<14> おうちデートの敷居は高い
「あいたっ」
出版社事務所の扉を開けたロディさんが呻いた。登録した者以外通られなくなる防犯用の魔導具にぶつかったのだろう。横を通って停止させる。
「あいたあいたっ」
再び呻き声。額を押さえたロディさんに、社長の方を振り返るとデコピンポーズの手。
空気の塊を飛ばす風魔法だ。初級の私には出来ないから、何でもないように見えて結構難しい魔法みたい。
「あら、不審者ではなかったのかしら。失礼」
「社長ぉ。冗談でも失礼ですよ。先日お話ししたロディさんカッコ仮名カッコ閉じです」
「ルリまでイジメる・・・」
「ルリ?」
じろりと音のしそうな目の動きで社長が睨む。偽名のルリを提案したのは社長じゃ・・・て、打合せなしにそう呼ばれたのを思い出した。
「えーっと、ルリルー、さん」
「そうね。きちんと礼節を守って、アナタの役目を自覚なさいね」
「なんと。俺は職務に忠実に生きている男ですよ。全幅の信頼を寄せていただきたい」
「ほほほほほ。先日の件、聞いてるのよ?」
「ふっふふふふふっ」
首を左右というかロディさんは背が高いから左と右上に往復させて二人のやりとりを眺める。何だろう。社長が少し楽しそうだ。ロディさんも苦手なフリをしつつも気が合うような。大人同士、だもんね。
「初対面じゃあ、なさそうですね?なーんだ、挨拶なしでも大丈夫だったんだ。では、ちょっと家に戻ってますね、二人で」
あれ、早口になってしまった。
ロディさんの口から、え?と漏れた。私は彼の袖を引っ張って反転させた。
「ちょっと待ちなさい。家って。二人きりで?婚姻前のお嬢さんが」
「私は庶民ですし、そもそも婚姻なんて関係ありません。まともにできるわけないんですから。それに、社長に言われる筋合いなんて、ないっ」
振り返らず捲し立てて、それからもう一度ロディさんの袖を引っ張った。
行きましょう。
小さく声を掛けても動かなくて、事務所を出てひとりで外階段を上った。
扉が歪んでる。取手が三本ある。どれが本物だろう。掴もうとして、ハズレた。
「何やってんだか」
勝手に出た独り言に少し落ち着いた。目を閉じて水分を戻す。こんなつまらない液体、誰にも見せないし、私自身が見たくない。
階段を上ってくる音が聞こえた。
タイムラグに苛つく私が気に食わない。
「何やってんだか!」
もう一度、今度は大きな声でいう。
イライラは収まらず、だけど同時に笑えてきた。
あははは。
乾いた笑いに、ロディさんは後ろで立ち止まった。
「開けて、玄関」
哀しそうな声に聞こえたのは単なる自己憐憫だったろう。何をも知り得ないただの仕事の付き合いの男に私の孤独が解るものか。
誰も彼も。社長もエコー姐さんも、この男も。気に食わない。最も気に食わないのは甘えた私自身。
こんなゴッコ遊びをいつまでも続けられると思っているの?
「開けて」
聞こえなかったと思ったのか。私は扉を開けた。男は私を軽く押して中に入らせると後ろ手に閉めた。そして背後から抱き竦める。
何も言わない。
何も言えない。
逃れようとも、身じろぎさえ、しない。
ただ、あの青い目は今、どんな色をして私を見ているのか、それとも閉ざしてまったく別の誰かのことを考えているのか。
そんな途方もなく仕様もなく詮ない事を、ちらり思って謎のスイッチが切れた。
「私、何で。頭に血のぼっ・・たんですかね。社長に。ごめ・・・社長ぉおお」
「大丈夫、あとで謝れば」
急に騒ぎ出した私に少しも慌てやしない。
「あ、あの、もう大丈夫なんで、その」
「これ以上中には入らないから。でも外だと誰かに見られるのも厄介だ。ね?もう少しこのまま。今日の授業、だから」
そう授業。ロディさんはただの講師なんだから、なんであんなおかしな感覚。恥ずかしい恥ずかしい、抱きしめられてるよりも自分の行動が恥ずかしい。
逃げ出したくて、でも振りほどけもしない。だって背中が温かいし、ぎゅうぎゅう締める腕が私の両腕の動きを封じてるし。お腹に当たる左手も、胸元から左腕に回った右手・・・
右腕が。
・・・・。
当たってる、かな。いや、あた、当たってるんだけど。私の方では、そういう感覚が多少、いや完全に、押さえつけられているというくらいの感覚がありまして、だからといってロディさんの方も同じく分かるかというとこれはもう分かる分からないという感受性の問題というか感応性の問題というか、腕に触点、圧点という感覚点がどの程度あるかという人体の問題になってしまいあばばばば。
どどどどどどどどっどばんっっずどばっどこんっ。
私の心臓に星が瞬いた。
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