<21> 筋肉は脂肪より重いんだって

「荷物なら届けてもらえばいいのにぃ」

 カフェ・ガルボの店内に入れば、エコー姐さんの話し方は元に戻った。まぁ、こっちが元かあっちが元か私は知らないんだけど。


 文具屋さんからの帰り道で声を掛けてくれたのはエコー姐さんだった。

 そういえば週に四五回も通っているというのに、カフェエプロン姿以外を見たことがなかった。カフェの食材は配達してもらっているみたいだし、出退勤の時間帯はズレているから、私服を見たことがなくても不思議ではない。

 それでも、ここ二年近く散々愚痴や相談に乗ってもらっているこの人物を何一つ、住んでいる場所はおろか、本当の名前すら知らないことに、飴玉を舐めずに飲み込んでしまったときのようなある種の焦燥を覚えた。

 しかし、飴玉はしばらくすれば胃の中で溶けてしまう。私の些細な違和感もすぐに別の興奮に取って代わられた。



「エコー姐さんの私服姿、初めて見ましたっなんていうか、格好良かったですっ」

 サイドにポケットの付いたブカいズボンの裾を革ブーツの中にしまい、上はシャツとジャンパーの一般的な格好だが、胸板の厚さや腕の太さがよく分かり、上背があるのも手伝って、喧嘩を売ってはいけない人の雰囲気がものすごく出てた。

 騎士か警吏、魔獣討伐のハンターみたいな、戦う人にしか見えない。

 明らかに、仕事間違ってますよね?


「ただの太っちょじゃ、あいたっ」

 面白くなさそうに呟いた、なぜかまたいるロディさんに、エコー姐さんの拳骨が飛んだ。

 エコー姐さんと一緒に出版社の一階まで戻ってきたら、カフェ・ガルボの壁にもたれたロディさんがいた。道行く人がちろちろ振り返っていたから遠目にもよく分かった。昨日は仕事帰りに寄ってくれて、今日はまだ午後も早い時間帯というのにこんなところで油売ってるって、どんなお仕事なんだろうか。

 ロディさんももう少し仕事選んだ方がいいと思う。


「アンタさぁ、なんでいるの?」

 うんうんと頷く私をじろりグラサンの中から見ると、やっぱり面白くなさそうにロディさんは声を落とした。

「ルリが・・・元気なさそう、かなって。俺が来てどうこうってワケじゃないんだけど」

 昨日疲れてたみたいだしさ。


「あ、ご心配かけまして。ご覧の通り、元気です。ねっエコー姐さん」

「そうそう。ルリルーちゃんはぜんっぜん問題ないわよぉ。むしろ問題はアンタ。いい加減クビになっておしまい」

「私もそれを狙ってるんですが、ね。まぁ、じゃぁ戻りますか」

「あ、昨日ありがとうございました。ロディさん、またっ」


 ニッコリ笑って手を振ってすぐに、コーヒーを淹れ始めたエコー姐さんの方を向く。今までそれほど気に留めていなかった、がっしりした腕がケトルを慎重に扱う様が、何だか今日はとても興味深く思えた。外で少しだけ普段と違う様子を見ただけで、見え方が変わるというコトが面白かった。

 古くて新しいコトを見つける時はきっとこんなで、わくわくするから昔を調べる学問は廃れない。考古学も古文学も、建築学も民俗学も古代魔法学だって。


 どかっと隣の席に重い音がした。

「やっぱり戻るのやーめた」

「アンタ・・・子どもなの?」

「ルリってさ。好きな人とか、いた?」

「へ?」


 突然どうした、ロディさん。

 カウンターに肘を付いて、昨日の夜と同じ角度で傾いたロディさんの目は、昨夜とは違いサングラスの中でぱっちりと開いていて、こちらを見詰めている。ほとんど睨んでいると形容して良いのではないかという凝視だ。

 その青い目に射すくめられて、平常心を保てると思ってか。

 昨日の、寝顔見られた事件は、もう三回目だから一緒じゃね、と一時は開き直ったものの当の本人を前にしてしまって、どんな寝顔をどんな顔で眺めていたんだろうって、ちらとでも思えば顔が青くなるか赤くなるか、はたまた混じって紫色になってもうそれ酸素不足でやべぇじゃんってなるに決まってるから考えないように見ないようにしていたのに。

 その上でこの謎の問いかけ。

 一際大きな鼓動とともに質問の意味も意図も脊髄で反射されてどこか遠くへ飛んで行った私としては、やはり同じ角度に首を傾けるほかなく、そうじゃないよなとは思いつつも彼の意図を問うてみた。


「じ、授業?」

「まぁ、そうだね。た・・・マスターとか、どうなの?」

「はぁ、まぁ、好き、でしたよ」

 恋愛授業ならば嘘を付いても仕方ないし、このメンツで格好付けるのも逆にダサい。

「何ぃった、たい、コラ、この野郎っっていってぇ」

 また拳骨が落ちた。ロディさんの頭固いから、エコー姐さんの拳が痛そうだ。

頭を押さえながらもめげない黒髪の男は噛み付くようにいう。


「まさか、フッたとかっ?!」

「ちょっとちょっとこぉんな素敵なルリルーちゃんに言い寄られたら・・・」

「いえいえ、そんな大袈裟なことになってませんから」


 ロディさんの慌てぶりに少し落ち着いた私の心臓は安らかな早鐘を打った。

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