第32話 決意

 その晩の自宅の応接間。


 沙夜が玄米茶を給仕してくれた。俺の前と自分の席に湯飲みを置き、急須でそれらを満たしてから自分の席に座る。


 全部は話さなかった。沙夜の事は心底信用しているのだが、瑠璃が自分に示してくれた信頼を全て吐露するのは気が引ける思いがあった。


だが沙夜にも関わることでもある。俺は沙夜にそれとなくアドバイスを求めたのだ。


「チャンスだよ!」


 テーブル上に居座るクロぼうが俺の気持ちを推し量らずに、あるいはわかってか、言葉にしてきた。


「チャンスだよ! 魔法少女を一人葬り去れるんだ。なんならその弱ってる魔法少女に付け込んで仲間になるからとウソを言って、調教して使い魔にして悪の組織の情報を吸い取るのがベスト! ボーナスでるよ!」


 まん丸目玉に、猫の口。ひょうひょうとして掴みどころのないアルカイックなスマイルを浮かべている。


 俺はクロぼうを無視して、向かいの沙夜を見た。

 沙夜は少しだけ思惑する表情を見せたのち、はっきりとした言葉を紡ぎ出してきた。


「お兄ちゃん。今まで正義の変身ヒーローとして、部活動の後輩として瑠璃さんに関わってきてどう感じましたか。どう思いましたか? 瑠璃さん、そんなに悪い人でしょうか?」


 俺は押し黙った。沙夜の言っていることは一々もっともなことだ。俺自身感じている事でもある。だが、瑠璃の抱えた問題は、俺の一存で片付けるには大きすぎる。


「私も瑠璃先輩については色々話を聞きました。私が持っている学園での人脈――沙夜ネットワークを通じて、ですが」


 ちょっとだけ驚く。沙夜ネットワークってなんだ? 知らんかった。いや、今は先輩についての話が重要だと思い直して、それを脇にどけておく。


「余計な事、余分な事は考えなくていいと思います。お兄ちゃんが思う通りにすればいいと、私は思います。私の生きてきた経験上――たかだか十四年ですが……」


 沙夜がじっと見つめてきた。大切な事を伝えようとする意志を感じた。


「後悔だけはしてほしくないです。私は、後悔に苛まれているお兄ちゃんは見たくありません」


「だが……」


 俺はぽつりぽつりと音にする。目の前の湯飲みの玄米茶で喉を濡らした。


「俺だけの話じゃない。沙夜ちゃんにも絡んでくることだ。俺が好き勝手に決めてよい話じゃない」


 と、沙夜が相貌を緩めて柔らかく微笑んでくれた。


「私の事は心配いりません。クロぼうさんもいてくれることですし、お兄ちゃんがどういう選択をしてもやっていける自信があります」


「でもな……」


 俺がはっきりとはせずに疑問符を投げかけると、沙夜が面持ちを強いものへと変える。


「お兄ちゃん。私の何を見てきたんですか。私の事を……信用してもらえないんですか?」


 言い聞かせるように、でも優しさを含んだ旋律を奏でてきた。


 ふぅと大きく吐息した。

 沙夜にはかなわんな、そう思っている所にダメ押し。


「強いて言えば……たまには家に顔を出してくれると嬉しいです」


 ここでニッコリと沙夜ちゃんスマイル。

 俺は沙夜の温かさに包まれながら泣きそうになる。

 応接間からの去り際の、


「後悔のないようにしてください」


 という沙夜の言葉が脳内で反復されて消えなかった。





 翌日。

 授業とか全く気にせずに学園内を歩いてみた。


 瑠璃と一緒にお弁当を食べた部室。

 瑠璃と一緒にビラ撒きをした昇降口。

 ラピスになった瑠璃と対峙した室内プール。


 思い出が走馬灯の様に次から次へと脳内に映像として浮かんできた。


 俺はまだ迷いの森の中にいる自分を感じていた。

 出口はどこなのだろうかとさまよい歩いている。


 ある程度冷静になったと思えるのは自己方便に過ぎないのだろう。

 いつの間にか、痴女っ子性癖を抱えた悪の魔法少女が、俺の中で大樹にまで育ってしまったのを実感している。


 俺にとって瑠璃とは何なのだろうか?

 俺は瑠璃にどうなって欲しいのだろうか?

 俺は瑠璃とどうなりたいのだろうか?


