<23> 雨の日は少しセンシティブ

 雨だ。

 しっかりと油を馴染ませたブーツは石畳に跳ねた水滴を弾いて、まんまるな液体を進む先に蹴り飛ばす。

 傘をバタバタ鳴らすほどの水分を失った空が、干からびやしないかと時折斜め上に視線をやりながら本屋さんへ向かう。

 鉛色の空を部屋の中から眺めていたころ、心はいつもどんよりとした鉛色をしていたのだろう。色とりどりの傘が開く街の景色など想像も及ばずに。

 八歳で初めて街に出て、私の世界は徐々に色を取り戻した。

 街に出る度、通り過ぎる人びとの黄色い笑い声に、食堂から流れてくる肉料理の褐色の匂いに、街角で厳めしく立つ警吏の青白い眼光に、そして、天候や時間帯で色を変える街そのものに、新しい色彩を教えてもらった。

 あるはずの色を持たない私は間違えられたんだ。

 きっとよくある話、いつかなにかの物語で読んだ。

 だから、街こそが、私の居場所だと。




「アレ売れ行きいいよっ。もう少ししたら増刷かかるかも」

「本当ですか?嬉しいっ。作家さんたちにも伝えておきますね」

「それから、コレもう少なくて、うーん何冊入れてもらおうかな・・・」

 今日は本屋さんで当出版社刊行物の売れ行きと在庫の確認。

 本屋さんから注文を届けてくれることもあるけど、お客さんとのやりとりでこんな意見があったよとか、同じ本を何度か買いに来る熱心なファンの存在とか、これとこれが一緒に売れたよとかっていう生の感触を、本屋さん独特の匂いの中で聞けるから足を運ぶ。

 もちろん、座して待つだけは阿呆、売るなら打って出よ、というアグレッシヴな社訓を掲げる社長の方針でもある。

 ちょっと確認してくるね。と店員さんが裏に行ってしまったので、店内を物色しながら待つ。資料になりそうな本は経費で買えるって、それだけで作家って素晴らしい。


「・・・あ、ほら、ちょうどあんな色じゃない?」

 本の背表紙をつるつる眺めていて聞こえてきた声になんとなしに振り返れば、学園の制服を着た女の子に指さされている。目が合って、あ、と口を押さえたが、良いところのお嬢さんらしく、こちらに近づくときちんと謝った。


「大変失礼をいたしました。先日学園の歴史の授業で賢母について教わりまして、この子が、狐色と瑠璃紺がどんな色か分からない、というもので」

 一緒にいた女の子もぺこり頭を下げる。


 狐色かな、と自分のお下げを片方持ってパチパチ瞬いた私の顔を見ていた女子生徒は、

「あの重ね重ね失礼で申し訳ありませんが」

と、もう一人に向かう。


「この方の瞳の色、青みがあるでしょう?暗いところでは黒に見え、明るいところでは暗めの青。瑠璃紺の瞳はこういう色よ」

「え?じゃぁ、この方は賢母の資質ってこと?」

「馬鹿ねぇ。賢母ルーヴァンリー=ノアールは伯爵家の出。貴族だから珍しい色合いであって、庶民ならばゴマンといるんだから」

 呆れた子、と同行の女子生徒に肩を竦めて、再びこちらに向き直る。

「大変参考になりまして、ありがとうございました。では、失礼いたします」


 ええ、ごきげんよう。と、少しよそ行きの挨拶で見送った私はきちんと笑えていただろうか。

 そのままどれくらい同じ姿勢でいたのか。瞬き数回のことかそれとももう少し長かったか。

 探しに来た店員さんの足下が見えてやっと。

 意識を外に向けることができた。




 本屋さんからの注文分は、倉庫に在庫がありそうだから、お届けの日にちを打ち合わせ、自分とほかの作家さんの資料本を数冊注文して、外に出た。

 雨は止んでいて、鉛色が少し明るい。銀鼠とでもいうのか、色の名前は沢山あって、同じような色でも少しの違いで名前が違う。単純に薄いネズミ色といってもいいし、空は輝いているのだから青みがかった銀色ともいえる。

 私の髪色は明るい茶色で、瞳の色は紺色。それでいいじゃぁないか。

 でもそれではやっぱりよくなくて。雨が上がったというのに垂れる雫に揺すられて、天秤は平衡を崩す。


「ルリルーさんお久しぶりっ」

 本屋から出て空を見上げていた私に、明るい声が響いた。

 ニコニコと立つのはお洒落カフェの店員、レヴィさんだ。


「鳥型魔獣でも射落とせそうな視線で空を睨んでどうしたんです?」

「そんな険しい顔してました?」

「喧嘩でもしましたか、彼氏さんとっ」

 うふふっと肘で突っついてくるの、なんだか力が抜ける。


「雨だから、ですかね」

 雨の日は嫌いじゃないけれど、こんな日はあの真夏の濃い空色が無性に見たくなる。

 私の心臓が染まるとすればその色だろう。

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