を黙っていて申し訳なかった。以前ルリが会いたいと言っていた評論家が参加する夜会に招待されたから、ぜひ一緒に行って欲しい。
ロディことジルベール・アダン』
しっかりとアダン家の紋章で封蝋が施された手紙は要件のみの短いものだった。
文末のサインを指でなぞる。乾いたインクが付くはずもないのに何度もなぞって何度も指先を見る。
いつかもらった黒髪の貴公子の画を並べて、いつまでもそうしていた。
『誰か、気になる人っている?』
『気になる・・・あぁ、会えたらお礼をいいたい方がおりまして』
いつの会話かは忘れたけれど、ロディさんに聞かれたことがあった。
私は家を出て出版社で働き始めたけれど、自分の書いたものが売れるようになるなんて思ってなかった。子どもの頃から書きためていたお話は、誰かに読んでもらうには恥ずかしいし拙いし、出すつもりはなかった。
でも、五人ほどの作家の作品を載せる企画誌のページ数が足りなくて、社長に何か書いてと頼まれた時、あっさりとそのつもりは裏返った。
以前書いた掌編を引っ張り出して加筆した。夢中で書いて、社長は褒めてくれて。ほかに書いたもの見せて、と。
思わぬ長編に驚いていたがこれは売れると太鼓判を押してくれた。
そうして出版してもらった『エル・グランデ夫人の書簡』だが、ただの身内びいきだったのか最初は見向きもされなかった。
風向きが変わったのは、ある評論家が認めてくれてからだった。拙さも足りなさも指摘した上で、読むに値する作品だと評価してくれて。
的を射た指摘は続きを書くのに非常に参考になり、二作目、三作目はより良い作品になったと自負しているし、何より、多くの人の目に留まるキッカケを作ってくれた。
覆面作家である以上、作者としてお礼はいえないけれど、出版社員としてなら挨拶とお礼がいえるから、ぜひとも一度お目にかかりたかったのだ。
ドレスなんかは高級品で揃えられているし、準備は玄人はだしの社長がいる。
問題は、作法は習いはしたけれど社交界に一度も参加したことのない私自身で、あ、庶民だからそんなの当たり前なんだけどね。
迎えの馬車がカフェ・ガルボの前に到着した。カウンター席に軽くお尻を載せて待っていた私の視線の先で、扉が開く。
濃紺の燕尾服に身を包んだロディさんが入ってきて、白い右手を差し出す。
「やっぱり、俺の色がよく似合う。さぁ」
行くよ、俺のルリ。
笑みを含んだその低い声は、私の心臓が心待ちにしていたものだった。
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