第3話 沙夜ちゃん登場
それから港南中央公園から出て、足元についてくるクロぼうと共に住宅地区に入り込む。
同じような二階建て洋風の分譲住宅が左右に立ち並ぶ道を進み、その角の一軒家にたどり着いた。
「ただいまー」
扉を開けて家の中に入ってから、レジ袋を玄関に降ろす。
「おかえりなさい、お兄ちゃん」
涼やかな声がして、台所からエプロン姿の少女が顔を見せた。
セミロングの黒髪がよく似合った、とても整った目鼻立ちの清楚さを感じさせる美少女。如月沙夜(きさらぎさや)、十四才。共にこの街で暮らしてきた俺の実の妹で、同じ市立彩雲学園に通う中学二年生だ。
エプロンの下には白いカジュアルシャツにシンプルな青のスカート。登校時の彩雲学園中等部のブレザー姿も良く似合っているのだが、質素な部屋着に着替えた親しみやすさも妹ながら侮りがたい。安価なユニシロなのだが、全然みすぼらしく見えない。むしろ落ち着いた野の花の様な可憐さがある。
沙夜は、まっすぐ立って柔らかい笑みを浮かべていた。
「買い物ご苦労様です、お兄ちゃん。今日はもやしが余っていたので、カルボナーラにしてみました」
沙夜が、ニコッと微笑む。
「いや、すまない。沙夜ちゃんに家事の負担はかけさせたくないんだが、俺もバイトや買い出しが忙しくてその暇がない」
ペコリと、とてもよく出来た柔和な妹に頭を下げる。
「全然全く気にしないでください、お兄ちゃん。私はお兄ちゃんとの生活、全く不満はありません」
沙夜が目を細めて、気遣ってくれる。
その表情が染みわたる。たからやでのおばさん連中との戦闘やクロぼうとの一件で疲れた心を、癒してくれる。
沙夜がいてくれる自分の居場所に戻ってきたと実感できる。
とするならば……
やはり自分と沙夜に苦労をかけている元凶に沸々を怒りが湧いてきた。
「あの親共が海外をほっつき歩いてなければ、こんなに金に不自由することもないんだがな。何度目の自称ハネムーンだ? 少しは家に金を入れろ。沙夜ちゃんに愚痴っても申し訳ないんだが」
すると、ふふっと沙夜が目を細めて、優しい表情で俺をなだめてくれた。
「夫婦の仲睦まじいことはいいことだと思います。家のローンや固定資産税は何とかしてくれているんだから、それ以上文句を言うのは育ててもらって申し訳ない気がします」
この沙夜。家の掃除洗濯料理等を引き受けながら、学校の成績も学年一番。体育も得意で生徒会の書記も務めている。男女共にとても人気のある女生徒で付け入る隙がない。悪い虫(男)が付かなければいいと、中学生ながら心配が絶えない所でもある。
ちなみに俺は高等部のぼっちで、成績は勉強をまともにしないので芳しくはない。バイトがあるから放課後の交流などをする暇も金もなく、クラスで誰も相手をしてくれない。まあ、虐められているわけでもないから、どうでもいいのだが。
――と、
「にゃー」
俺の足元から鳴き声が響く。
忘れていたと俺が思い出し、沙夜が下に目を落とす。
「猫さん……ですか?」
目をぱちくりさせながら沙夜が口を開く。
「ひろってきたんですか? いいかもしれません。そのくらいの家計の余裕はありますし、心が癒されますね」
沙夜がしゃがんでクロぼうの喉元をじゃらすと、クロぼうは気持ちが良いと言う様子で、ネコナデ顔をする。
しばらく沙夜のクロぼうじゃらしが続いたが、台所からヤカンがピューという音を響かせてきた。
沙夜が慌てて立ち上がる。
「夕食の下ごしらえの途中でした。すみません。用意、終わらせてきます」
言った後、ぱたぱたとスリッパの音を立てて、若奥さんの様な仕草でダイニングキッチンの中に見えなくなった。途端に、
「いいね! 君の妹さん!」
クロぼうが、目をまん丸に戻して言葉を発してきた。
「大人し目だけどすごくキレイな顔立ちをしているね。変身ヒロインになってエロいレオタードとか着ると大人になりかけの成長期の身体がとても映えるよ! きっと美少女好みの男性ファンがいっぱいつくよ!」
俺は、じろりと足元のクロぼうを睨みつけた。
「沙夜ちゃんに手を出したら……三味線にするからな」
俺とクロぼうの間に沈黙が落ちる。
ややあって、
「冗談だよ。本気にしないでよ」
クロぼうが、あっけらかんとした表情で言い放ってきた。
同時に沙夜が再びダイニングから姿を見せる。
「今日の食材、冷蔵庫にしまいますね。お兄ちゃん、ご苦労様でした」
沙夜が玄関に置いてあるレジ袋に手をかけた。
俺がクロぼうを牽制し、クロぼうはさっきの言動はなかったかの様子。
微妙な空気が三人の間に流れて、
「なんですか? 二人してこちらを見て」
沙夜が、きょとんとした表情を見せる。
「にゃー」
クロぼうの鳴き声(鳴きまね)だけが、その場に響くのであった。
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