<27> デポジット制は偉大

 ロディさんは私を横抱きに抱えたまま三階の自宅まで上がっていった。外階段をブーツが叩くゴツゴツに混じって紙袋がかしゃりかしゃり音を立てる。

 落ち着いてると思ったでしょ?

 だって都合三回横抱きにされてるワケで。


 いくらロディさんの腕の上にしっかり載せられたお尻が、女性一人程度荷物にもならないと揺るがない腕の、それでも力のこもった筋肉の強ばりを感じ取ってむずがゆくなっていたとしても、頭の中に鳩ぽっぽが三十羽くらいくるっくぅくるっぅくぅう鳴いてたり、いくらロディさんの手の平に包まれた膝裏よりちょい上のあたりが、ズボン越しとはいえしっかりと彼の熱を受け取り、局所的に温度計を振り切るくらいまで発熱していたとしても、鳩ぽっぽは五十羽に増えた上で一斉に飛び立ち、視界が真っ白になったりしないと否定できるようになりたい。

 ハイつまり真っ白だから静かなだけです。



「お邪魔します」

 玄関ドアは開いていて、社長が出てきた。

「コレ、割れてるみたいなんで」

 リプリンの紙袋を差し出すと、社長は黙って受け取り、すぐに引っ込んだ。

 ちょっと待ってね、と抱きかかえたまま器用に自分のブーツを脱いで、私の靴も脱がせてくれた。足には触れずに靴だけ脱がすのは、恥ずかしさが振り切ってしまって、慣れているのかなと、もやっとした。

 もう片手も空いたロディさんは、私を両手の横抱きにするり持ち替えた。


「もももう、歩、歩けますから」

「ダメだよ。まだ普通に喋れもしないだろう?顔も」

 熱があるみたいに、赤い。

 余計に赤くなることを目論んでか、耳に触れるほどの距離で囁いた。これ以上赤くなったらどうなるんだろう、やっぱり通り越して青くなるのかなと頭の隅で思いながらも、身体はまた軽い痺れを覚え、起こしかけた身を預けた。


「そうそう、大人しく。で、手を首に回してくれると安定するよ」

 え、と自分の手を探す。背中のシャツを握りしめてしわっしわにしている手を見つけてしまった。姿勢を変えたのに掴んだままだったから、シャツが上がって素肌が少し見えていた。慌てて首の方に回す。


「ルリは軽いからどんな抱き方しても平気なんだけどね。よっぽど暴れない限り落とすこともないけど」

「けど?」

 サングラスの中でゆるんゆるんになった目は、それ以上いわずに二度頷いた。



「突然来たのに片付いているなんて、ルリはきれい好きだ」

 自分ちのように部屋に入ったロディさんは、私を降ろしもせずにソファに座った。

 横抱きにされているからよほど顔を背けないと見えてしまうロディさんの顔は、とても整っていて肌もつるつるしてるのに顎の辺りに小さくそり残しのヒゲが見えて、確かに男の人で几帳面な方ではないのかも、と考えて。

 じっと見詰めてしまったことに気付いたロディさんが微笑みながら首を傾げて、あぁ笑窪だ、ついでにサングラスの中身も見たいなと思ったとき、また石けんの匂いが鼻腔をくすぐった。

 匂いは慣れてしまえば感じなくなるけど、ふとした瞬間にまた戻ってくる。きっとこの香りはずっと私の鼻先を漂っていて、喉の奥に胸の奥に吸い込まれていって、身体の隅々を巡ってまた外に出てくるという循環を繰り返してきたのだ。

 その想像は呼吸を困難にさせて、二度ほどぶんぶんと首を振ったとき、開いたままのドアから大きめのお盆を持った社長が入ってきた。


「アナタっさすがに」

 そうだそうだ、やり過ぎだ。この格好は力が抜けて抜けてそろそろ溶けてしまうから、社長ぉもっと言ってやってくださいっ。

「さすがに?」

 何か問題でも、とサングラスを外して深い笑みを浮かべたロディさんに、社長はあっさりと引き下がった。


「・・・お茶をお持ちしましたっ」

 口調とは逆の丁寧さでローテーブルに二人分の紅茶を置く。ストレートティの優しい香りが湯気に乗る。

 お茶を飲むにはこの姿勢では無理だ。するりと膝から降りて、ソファ前のラグにぺたり座った。

「社長のお茶、大好きっ」

 社長は続いて、リプリンをひとつだけ置いてくれる。

「他の三つは容器が割れてしまっていて。それだけ無事だったの」

「容器、やっぱり。うぅうぅ」

「楽しみにしていたのに、残念だったね・・・」

「いえ、これ、容器を戻すと返金されるんです」


 振り返って仰いだ視線の先、ロディさんはグラサンなしで太陽の方を見たときみたいに私を見詰め、ぽんと頭に手を置いた。

 そのまま黙って撫でる温もりに、私の心臓のひび割れは幾らか塗り固められた。

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