 今まで生きてきて感じたことのない感情に激しく揺さぶられていた。

 俺の判断は瑠璃にも沙夜ちゃんにもかかわってくることだ。いい加減に決めてよいことではない。沙夜ちゃんの「後悔のないように」という言葉が俺を後押ししていた。





 廊下で対面から歩いてきた吉野先生と出会った。

 二人して立ち止まる。


 俺は何と言ってよいのかわからずに視線をさまよわせていると、吉野先生が気遣う様な声をかけてくれた。


「お前たち、うまくいっているのか?」


 俺は答えられなかった。


「高城が学校を休んでいる。高城が困っているなら助けてやってくれないか?」


 俺は無言。即答は出来なかった。

 吉野先生はそれをも見越した様子。


「無理にとは言わない。お前が思うとおりにすればいい」


 沙夜と同じ事を口にしてきた。


「高城との縁を取り持ったのは私かもしれない。だがお前と高城は、確かに繋がりがあったんだ。後悔のないようにな」


 それだけ言うと、先生は必要なことは全て伝えたという調子で俺の肩をぽんと叩いて去っていった。





 それから俺は昼下がりに学園を出て、今までの瑠璃との想い出の場所を巡ってみた。

初めて瑠璃に出会った商業地区。あのエロコスチュームは、俺の様な女性初心者には強烈すぎたと、ちょっと思い出し笑いを浮かべる。


 瑠璃と俺の情事っぽいプレイを沙夜に目撃されていた駐車場。沙夜に背後から名前を呼ばれた時の恐慌は未だに覚えている。沙夜が勘違いするもの無理からぬ事だよなと、思い起こす。


 初めて瑠璃の素顔をみた港南シティガーデンモール。その時の驚きを回想する。清楚で上品で整った面立ちと、ワンポイントの泣きぼくろが印象的だった。やっていることは〇〇〇〇のソレなのだが、その素面を見て実は「萌えて」しまった事をもう吐露してもいいだろう。


 瑠璃の我儘痴女っ子の興奮顔。

 俺を調略できなくてうぇーんと逃げ去ってゆく後ろ姿。

 仲間になれと切羽詰まって強要してきた追い詰められた表情。

 部室内で最後に見た、全てを諦めきったのに俺に見せてくれた感謝の微笑み。


 俺は親とはあまり関わらずに沙夜と一緒に生きてきた。瑠璃はただただ孤独だった。

 ふと、瑠璃が自分の生い立ちを話していたときの寂しそうな顔が浮かんだ。

 捨てられて泣いている子猫に思えたそれは、とてもとても愛おしかった。


 俺は今、わかった気がした。

 俺は瑠璃に関わるうちに、知らず知らずの内に心を瑠璃色に染められてしまって、自分と同じ様に平坦ではない人生を生きてきた瑠璃の事が愛おしくて愛おしくてたまらなくなってしまったのだ。


 瑠璃にもう一度会おうと思った。

 そして自分の気持ちを伝えるのだ。


 歩いているうちに、学園付近の中央公園にまで戻ってきてしまった。

 温かい風が吹いて、公園の緑全体がそよいだ。

 季節はもう初夏になっている。


 瑠璃と初めて対峙してから一か月。長かったような短かったような時間だった。気付くと瑠璃に心を侵食されている自分がいて、なんだかなーと一人、呟いた。こんなはずじゃなかったんだけど、うん、まあ、悪いオチではないと思う。


 瑠璃の為に出来ることをすると決めると心が軽くなった。ちょっとウキウキしているといってもよいくらいに。


 この際、どん底にいる瑠璃を助ける『劇』を楽しんでしまおうという俺がいることに気付いて、すげー悪趣味だと思ってかぶりを振る。苦しんできて、今も苦悩している瑠璃に申し訳ない。


 でも悪の魔法少女との対決でさんざっぱら痴女嬲りをされてきた俺からすれば、そのお返しに少しだけ瑠璃の可愛い所を見せてもらってもいいんじゃないだろうか、と思ってしまって。


 瑠璃を僅かでも幸せにできるなら、俺もちょっとだけ瑠璃いじり(瑠璃、ゴメン!)を楽しんでもいいんじゃないだろうか、と思ってしまって。


 いや、いじるとか酷い事言ってるけど、そんな極悪な事じゃなくてだな。そう。コミュニケーション! 瑠璃ともっともっと仲良くなるためのコミュニケーションの一環なんだ。俺はそう自分を納得させる。


「ゴメン瑠璃」と、もう一度今度は口に出して謝って。でも少しだけ。ほんの僅かだけ、瑠璃の驚く顔を見せてもらってもいいだろ、と自分の心の中で土下座する。


 俺の自己満足の判断で上手くいくとは限らない。瑠璃がどう考えるのか、どう反応するのか、という問題は当然ある。だが当たって砕けろだ。


 行動しないという選択肢はもはや俺にはなくなっている。

 俺は決意を胸にする。

 瑠璃の笑顔が再び見たい……強く思いながら、SNSで瑠璃にメッセージを送った。

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