第30話 ラピスの懊悩
その日は、瑠璃宅から真っ直ぐに帰宅した。
瑠璃はしばらく自分を見失っていたようだったが、落ち着いてからは「大丈夫です。何でもないんです」と笑顔で繰り返すばかりで、何も話してはくれなかった。
普段の令嬢瑠璃に戻って俺を見送ってくれて。
俺はそれ以上突っ込む事もできずにすごすごと帰ってきてしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇
瑠璃は俺が見舞いに行った次の日も休んだ。一日経っただけなのだが、俺は瑠璃の事が気にかかってどうしようもなくなっていた。瑠璃を苦しめているものは何なのだろうか。ふとした授業中にも気にしてしまう。
沙夜が「そんなに心配することはありません。お兄ちゃんはしっかりしていてください。それが大切です」と励ましてくれるのだが、俺ってこんなに瑠璃の事が気になる男だったんだと改めて思い知らされて。学園生活どころの話ではなくなっていた。
そんな折、久しぶりにクロぼうからのSNSでの呼び出しがあった。
悪の魔法少女との対決だ!
平日の真昼間。場所は港南中央公園の運動場広場。
学園を抜け出してスロープを下るところで『トランスフォーム』。正義のヒーローホワイトスーツマスクに変身してそのまま国道沿いを進む。
瑠璃……少しは元気になったかな? という憂慮と、一日ぶりに瑠璃に会えるという期待がないまぜになって心がはやる。慌ててゆく必要はないのだが、知らず知らずの内に駆け足になっていた。というか全速力だった。
中央公園に入る。
木々の間を抜け、公園中央の運動場に……いた!
いつもの真っ白レオタード姿に身を包んでステッキを持った、高城瑠璃その人がど真ん中に立っていた。
周囲に見物客はいなかった。遊歩道をちらほらと散歩している姿は見えるのだが、ほとんどの人は会社か学校か、買い物ならば商業地区にいっているのだろう。
俺は瑠璃の前面にまで達する。息を整えきらないうちに、
「久しぶりだな、悪の魔法少女ラピス!」
声高に昂ぶった声をかけてしまっていた。
「久々に会えて嬉しいぞ! いや、嬲られるのはごめんなんだが。でも今日は少し手加減してくれるなら付き合ってやってもいいと思っている俺がいる!」
瑠璃がラピスとして俺と対峙してくれるのが嬉しくて。本当に嬉しくて。ラピスに向ける声も自然と弾んでしまう。
がラピスはいつものノリノリの痴女っ娘然とした態度は見せずに、ただ面持ち険しく黙って立っているばかりだった。
その表情が昨日の出来事を思い起こさせた。
本人は大丈夫ですと言ってはいたが、やはり瑠璃は何か大きな問題を抱えているのだと改めて思わずにはいられなかった。
「気が乗らないのなら……また別の日にという手もあるんだが?」
俺はラピスを気遣って言葉をかけてみた。
しかしラピスは答えない。
俺に対して厳しい視線を注ぐばかりで言葉を発しない。
「ラピス……」
二~三歩程近寄って、その肩に手を載せた。
「調子が悪いんだったら無理することないぞ。組織の監視もあるだろうから、俺と適当にお茶を濁して……」
「うるさいです!」
ラピスが突然叫んで肩に置かれた俺の手を跳ね除けた。
「ラピスっ!」
俺は驚いてラピスの顔を見る。
「うるさいですうるさいですうるさいですっ!」
ヒステリーの様に顔を顰めて俺に言葉をぶつけてきた。
ラピスがステッキを掲げた。と思ったら一閃、振り下ろしてきて俺の顔を打った。脳内に火花が散って痛みが走った。
今までの様な愛嬌のある悪戯ではなく、負の感情を抑えることなく俺にぶつけてきた殴打だった。
「私の仲間になってくださいっ!」
眼光険しく、声音にもトゲがある。自分の気持ちをコントロールできていないと思わせた。これまでのごとき男女の戯れではなく、追い詰められた強引さが目立つ言動。
一週間前には部室で楽しくお弁当を食べた間柄だった。それが二日前には落ち込んで思い悩んでいる様子に変化して、今は物凄く追い詰められている。
