ガチャ破産に対抗して心を捨てた

ガチャと呼ばれる凄まじい集金システムを知らない方はいないだろう。

簡単に言えば、

キャラとか装備品が数千円払ってランダムに入手できるシステムである。

数千円払った上に、ランダム入手であるので、

欲しいキャラやら装備品がある人は地獄を見ることになる。

こういうガチャにおける最高ランクの入手確率は1桁%、

そこから更に同ランクのキャラや装備が多々あるので、

実際の入手確率は小数点以下の成功確率である。


リアルのガチャであれば、回すごとに景品は減っていくので、

景品が残ってさえいれば、いつかは入手することが出来るが、

電子ガチャに品切れはない。

その上、時間経過で同レアのブツが増えていくので、

新キャラが登場したばかりのタイミングを逃すと、

ランダムでの当選確率は減り続けていくのである。


最早、奇跡という言葉の意味を知りたければ、辞書を引くよりも、

目当てのブツが出るまでガチャを回したほうが良いという状況である。


何故、人はガチャを回すのか。

その理由は大体3つである。

すなわち、性能が良いか、キャラの魅力、あるいはその両方だ。


性能の良さ――これはソシャゲプレイヤーに永遠に付き纏う問題である。

最強のキャラクターを手に入れたとしても、

そのキャラクターはいつまでも最強ではいられないからである。


ゲームが続く限り、常に新しい敵が生み出される。

環境は変わり、新しい敵に対抗するためのより強いキャラが生まれる。

そうやって、ゲームはインフレを続ける。

プレイヤーの射幸心を煽り続けなければ、ガチャは回されず、

ソシャゲの運営には金が入らないのだから。


そしてキャラの魅力――これも厄介である。

シナリオで大活躍したキャラクター、

あの格好いいキャラが、可愛いキャラが、

プレイアブルとして自分で使うことが出来る。


人類はどれほどの愛の歌を生んできたことだろうか、

どれほど愛する人と歩む喜びを謳ってきたことだろうか、

自分の好きなキャラクターと歩むことが出来る――人類の根源的な喜びである。


それも、生身の人間とは違って、その思いはいつか絶対に届くのだ。

金を積み続けさえすれば。遅い、早いの違いはあれども。


キャラ愛、なんたる厄介な感情なことだろう。

そのために、どれほど人間が預金通帳の残高を溶かし、

悍ましき金融兵器であるリボルビング払いに手を出したことだろう。


対抗する手段はただ一つである。

私はソシャゲのシナリオを全てスキップし、

集中しないように、常に別の物事を行いながら、ソシャゲをするようになった。


キャラに対する熱が無いので、

ガチャも最高レアや入手キャラが確定のものをたまに回すぐらいである。

どうしても欲しい、が無いので、結果をフラットに受け止められている。


そうだ、愛を捨てるのだ。

人は愛を捨てることによってのみ救われるのだ。


冷静に考えると何かが間違っている気がする。

ここまでして続けるぐらいならば、どう考えても辞めたほうがいい気がする。

それでも私はシナリオを飛ばしながら今もソシャゲを続けている。


まぁ、なんやかんやでガチャと上手に付き合えているので、

私はガチャ破産からはるか遠い場所に逃れることが出来ている。

そうだ。間違っているかもしれないけれど、

そうでもしないと、心の弱い私はそうでもしないと自分を守れないのだ。


破滅の危機を逃れたので、

絵師にイラストを依頼出来るという素晴らしい機能を使っている。

ガチャの魔の手から逃れ、今月も数万使った。


冷静に考えると、やはり何かが間違っている気がする。

しかし、間違えるぐらいで幸福になれるなら安いものである。

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