第14話 どらいぶ
僕はそのまま一度家にかえるとシャワーを浴び、すぐに家の車に乗り込んだ。
免許は春にとったばかりで遠出は初めてだけれど、そんなことはどうでもよいことだと思った。
彼女の住んでいる中野まで、カーナビでは三十分と記されている。
待ち合わせのJR中野駅に近づくにつれ、少しずつ緊張してきた。彼女に会った瞬間僕はどういう顔をすればよいのだろうか。それが解ったところでその顔が出来るのだろうか。
彼女と海に行ってそれが一体なんだというのだろうか。
苛ついている自分に気が付くと、海まで行くのがバカらしく思えてきた。
でも、もしかしたら昨日彼氏と別れたのかもしれない。そう思うと気分が少し落ち着いた。
中野駅までの道のりは混んでいたけれど、時間が長いとは感じなかった。
駅の近くまで行くと彼女を見つけるのは容易だった。
ただ彼女の空間を探せばいいのだ。学校ほどではないが、こんな場所でもやはり彼女の周りは、というより彼女だけ世の中のスピードに取り残されているのではないだろうか。ふとそんな感じがした。
「おまたせ」
彼女は首を横に振って、微かな笑顔を見せた。それは僕にとってのただの切なさだった。
車の中では、二人ずっと黙っていた。
緊張感にいつの間にか慣れた僕は妙に落ち着いていた。東名高速のってもただ、咽が乾いたか訊いただけで後は黙ったままだった。
「別にいいんですけれども」
言葉が噴き出た。
「きのう」
彼女の視線を感じながら少しずつ続ける言葉は、何だかぽたぽたと落ちる涙のようだと思った。
だから僕はそこで言葉をとめた。
「もう少しでつきます」
本当はまだ少し距離があったけれど、彼女は反論せず頷く。
カーナビの音が静かな車内に響く。それはまるで暗闇の道路に点々と光る外灯だった。高速を降りるころから暗くなり始めた空では、月が大きく顔を見せていた。
陽樹と行った小さな海に近づくほど暗闇は深くなる。でも、それとは対照的に月の光が僕等の行く道を照らしていた。
「つきました」
砂浜の前まで来てそう言うと彼女はお疲れ様、と一言残して車を出た。風が彼女の服と風をなびかせた。
エンジンを切り、鍵を抜くと少し距離を置いて彼女を追いかけた。ゆっくりと、保ちながら。
前回来たほど浜辺は汚れていなかった。
まるで彼女を迎える準備が出来ていたかのように波は穏やかで月は明るかった。
波際で止まった彼女に追いつくと彼女は口を
「きのう、彼に会ったわ」
まるで電話の続きのように、でも今回は逃げることは出来ない。
「スーツ姿の」
僕が言うと彼女は少し笑って、そうよ。と答えた。
「話したのですか」
「話したわ」
黙って彼女の後ろ姿を眺める。
「私の父との関係、父への想い。これからのこと、死にたいと思っていたこと」
息をつく
「彼はなんて」
潮の匂いが鼻を通る。
「やっと言ってくれたって。そして、心配するなって」
彼女の声は震えていた。
「よかったね」
僕の声も震えていた。
彼女は頷くと、指輪を取り出した。無造作に取り出された指輪は、いつも彼女がつけている銀の指輪と違って月の光を強く反射させた。
それだけで充分だった。
プロポーズされて、彼女は承諾したのだと。
「おめでとうございます」
涙が流れた。泣くなと思うほど、気持とは反対に涙がぽたぽたと落ちた。
「ありがとう」
いつの間にか彼女から神秘性は消えていた。
彼女も普通の人間なのだと思った。その裏でスーツ姿男の笑いが聞こえるようだった。
で、お前はどうすんだ?
陽樹の言葉がよみがえる。
俺はどうすんだ?
何のためにここまで来たんだろうか。
彼女と目があう。
「死にたいって言っていたのに」
勝手に口が動いた。
「おかげ様で生きようって思えるようになったわ」
「つまらない男だって言っていたのに」
「私に面白い男はもったいないわ」
僕は彼女に近づく。
「ダイヤですか。綺麗ですね」
彼女の手に触れる。
あんなに遠かった彼女にやっと触れた気がした。絶望と一緒に。
取り上げるように指輪を手にすると再び涙がこぼれた。
「大学はどうするんですか」
「たぶん辞めるわ」
そんなことはどうでも良かった。何よりも早く彼女の背中は遠ざかっていくようだった。
この指輪を海に捨てたい。
捨てたら彼女はどうするだろうか。
海を見ると波は微かに泡立ち、砂浜をなめる。潮風が少し冷たくなった。
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