<31> イメチェンなんて意外と簡単

「お待たせしました。眼鏡もキレイになりましたよ」

「あ、ありがとうございます」

 担当さんが戻ってきた。

 仕上げに取り掛かりますね、と鏡台に眼鏡ケースを置く。

 内側のボリュームを減らすともっと軽やかに動きますよ、と毛束を上げながら教えてくれた。まさか先ほどのペンペン草の形態模写を目撃したわけではあるまいな。命の保証は致しかねますよ?




「こんな感じでいかがでしょう?」

「ふぉおあおぉお」

 語彙力があの世に行った。

 お洒落カフェ店員さんお薦めの髪結い屋さんだけあって、素晴らしい出来だった。

 先端に向けて量を減らした髪は、肩で緩く内に巻く。サイドは前面に近くなるほど短くなり、額に斜めにかかる前髪とともに顔まわりを装飾している。

 髪型なんて変わっても印象が多少変わるだけで可愛くなるとか素敵になるとか気分だけの話、なぁんて言ったヤツ出てこい。それは私です。

 マジか。いや、マジだよ。これは、自分で唸るわ。ひゃっふぅ、見せたい見せたい今すぐ見せたい。


「ありがとうございました。想像以上に素敵で、自分じゃないみたい」

「気に入っていただけて光栄です。ぜひ次回もご利用くださいね」

 眼鏡を自分のケースに移して、荷物を持って立ち上がる。

「あれ?」

「どうかされましたか?」

「あのお客さんの眼鏡箱、間違ってますよ」

「え?」

「あちらの・・・」

 カッティングルームに入ってきた紫髪の髪結いさんを手で示す。

 マダムから何かを預かって箱に入れたそのイケメン髪結いは、箱を持って一度姿を消した。別の髪結いがお客さんの髪を整えてから離れ、入れ替わりに戻ってきたのだが、箱が変わっている。

 そそっかしいな、間違えてるじゃん。


 それほど大きな声を出したとは思わなかったけれど、他のお客さんも髪結いさんも注目して。

「いや、見間違いでしょう」

 やんわりと否定すると、マダムの方に歩み寄って、眼鏡箱を手渡した。

 あれ、そそっかしいのは私の方だったか。木彫りの花の輪郭と木目が微妙に変わってると思ったんだけど。

「すみませ・・・」

 ごっがたたん。

 謝って歩き出そうとした足は前に進まなかった。いや、担当さんの伸ばした右手に止められた。

 注目を浴びて緊張したのか、マダムは木箱を取り落とし、蓋と箱と敷布と中身がばらける。飛び出た中身は、眼鏡でも宝飾品でもない白い粉の入った薬包紙だった。


「ちぃ、余計なことをっ」

 反転するよりも窓を突き破った方が早いと判断したか、ただの八つ当たりだったか、紫髪の男はシザーバッグから取り出したハサミを手に、こちらに襲いかかってきた。

「お客さんっ」

「どけぇっ」

 私を庇おうとした担当さんが拳で殴り飛ばされ転がる。

「邪魔しやがって・・・始末してやるッ」

「や・・・」

 よく研いだ職業用のハサミはキッチリしっかり鋭利な武器で。

 剣のような長さがない分、肉薄して突き立てるだけで殺傷力は十分。

 その刃物の先から目が離せないままジリジリ下がる。

 腰が出窓の縁にくっついた。もう、逃げ場はない。


「お嬢ちゃん、勘の良さを恨むんだなァッ」

「あ・・・あ・・あぁっ」

 ハサミを振りかぶる男に悲鳴など出ない。ただ、できるだけ距離を取ろうと、しゃがみ込み、頭を抱える。

 目を、目ん玉が裏に飛び出てしまうくらいぎゅぅと閉じた瞬間。


 ばりぃいいいんっ。

 ひょぅおっどごぉおんん。

「がぁぁあっ」

 だたん。

 薄く目を開くと、待ち合いまで吹っ飛ばされて、紫の男が倒れていた。


「え?なに・・・」

「お客さん・・・大丈夫・・・あたたた・・・破片が・・・」

 担当さんがガラスの破片を払ってくれる。

 衿付きのシャツを着ていたおかげで、身体の中には入ってなさそうだ。ちくちくもしないし。

 お礼をいおうと顔を上げると、担当さんの口の端から血が出ている。

「血、髪結いさんこそっ、私のせいで」

 ぐいと拳で拭う。

「少し口の中を切っただけです。お客さんは、何も悪くないですよ」

「でも、余計なことを・・・」

「余計なことをしていたのは、風魔法で吹っ飛ばされたあの男ですからね。まぁ」

 内偵を潰されたんですけどね。

 こっそりと耳の横で、囁いた。

 その言葉に、私の心臓は脱力した。

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