<29> 口に入る寸前気付く危機
ここのところのあらすじ。
髪結い屋さんの予約の帰りにレヴィさんの勤めるお洒落カフェでリニューアルされたプリン通称リプリンを買って、徒歩でぶらぶら帰っている途中、騎士団が怪しいクスリ密売人を捕まえるところに出くわし、見物していたら背中を押されて危うく馬車に轢かれそうになった。
熊みたいに大柄の騎士さんに送ってもらって、家に着いたらロディさんがいた。
リプリンは陶器の容れ物(デポジット)に入っているから割れちゃったけど、一個は無事で、今から一緒に食べるところ。あーん、で。
つらつらとここまでの流れを思い出したけれど、これ今日一日というか半日ほどの出来事で、一日って何日も掛けて語られる、とっても長いこともあれば、一年二年でも一言で終わっちゃうこともあるから人生って不思議な物語だよねって右手の持たされたスプーンとリプリンとロディさんを三角食べならぬ三角見しながら考えてます。
「ちゃぁんと、さっき言ったことを考えて、やるんだよ?」
黙って、コクコク肯く。
あれ、でも恋人との甘いひとときを体験するためにやってるのに、想像したり考えたりは違う気がする。
考えるな、感じろ。って何のセリフだっけ。甘い、ひととき。
愛しい人との。
『今まで食べた中で一番美味しかった』
もう一度ロディさんを見て、それから左手にリプリンを持った。
ん?と不思議そうな顔になって、笑いたいのに泣きそうな、そんな表情に変わった。
焦がした砂糖の固まりは割れていて、スプーンはするりと容器の中に潜った。
液体でも固体でもない薄黄色の濃度と、それに纏わり付く焦げ茶のざらつきを掬う。
一緒くたに運ばれて、別々であったのを忘れて、やがて一つになる。
「口を開けて」
どんな風に口を開けて、どんな風に咀嚼して、どんな風に喉は動いて。
瞳の青色はどんな色に変わるだろうか。
割れた唇からどんな声音が出るだろうか。
ひとつたりとも見逃したくない。
微かな表情の明度も、吐息に混じる彩度も。
この地味な紺色はあなたの機微を写して、永遠に閉じ込める。
それらは先々も私を支えて、だからきっと、そのためにあなたはここにいる。
ごくり喉を鳴らしてから、怖ず怖ずと口を開いた。
喉仏の上下、観念したように閉じた瞳、開いた口の端で唾液が糸を引き、ぷつりと切れた。じぃっと静かにしていなさいと、畏まった席で注意される幼子の舌はもぞり落ち着かない。
慎重に運ぶ。
口の高さに上げた先端が薄暗い洞の中に入り、根元がカチンと下の歯に当たる。それを合図に唇は合わさり、そっと匙を引き抜く。
するん、と。
匙は戻り、喉仏はまた上下する。
咀嚼の間もなく、プリンは飲み込まれて。
閉じていた青い瞳は、ゆっくりと開いて大きく見開いた。
口はどう動くだろう。
唇に匙の丸みを感じながらじっと待つ。
つ、と。
身体全体を逸らして、ロディさんはお茶を飲んだ。口の中を雪ぎたかったのか、出掛けた言葉を雪ぎたかったのか。
「美味しかったよ」
笑って、そういった。
「やり直し」
私は即座に要求する。
「え?」
「愛しい恋人とひとつのモノを分け合う甘い時間を堪能する、言葉じゃナイ」
「え?」
「ハイ、口開けて」
先ほどとは異なる泣き笑いの顔をして、ロディさんは目を瞑った。
「あれ?あれ?」
カシュンカシュンと底を浚っても、スプーンは何も掬わなかった。リプリンの陶製容器を真横にして覗きこむ。傾けても雫すら垂れないくらいキッチリ綺麗な器。
洗っちゃったっけ、いや、スプーンひとつでこのスッカラピョン、きれい好きも行き過ぎてますなぁはっはっは、あはは。
「無くなっちゃいました」
「ハイ」
「ロディさん?」
「ハイ、は・・・あぁ、それは残念だ」
「あっ」
「ハイっ」
緊張を解いてあからさまにホッとしたロディさんが小さく跳ねた。
一回目に美味しいといったロディさんは、二回目は甘いといい、三回目はウンといい、四回目は無口になった。具体的な指示も出さずに、違うとだけ言い続けた私にも反省点はあるが、何故に悪化したのだろう。
そして先ほど、確かに残り少ないリプリンを、側部に付いた分まで丁寧に取って食べさせた。何もいわないどころか、顔を背けてしまった。甘いひとときはどうした?
「分け合う、んでしたね、コレ」
反応が気に入らなくて忘れていた。
あーん、は交互に行うんだった。
ロディさんは、私の手からそっとスプーンと器を取ってテーブルに置いた。
それから、ひしと抱き締めた。
「もう少し早く、思い出して欲しかった」
切実な声音にロディさんの心の内を垣間見て、私の心臓は家政婦になった。
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