<22> 恋愛遍歴なぞ犬に喰わしとけ

「そ・・・んな可愛い顔・・・なんて・・・、くそぉ、お、俺のルリをっっ」

 なぜか必死な顔をしたのが可愛くて、つい溢れた笑みに余計に衝撃を受けてか、黒髪の貴公子はより顔を歪ませた。ダンっとカウンターを叩く拳の力の入り具合は悲愴ですらある。

 てか、さらりと問題しかない発言してるよね。


「いやいやいやいやそんな大袈裟な話じゃありませんから」

 他人が顔を歪ませるのを見て、楽しいとか嬉しいとか喜悦を感じるようなとんでもない感性の持ち主ではないと思っていた自分自身が、はっきりとした形はないまでもどこかそういうポジティブな反応を内心に秘めるでなく多少なりとも表出してしまったことに驚いた。

 だからワンテンポもツーテンポも遅れて話し出した私に、二人の視線四つの目ん玉が集まったとき、疚しいことなど何もないのにドドドドどとまた心拍数が上がった。


「じゃぁどういう話か、きちんと聞かせてもらおうかっ」

「アンタほんとダメな子ね・・・でも興味あるわぁ。ルリルーちゃんっ」

 怒ったような拗ねたような物言いの恋愛講師と、コーヒーを淹れるゴツイ手を止めずに合いの手を入れるエコー姐さんに、なんでこんな話になったんだっけ、と思い返す間もなく、私は本当につまらない話をし始めた。



「いえね。ほら、十六の誕生日に実家を飛び出て、まぁ平たく言えば勘当されたワケなんですけど、社長の下に転がり込んだじゃないですか」

 社長は親切だし、優しいし、綺麗だし、素敵だけれど、やっぱり仕事だから厳しいところもあって、もちろん自分のミスは反省して覚える、それでも泣き言をいいたいときもある。

 カフェ・ガルボは今もだけど、特に最初の二三ヶ月は本当に心の支えといって良かった。


「甘えといえばそれまでなんですけれど。気分が落ち込んだ時に黙って話を聞いてくれて、ただ肯いてくれる、それがありがたくて。優しいなぁって」

 憧れるじゃないですか。

 最後は誰にともなく呟いた私の前に、コーヒーカップが現れた。この芳香にどれだけ助けられてきたか、知らず目が細まる。


「・・・俺、もうダメだ、田舎でベコ飼って暮らす・・・」

「落ち着きなさいな。でもそんな気配、毛ほどもないわよね?」

 エコー姐さんはロディさんにもコーヒーを出しながら宥めた。

 私はぽちょんぽちょんと角砂糖をふたつ、黒い液体を跳ねさせながら入れて、大きく円を描いてかき混ぜた。


「なんですかね。勝手にいいなぁ素敵だなぁ好きだなぁって憧れて、でもきっと私なんかじゃ見向きもしてもらえない、もっともっと。綺麗なのか才能があるのか思いやりがあるのか優しいのか、私なんか足下にも及ばない素敵な人が、この人たちにはいるんだろうし、入り込む余地なんてないんだろうな。って、勝手に諦めるんです」

 子どもの時からそうやって。

 庭師のジルバも料理人のアルルも乳兄弟のタルフも、八百屋のカイさんも雑貨屋のバールさんも橋梁工事のお兄さんも街角に立ってた警吏の人も。


「ちょっと・・・雑な上に多いわね?」

「なんなら、社長も好きで憧れですから入れときます?」

「そういう、淡い想いを膨らませて『エル夫人』は描かれたのね」

「子どものときに書き始めたものだから、読んだ本や、じ、知り合いの話を集めて混ぜて焼いて膨らませた、ってところですかね。私個人の気持ちはエッセンスとして入ってるかどうか、くらいだと」

「そうか。そういう、感じか。うん。やっぱり俺がいろいろと教える必要があるね」


 耳に蓋をする勢いでそっぽを向きながら、実はひとことも漏らさないとひくつかせた耳をこちらに寄せていたロディさんが復活を遂げた途端に肩を抱き寄せた。

 ブラックコーヒーの香りが鼻を掠めて、もう私のカップもロディさんのカップも空なのに、と、その正体に思い至って咄嗟に顔を背けた。


 イヤなんじゃなくて。

 イヤだと思わなかった自分に、戸惑った。

 そうか、今は。


「惚れっぽいのかもしれませんね」

 間違って何も入れずに飲んだ時のような苦い顔をしようとして失敗した苦笑いに、ふたりが顔を見合わせて。

 私の心臓は静かなときめきを覚えた。

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