第31話 瑠璃の告白
夜ベッドの中で、どうしたらよかったのか、どうするべきだったのか、という問いを延々と自問し続けて答えが出なかった。右を向いて懊悩し、左に寝返りを打って頭を抱え、何度も解決方法を模索して出口を探したのだがそれが見えない。
そもそもラピスの抱えている問題が何かということがまだはっきりしていないし、それを俺が解決できるのかという疑問もないわけではない。が、ラピスの苦悶の表情を見ていると、いつもの学園での柔らかな笑みを思い浮かべると、何とかしてあげたいという気持ちが沸々と湧いてくる。
ラピス、瑠璃は、もう俺にとっては他人ではないのだ。煩悶しているうちに気付くと朝になっていた。
だから瑠璃からのメッセージは渡りに船というか、俺にとっては助けの糸だった。
瑠璃を助けることで、俺自身も救われたいと願ってしまう。
瑠璃に聞いてみようと思った。その悩みの正体を。
瑠璃は俺の事を正義の変身ヒーローだとは知らない。
困っていることを素直に打ち明けてくれるかどうかはわからない。
ただ、如月清一郎としての俺と瑠璃は、変身ヒーローに仲間になれと言ってきたラピスとは違った角度での関係性を構築できていると思う。
素直に如月清一郎としてぶつかってみようという思いを授業中に固めて、終齢のベルがなってから部室に赴いた。
横開きの扉を開けると、真ん中に高城瑠璃が立っていた。
いつも皆でお昼を食べていた机と椅子は片付けられている。
初めで出会った時と同じブラウンのカーディガンにミニスカート。
片腕で自分の身体を抱くようにして開け放たれていた窓からの風を受けていた。
さらりとした黒髪がそよ風になびく。
俺が初見でとても印象的だと思った姿が、そこにはあった。
瑠璃が俺の方を見てから視線を離した。数秒程度の仕草。だがそのまなこには今までの瑠璃には見られなかったものがはっきりとあった。
何だろうか?
落胆だろうか?
悲哀だろうか?
情念だろうか?
様々な感情の欠片が見えた。が一番強い色は、それらが交じり合って一緒くたになって最後に残った感情――諦観だった。
俺は瑠璃に近づいた。そばにまで行く。すると瑠璃は、横を向いたままこちらを見ることはせずに、声だけを送ってきた。
「最後に清一郎さんと話がしたかったんです」
俺は答えなかった。その代わり真っ直ぐに瑠璃を見つめる。
「いきなり『最後に』なんて言っても驚かないんですね。私がこんな風になっているのをみんな分かっているみたいです」
一拍置いて瑠璃が俺を見つめてきた。
「不思議な人」
瑠璃に俺の反応を確かめながらという様子は見られない。あくまで静かに、自分の中の感情を紡ぎ出してくる。
「いいです。清一郎さんにはいきなりかもしれないけれど。何から話しましょうか?」
目を一度つむって。それから開いて。瑠璃はぽつりぽつりと話し始めた。
「私は小さいころからこの港南市で暮らしてきました。両親は二人共商社マンで海外赴任が多くて、殆ど家には戻ってきませんでした。幼いころから手のかからない優等生として育てられてきたんですが……」
軽く、だが同時に情念の深さも感じさせる吐息を瑠璃は発し、過去に浸る様子。
「同時にあまり構われる事もなく……両親に甘えることができませんでした」
沈み込んだ表情を見せる。
「両親に寂しいと訴えても……『瑠璃ちゃんはいい子だから一人でお留守番できるわね』とわかってもらえず、いつしかその心をしまい込むようになりました」
影の落ちている瑠璃の顔。その気持ちが、その孤独が、俺の心を打っていた。
「同じ小学校の女の子達と一緒に過ごしても心をわかってもらえず、人に心を許すことがなくなりました。表面上の温和な会話以上には心を通わさない日々が続きました」
貴方にすがっても関係なくて仕方ないですねごめんなさいと、瑠璃が謝るような笑みを向けてきた。でも聞いて欲しくて、と続ける。
