<28> 鳴ってなかった始業ベル
「ガラさん、そこ閉めてくださいね」
「アナタ、本当にっ」
「せっかくのお茶が冷めますし。今からルリの、恋愛授業ですから」
険しいを通り越した鋭すぎる社長の視線を真っ正面から受け止めたロディさんは、持ち上げた私のお下げを振って退室を促した。用途がおかしい。
ついでに、建物の前に戻ってきてからの行動すべてが恋愛授業の外であったという発言は、非常に如何ともしがたい遺憾である。え?どゆこと?
部屋を出る社長の後ろ姿にもう一度お下げを振ってから、ロディさんは片足に乗せた膝に頬杖を突いた。傾いてぐいと下がった頭は私の首筋のすぐ後ろにあって、髪を縛っているせいで露わになっている頼りないその部位に、ふふんと機嫌の良い息が掛かる。
「・・・ルリはソファよりラグに直接座る方が好きなんだね」
肩越しにティーカップをとり、ずずっと啜る。
カップを戻した姿勢のままこちらを伺うから、またゼロ距離だ。しかもサングラスなし。破壊力のケタが違う。
ティーカップに手を伸ばした私の右手は震えて、持ち手を掴めずにかちゃかちゃと鳴らした。左手で手首を持って引き戻す。その左手も微かに震えた。
「作法として良くないのは分かってるんですけど。なんだか楽で」
「ま、庶民なら。いいよね?楽にすれば」
「そうです、そうです。作法から外れていたって、食器の音鳴らしちゃっても」
「なんなら、楽器みたいに叩いてもいいかも。ね、俺も」
くすっと小さく笑窪を作って、ロディさんもソファから降りた。いつものように肩を抱き寄せずに、そっと、私の右肩に自分の左肩をくっつけた。
そこから全身に熱が伝わっていく。日頃の書き物仕事のせいで凝ってる肩を解す効果があるに違いない。動悸も、きっと血行がよくなっているせいだと、私は俯いた。
「・・・この距離でいたい」
ぽそりと出た言葉に顔を上げると、視線を避けるようによそを向いた。壁にはカレンダーが掛かってあって、一枚めくれば私の誕生日の印がついてある。
「あ、」
誕生日だから祝ってくださいね、って?
誕生日だから一緒にいてほしい、って?
図々しい。
『私なんか足下にも及ばない素敵な人がいるんだろうし』
私の言葉が私の首を絞める。
「・・・イヤだな」
ぽそり、出た。
ロディさんはくっつけたのと同じくらいそっと離れた。
急に熱を奪われた右肩が寂しくなる。
「さて、今日の授業だよ、ルリ」
青い目が見下ろす。それだけで頭や身体のどこかは痺れ、反応は遅れる。
「え、あ、はい」
「ラブラブカップルといえば?」
「人目を憚らずにイチャイチャ、です」
「よくある二人の世界、例えばお洒落カフェで?」
はいどうぞ、と手の平で答えを促す。
倒れてお姫様抱っこ?と思って、そんなヤツいるかぁ、いたわ、ここに、て目の奥でぐるぐる考えたのを見透かされていないと信じたい。
「うーんと、うーんと、あっ分かりました、センセイ、ジュースにストロー二本刺すヤツっ」
「あぁその手もあったか。でも俺ホット派だから、ストロー刺せない。じゃなくて、モノがひとつだけというのは同じで」
ローテーブルに置かれたリプリンを指さす。
「まさか、あ〜ん?だって、この間・・・」
ニッコリ。
「だって、この間はルリ、そういうつもりでやってないだろ?」
「そういうつもり・・・?」
「愛しい恋人とひとつのモノを分け合う甘い時間を堪能する、つもり」
あの時は。
ケーキがとっても美味しくって、まだ置いてくれていたのが嬉しくって。
ロディさんにも味わって欲しくて。
出会ったばかりなのに、側にいるのが隣にいるのがとても馴染んでいて。
抱き締めたり、横抱きにしたり、肩を抱き寄せたり、初めてでとても焦ったけれど、どれもとても馴染んでいて。
だから、自然と、何も考えずに、ただのお返しで。
「そんなつもりは、なかった・・・ですね」
「そうだろう?」
私の返事が期待通りだったからだろうか。
ロディさんの笑顔は深くなり、柔らかな笑窪はできなかった。
スプーンを手渡したロディさんの目はどこか緊張していて、私の心臓を締め付けた。
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