料理ができない
「実はね、お姉ちゃん……玲くんに大事なことを伝え忘れていたの……」
真剣な眼差しで、ミラねぇが僕の瞳を見据える。
ミラねぇの瞳には嘘や冗談といった色は窺えず、朱色の口元や綺麗に整った睫毛が眼前に迫っているにもかかわらず……どうしてか、ブラウン色の双眸から目が離せない。
「ドイツではね……Lass uns einander essen って言葉があるんだ」
「……そう、なんだ」
何一つ、その言葉に対して理解が及ばなかったけど……ミラねぇの今の声を聞いていると、どうにも聞き返せなかった。
「お姉ちゃんね……その言葉が忘れられなくて、ずっと我慢してきたんだ。私、よくお母さんと一緒にしてきたから……」
我慢してほしくない。そう、ミラねぇに言ってあげたかった。
その瞳は真剣な眼差しから徐々に寂しさを孕んできて、家族としてその寂しさを取り払ってあげたいな、って自然とそう思ってしまう。
「だから、ね……もし、玲くんさへよかったら――――お姉ちゃんと一緒に、してくれない? 一緒に、Lass uns einander essenしよ……?」
だけど—―――
「ドイツ語では『食べさせあいっこ』って言うらしいぞ」
「公衆の面前でその行為には激しい抵抗があるっ!!!」
僕は、頷くことができなかった。
「え~! どうしてしてくれないの!?」
頬を膨らまし、僕お手製の卵焼きを僕に向けながら、ミラねぇは不服そうな顔をする。
どうして不服なのか? 僕には理解できなかった。
「いやいや、教室のど真ん中。周囲にクラスメイト————この状況でそういう行為をしようという発想が僕には理解できないんだ」
現在、お昼休憩。
弁当と机を合わせ、僕達は顔を合わせて一緒に食事をとっている。
右隣にはまるで『不動の定位置』とでも言わんばかりの素早さでポジション取りをしたミラねぇ。
対面にはブサイク。そして斜め前には—―――
「あら? 九条さんも手作りなんですか?」
「まぁな。俺の家は両親が早く家を出るし、食費も浮くし自炊している」
……神楽坂さんがいるんだ。
そんな状況でミラねぇと食べさせあいっこをするわけにいかない! また変な風に誤解されてしまう!
にしても悠め……神楽坂さんと親しげに話しやがって。いつの間に仲良くなったのか? 万死に値する。
「じゃあ……口移しの方がよかったかな?」
「じゃあ、という日本語の使い方が間違っているよミラねぇ。今から日本語の勉強をしよう」
それか倫理観という道徳のお勉強を。
「確か、御坂さんも手作りでしたよね?」
いつの間にか僕との物理的距離がゼロになってしまったミラねぇを引き剥がそうとしていると、神楽坂さんが話を向けてきた。
「う、うん……一応僕がちゅくっているよ」
「ちゅく?」
「作っているよ!!!」
しまった、無意識下の緊張が呂律に影響を……!
見るな、悠。そしてそのにやけ面をやめるんだ!
ミラねぇ……「頑張ったね、偉いね」って顔で頭を撫でないで! 普通に恥ずかしい!
「お二人共凄いですね……男の人ってどうにも料理ができるイメージがなかったものですから、尊敬してしまいます」
「俺達の場合はそうせざる得ない環境だったからな。多分、誰かが作ってくれるんだったら今頃料理なんて覚えてないさ」
僕も、一人暮らしじゃなかったら料理なんてしてないだろうなぁ。
めんどくさいって感じで終わりそう。
「そうですか……そういうものなんですか?」
「ちなみに、神楽坂さんは料理ってするの?」
「生憎と……私は料理が苦手でして」
いけない、不快にさせてしまった!
ここはなんとかしてフォローを!
「ミラシスさんはお料理はされるのですか?」
「あっ!」
神楽坂さんがミラねぇに質問する。
その瞳と元気のなくなった声は、仲間を探したいという精神的安寧を願う少女のようだった。
でも、多分その質問は—―――
「うんっ! お姉ちゃんは人並み以上にはできるよ~!」
「うぅ……」
……己を傷つけることになるだろう。
フォローする前に自ら沈みに行ってしまった。僕は一体どうすれば正解だったのか?
し、しかし! このままではいけない!
神楽坂さんの好感度を稼ぐ前に、神楽坂さんの笑顔を取り戻さなくては……!
「大丈夫だよ神楽坂さん! 人は一つ二つぐらい苦手なことだってあるんだから! それが女の子のイメージ的に致命だったとしても!」
「……ぐすん」
「追い打ちだぞ、玲」
僕はなんて愚か者なんだろうか?
ただ、元気になってほしかっただけなのに……ぐすん。
「おい、神楽坂。せっかくの機会だし、ここはミラシスさんに料理を教わってみるのはどうだ?」
僕の尻拭いのためか、悠が神楽坂さんに提案する。
「俺や玲が教えるのもいいが、ここは同じ同性に教えてもらった方が気兼ねないだろ? せっかく話題が上がったんだ、苦手を克服するチャンスじゃないか?」
「そう、ですね……いつまでも苦手にしていたくはありませんし、できることなら直したいです。も、もちろん……ミラシスさんさえよければ、の話ですが」
「私はもちろんおっけーだよ~!」
僕が落ち込んでいる間に着々と話が進んでいく。
「じゃあ、今日早速教えてあげよっか~?」
「で、ではよろしくお願いしますっ!」
「俺も行ってもいいっすか、ミラシスさん? 料理教えるんだったらそれなりに作ると思うんで、処理班が必要だと思うんです。ついでに、飯食べさせてください」
「おっけ~! じゃあ今日の放課後、お姉ちゃんのお家に集合だぁ~!」
というわけで、家主の許可もなく勝手にお料理教室をすることになった。
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