<26> 割れプリンに閉じ熊

 どんっ。

 歩道から馬車通りに向かって背中を押された。

 ちょうどいいタイミングでよそ見した馬車がやってくるのってこれはもう作為としか言い様がない、っていうか、作為でなく背中押さないわ。

 きゃっと声も出ずに転がり出て、馬に蹴られて走馬灯。あ、蹴られてからは見られないから蹴られる前に見ないとね、走馬灯。

 いやや、そんなん見たあるかぁ。


 べちんっがしゃんっ。ずるんずるん、ぱっからぱっから、ごろごろぱっから。


 壁があった。透明な魔法の壁。私はそれにぶつかって、通りに飛び出すのを免れた。

 もちろん、ぶつかって痛かったし、手に持ってた荷物、リプリンの入った袋は落としちゃったけれど、無事には代えられない。


「あいたたたっ」

「だ、大丈夫ですかっ」

 助け起こしてくれる人たちの優しさよ。


「うぁあっ」

 どすんっ。

 後方では、私を押した男が逃げようとして、少年に投げられていた。警吏が駆けつける。

「騎士団に直接渡すから、あんた達は要らない」

 目深に帽子を被った少年は強い口調でいうと、尻の下の男の腕を捩じり上げた。

「軽いからって跳ね飛ばそうとすんなよ、おっさん」

 誰かの声と似ている。こんな男の子の知り合いいたっけ。


 さすが騎士団は素早い反応で、馬車の通行を止めて、四人がこちらに渡ってきた。

「この方を馬車に轢かせようとした不届き者だ」

「・・・預かろう」

 半分は目配せで少年と会話した騎士は、こちらの男も引っ立てていく。


「お怪我はありませんか。家までお送りしましょう」

 騎士のひとりが私に声を掛けた。あ、はい、と応えてから、去っていく残りの騎士と少年に向かって声を張った。

「ありがとうございましたっ」

 少年は背を向けたまま片手をひらひら振った。




 熊みたいな騎士さんだ。

 エコー姐さんと貴公子の間くらいの背丈で、筋肉の付き具合もちょうど真ん中くらい。

 貴公子、別に小さくないからね。エコー姐さんが大き過ぎるだけだから。

 風魔法の壁にぶつかって座り込んだだけだから、怪我どころか特に痛いところもなかったのだけれど、気を遣った騎士さんはゆったり歩いて、先ほどの件と全然関係ない自分の娘さんのコトなんかを話してくれた。


 娘さん三歳で、目に入れても痛くないってこういう事なんだと、子どもが生まれる前は大袈裟だと思っていた上司や先輩たちの言葉を噛み締めているって。

 父親である自分に似た髪色と、妻の父つまり祖父の色を受け継いだ瞳を持つ宝物。

パパと結婚するって言ってたのに、若い部下を家に呼んだらソイツが気に入ってしまって、もうパパじゃなくてお兄さんがいいって。

 部下は訓練でみっちりしごいたとか。


「可愛くて可愛くて仕方ないんですね。素敵」

「たとえ」

 笑って見上げた私に、騎士さんは微笑んだまま真剣な目をした。

「例え、自分に似たところが無かったとしても、娘は何物にも換えられない大切な存在です」

 あの方にとっての貴女も。

 目だけでいう。


「当たり前です」

 そんなの百も二百も千も万も、承知ですよ。

 自嘲気味に笑った。

「街に出なければ、分かりませんでしたけど」

「そうですか。ではもうひとつだけ」

 もうカフェ・ガルボの前に到着していた。

 私の視線を受けた騎士さんが少し躊躇いがちに口を開こうとしたとき。

 チリンチリンと黒い影が飛び出した。


「ルリ、お帰りっ」

 影は後ろから覆い被さるように抱きしめて、それよりも耳朶を撫でる低音が心地良かった。いつもよりすべすべした手の平が頬を撫で、外だということも隣に騎士さんがいることも忘れて、眼を瞑り首を傾けて頭の重みを預けた。

 鼻がいつもと違う匂いを感じ取る。これは、なんだっけ。


 騎士さんが事務的な口調で、では失礼すると踵を返した。

「ありがとうございます」

 はっとして姿勢を戻し、背中にお礼を伝えた途端、足が震えだした。え、と口の形だけが驚き、鼓動までもが今更ながらに怯えて震える。

 かくんっ。

 膝も腰も腕も重力に負けて、リプリンの紙袋がカシャンと鳴った。

 また地面が近づく。

 しかし尻餅を付く前に、ふわりと何もかもが浮いた。

 片手で私を抱き上げて、片手で紙袋を持ったロディさんは、ふふふと笑った。


「ルリがいるだけで世界の色が変わるんだ」

 それから、外だというのに、私の首筋に顔をうんと近づけた。

 その動きにまた良い香りがして、それがシャワーを浴びた後の石鹸の匂いだと気付いて。

 私の心臓は泡を吹いた。

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