「そんな生い立ちだから、鬱屈した心を拗らせて変な性癖が芽生えてしまったのかもしれないんですけれど。その孤独を心に抱えてきて、社会に対する偏見や苛立ちを抱え込んで、それが『部の活動』や『秘密の活動』に繋がったんだと今は思っています」
瑠璃は淡々と自分を振り返っていた。確かに納得できる話だった。そういう生い立ちならば、あの裏の性癖も、奔放な活動も別に不自然じゃないと素直に思えた。
「清一郎さんが、廃部寸前の部活動を馬鹿にする事なく一緒に行ってくれたから……この人ならわかってもらえるかも……と思っていました……」
瑠璃の顔が崩れ始める。
「でも小さい頃からいい子である事を要求されて……」
瑠璃の表情が壊れてゆく。
「社会に対する鬱屈とか変な性癖の間で葛藤して……」
気付くと、瑠璃はぽろぽろと涙を溢していた。
瑠璃も俺と同じで両親にあまり構われずに生きてきたのだ。俺には沙夜がいたけど、沙夜がいなかったら俺はどうなっていたかわからない。こいつはどれだけずっと独りでいたんだ。多分こいつの生きてきた人生は俺などには想像もつかない、そんなことを思わせられた。
そして瑠璃は俺が聞きたかった本筋の話を吐露する。
「私、失敗ばっかりで、もう『秘密の活動家』としては見切られていて、ただの裏方に左遷になるところなんです……」
ちょっと予想していなかったセリフだった。何と答えてよいのかわからずに、俺も呻くように言葉を発する。
「それは……厳しい……な……」
「いや……です……。好きで始めたことです。辞めたく……ありません……」
瑠璃は溢れてくる感情を抑え込むように両手で顔を覆った。
そのまましばらく動きを止めた後、
「……でも」
瑠璃が顔から手を放して俺を見る。
「『敵』を篭絡できたら、私は『秘密の活動家』を続けていいとの了解を得ていました」
答えに詰まった。知らない間に追い詰められていた瑠璃。俺はどうすればよいのか?
「なんとか……その『秘密の活動家』を続けるという手は……ないのか?」
ありきたりの質問だが、問いかけないわけにはいかない。
「組織が決めることです。私、『出来損ない』ですから……」
泣きながら笑った瑠璃に、俺は答えられなかった。
奥歯を噛みしめる。
「清一郎さんが家に来てくれた時、私、誘いましたよね……」
瑠璃が僅か数日前の事を懐かしそうに振り返る。
「私……本当に清一郎さんに抱かれたかったんです」
瑠璃がさらに衝撃的なセリフで俺を揺さぶってきた。
「私……大好きな清一郎さんに抱かれて……何もかも忘れたかったんです」
瑠璃の響きが俺の心を締め付ける。
なんと返答していいかわからなくて。
しばらく……
二人して黙ってじっとした時間が過ぎ……
瑠璃が静かな抑揚で言葉にしてきた。
「ごめんなさい。貴方には関係ないことで色々迷惑をかけてしまって。私の事は忘れてください。もう二度と貴方の前には現れませんから」
瑠璃は、濡れた瞳で完全に諦めた顔をしていた。
「貴方がいて私は独りじゃなくなったって思えました。沙夜ちゃんが来てくれて、出来過ぎだけれど妹ができた様でとてもうれしかった。それだけで私はもう大満足です」
瑠璃が微笑む。
俺の心を絞るような笑みだった。
「ありがとうございました」
言い終わって瑠璃がゆっくりと歩き出す。
脇を通り過ぎて、出入り口に向かう。
「待ってくれ!」
俺は反射的に叫んでいた。
「俺が何とかする! 秘密の活動家だって辞めることはない! 絶対にだ!」
すると瑠璃が歩みを止めて振り返る。
「どうやって……ですか……」
単純な問いかけだったが、俺の返答を詰まらせるだけの威力があった。
再び……瑠璃が背を向けて足を進め始める。
瑠璃が……行ってしまう。
止めなくてはいけない。
だが俺に何ができる?
瑠璃の為に何ができる?
思考が固まらないうちに瑠璃の気配が消え、俺は独り部室に残されて立ちすくむばかりだった。
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