第13話 自分の気持ち

「夏休みから俺、留学しようかと思うんだ」


 次の日の昼休み、姉貴の話にひと段落すると陽樹は簡単そうにそう言った。


「どれくらい」


 少し声がくぐもる。


「少なくとも半年、長くて一年かな」


 陽樹はいつの間にかそんなことを進めていたのだろうか。

 けど、陽樹らしいとも思った。


「彼女とかサークルはどうすんだ」


「サークルはやめるよ」


 次の言葉を待つ。


「彼女は、あいつはあいつの好きにすればいいと思う。何を言われようが、もう行くことに変わりないし、もしそれで別れたいって言うのならおれは仕方ないと思う」


 陽樹はぬるくなった水をすする。


「でも、一年くらいだし、まったく会えないわけでもないから、たぶん大丈夫だと思うよ」


 そう言った陽樹は少しだけ寂しそうに笑った。たぶん陽樹だって不安はあるだろう。彼女のことも、外国での暮らしのことも。


 陽樹の彼女は高校の頃のバイト先で知り合ったと言っていた。

 一度だけ顔を合わせたことがあったけれど、控え目でおとなしい子に感じた。彼女は泣くだろうか。でも案外強い子なのかもしれない。


 そんな不毛な思考を陽樹は遮った。


「おまえ、あの人とどうなったんだ」


「どうって」


 目をそらすと陽樹はそれに気がついた。


「興味深い反応だな」


 僕は観念して口を開く。


「今日、あの人も休んでいることだし」


 陽樹は追い打ちをかけたが、昨日あの後彼氏と会ってどうなったのだろうか。知りたいのは僕の方だった。


「彼氏と会うって言っていた」


 どこまで話していいのか分からず、とりあえずといった感じで陽樹に話し始めた。

 一通り話し終えると少し納得したように頷く。そして一言


「で、お前はどうするんだ」


 陽樹の言葉が刺さった。


「どうするって?」


 白い雪が心に積もっていくようだった。でもそれはもしかしたらただのホコリなのかもしれない。


「お前、あの先輩のこと好きなんだろ」


「そうかもしれない」


 自分の答えが自分で意外だった。

 これを好きだという感情なのだとしたら、いつの間にこの感情は生まれ、いつのまにか大きく育っていた。


 彼女のことが好きなんだ。


 改めて気が付くと悲しみがこみ上げてきた。

 好きだからといって、今の自分に出来ることは何もなかった。

 できることといえば絶望的な未来を悲しむことだけだった。

 ただ、涙は流れなかった。隙間風のようにひゅうひゅうと肺から空気が漏れらように呼吸をしていた。


「まいったな」


 僕は動揺して呟いた。

 感情が広がる。


「おれ、今日大学やすむわ」

 そう陽樹に残すと学食を出た。

 

 薄暗く晴れた空の下、外の空気はどこか乾いている気がする。

 彼女に電話をしようかと携帯電話を取り出すと、タイミングよくそれは小刻みに震えた。

 ディスプレイの文字は、


『花』


 僕はゆっくりと通話ボタンを押した。通話時間がカウントアップされる。


「もしもし」


 彼女の声が通る。

 僕は言葉を出せずにいた。唇が乾き、蛇みたいにちろちろと小さく舌でなめた。


「もしもし」


 彼女が繰り返す。


「もしもし」


 そう返した瞬間もう泣きたくなった。


「あ、ごめん今忙しかったかしら」


「いえ、大丈夫です」


 そう言いながら、大丈夫ではなかった。


「そう、よかった。昨日のこと、あなたには話しておこうかと思って」


「うみ、行きませんか?」


 準備が出来ていなかった。

 突然の僕の提案に彼女は少し時間をおいて答える。


「うみ、約束していたわね」


「はい、約束していました」


 そう言って僕は大学から出て直ぐの公園のベンチに座り、そのまま仰向けに寝転んだ。

 目の前に空が広がる。


「今から?」


 彼女の問いに、

 僕はただ頷いた。

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