<12> 帰ってきたウルトラマリン

「会いたかった。ルリルーさん」

 声が。

 肌が粟立つ。指先が痺れる。心ここにあらずの、天にも昇る心地になって。

 いや、陳腐で詰まらない。

 青い宝石と書いてサファイアの瞳を見止めて震える。

 臭いな。古くさいな。

 じゃぁこれは。

 視線と声に射られた私自身は粉々になってもう、もう。何だろう。牛かな。働かない脳味噌をかき混ぜたい。空気を含ませて発酵させてやればもう少し美味しくなるかもしれない。


「ダメだぁあ」

 大きくため息を付いてカウンターに近づく。

 ロディさんは当然のように腕を開いて招く。

 抱擁は挨拶。

 平和な御世とはいえ、街道沿いにも魔獣や野盗が出没するし、流行り病や事故で突然亡くなる事もありふれている。

 男女間でも互いの再会を、無事を祝福する儀式ともいえるそれに他の意味合いなどあろうはずがない。

 だから、私がおずおずとしながらも同じく両手を開いて誘い込まれていったとして、後ろ指を差されるもしくは後ろから刺されるような類の事柄ではない。

 そう、今までそんな挨拶を交わした事がないとしても。


 しかし私のある種の葛藤をまったく解することのない目の前の男、学園のご令嬢たちが目の色を変えて探す青い目の男前は、ぎゅうと抱きしめたかと思うとこの世の何よりも恐ろしい吐息を漏らした。


「会いたくて、会いたくて、狂いそうだった。任務なんてほっぽって、ここに来たかったっ」

 頭の上で呟かれた必死さの混じる色は、ただそれだけというのに、何故身体から力が抜けたんだろう。

 きっと魔力が強いんだな。私は初級魔法しか使えないから、魔力負けというやつか。

 縋るように背中のシャツを掴んだ私に、ロディさんは気を良くしたのか、一層強く抱き締めて。

「いたたたたたあだっ。ギブ、ギブアップ」

 背中を二度タップ。降参の合図だよ。

 なんでベアハッグになった?やる気か?!逃げても追いつかれるわ。勝ち目なし。

「あぁゴメン。愛が強すぎたんだね」

「短かった私の人生。お父様、お母様、お兄様、お姉様、ありがとうサヨウナラ」

「・・・コーヒー入ったわよ」

 エコー姐さんがいなければ、収拾がつかないところだった。アブナイアブナイ。



 カウンターに並んでコーヒーを飲む。

 カフェ・ガルボのカウンター椅子は固定されているからおかしな距離感になることもない。安心してコーヒーが飲める。

 お砂糖は二つ。ミルクはたっぷり。お子様なんて言わせません。自分が美味しいと思う飲み方で飲む、それが作法というもの。

 カップを持ってふぅと吹くと、湯気が上がって眼鏡が曇る。曇った眼鏡越しに見る黒い液体は星灯りのない夜よりもまだ黒い独特の濃度を持つ。喉を通れば熱の他に支える事はなくとも、カップに入っているうちはどろどろと人の内側、精神的なものかあるいは全身を隈なく巡る血液のような濃度を思わせる深さをゆらゆら漂う香気の奥に隠している。


「だからコーヒーが好きなんだ」

 脈絡なくロディさんがいった。

 彼の黒髪はコーヒーよりも黒いだろうか。その内面は?

 私も脈絡なく頭を振り、ロディさんは重く垂れたおさげを一本手の平に載せた。

「例えば、ルリ、ルリルーさんの髪の色ならば、もっと美味しいだろうかと考える」

「私の髪色なら紅茶ですね」

「そう。だけど明るい茶色のコーヒーがあってもいい。黄色くたって、朱色でも、いっそ透明でも構わない。飲み干してしまえば俺の中でその色に変わる」

 だからコーヒーは好きなんだ。

 緩んだ頬には窪みができた。



「ところで、進んでる?仕事」

 コーヒーの意味を二人して考えていたからだろうか。時折こくりと喉の動く音のほかは静かな時間が過ぎた。最後の一口を飲み干して、ロディさんが口を開いた。

 申し訳なさが立って、ゆっくりと首を振った。

「せっかくお手伝いしていただいたのに、言葉がうまく繋がらないんです。ここまで分からないこと、なかったんですよ。色恋に不慣れなせいかもしれませんが」

「じゃあさ、続けてみようか?講師」

「え?」

「恋人同士の甘い体験、の講師役として招かれましたロディと申します。ルリルーさん?」

 おかしな人だ。さっきから続きのお芝居をやってるのに、もっと芝居掛かった口調で。

 ならば応えるのが礼儀というもの。


「では、イチャイチャラブラブ、略してイチャラブのご教授、ぜひお願いします」

 その時の私の心臓にはコーヒーが流れていた。

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