この間、やはり何かがあったのだ! と俺に確信させるのに十分な変化だった。
「いいかげん、私の仲間になってくださいっ!」
ラピスが再び杖で俺の頬を打った。じんっとしびれが走る。
「どうしたんだ?! いつもは確かにヘンタイで痴女だったが、もっと俺を懐柔しようとするのを本当に楽しんでた。今日はとても辛そうに見える」
「あなたには関係ありません! 私の仲間になるのですか、ならないのですか!」
「何が……あった?」
「あなたには関係ありませんっ!!」
ラピスがもう一度そのセリフを悲痛な声音で繰り返した。
俺には関係ないということだが放ってはおけない。どうすればいい。俺はこの少女、ラピスに対してどう接すればいい。思考しながら言葉を紡ぎ出す。
「俺に感情をぶつけても解決にはならん。何があったか話してくれ。俺もお前と延々付き合ってきて、言葉にするのは難しいが色々と親しくなったと思っている。俺はお前と対峙しているが、お前の事を憎いとは思ったことは一度もないし、お前も俺を嫌ってないと自惚れだが俺は思っている」
するとラピスの厳しい表情が緩んだ。俺にぶつけていたトゲが溶けて、俺にすがるような表情を見せる。捨てられそうな子猫を思い起こさせた。目尻が下がって口が半開きになって、今にも泣き出しそうに見える。
「話したら……私の仲間……悪の組織の仲間になってくれますか……?」
しなだれかかるような抑揚。厳しい要求だった。
俺は胸中で呻いた。
このラピスを放ってはおけない。このままラピスが闇の底に沈んでいったら、自暴自棄になって無茶なことをされたら、俺はきっとずっと後悔する。が、ラピスを救う為に悪落ちするのは未だにためらわれた。
クロぼうにも再々念を押されている。正義の広大な組織がこの国の法秩序の上にあることは事実なのだ。悪に走れば、俺は平穏な生活を追われ、沙夜と一緒に暮らすこともかなわなくなる。
思考していると、すがる目線だったラピスが顔を下げた。「すみません……」という小さな呟きが耳に聞こえた。
「ちょっと気が動転していて、無謀なお願いをしてしまいました」
ラピスは顔を上げて、濡れた相貌で俺に優しく微笑みかけてくれた。
「残念……です……」
そう告げたラピスの表情には諦観が見え隠れしている。
「私の活動も気持ちも……結局誰にも届かないで終わるんです」
全てを諦めきった様な抑揚だった。
「意味がなかったんです。私の今までの行動にも私の想いにも」
「そんなことはない! 俺はお前と一緒に活動していて楽しかった!」
「ありがとうございます」
ラピスがまた笑った。
「私も小さいころから長い間頑張ってきたけど、もう駄目みたいです……」
脆くて今すぐにでも壊れそうな笑み。
「楽しかったです。あなたとの対決。きっとずっと続くんだと思っていたんですけれど」
一拍置いて、残念で名残惜しいという感情を見せてから深々と礼をした。
「ごめんなさい。勢いで叩いてしまって。悪の魔法少女を続けていきたかったのだけれど、それも今日で終わりですね。ありがとうございます、付き合ってくれて。感謝いたします」
そして回転してそっと背を向ける。
ゆっくりと歩み始める。
ラピスが一歩一歩離れてゆく。
「まて」と喉元まで出かかったが、それを口にしてどうなる? という思いが俺を押しとどめた。
ラピスの抱えている問題が分からない。だからラピスの抱えている問題の解決方法も当然浮かばない。ラピスを救ってやれない。
悪の組織というのは正義の組織と同様、広大な広がりを持つものだ。俺個人、ラピス個人でどうにかできるものではないのだ。
歯噛みして唇をかみしめる。
俺の視界からラピスが遠ざかって、やがてその姿が見えなくなった。
俺はきつく瞼をつむった。
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