第7話 ホームシック?

ホームシック?



その日夢を見た。夢の中のあたしはカナダで、仲のいい友達とトロントを歩いている。

いつも洋服屋さんや、お気に入りの雑貨屋とかを覗いて、いつものお店でアイスを食べている。


そんな夢を見るというのはカナダが恋しいのか。

ホームシックになったという自覚はは全然ないのだけれど、やはりカナダが恋しいのか。


朝、起きたあたしは複雑な心情に苛まれていた。


こう言う時は「ジョウバ」だ。


あたしはジョウバに乗って考える、「ジョウバ」は東京バーバの部屋にある昔流行ったらしいフィットネス機器で、乗馬した状態を機械が作ってくれる。

ただ乗っているだけなので、どこがフイットネスだと思っていた。

事実、小さい時、府中に来た時は、乗馬の疑似体験の遊具だと思っていた。

でもこれが上半身をまっすぐに保つためには、乗馬の動きに合わせて腰を振らなければならないので結構な運動になる。

これが意外とあたしは好きで、ことあるごとに乗ってダイエットに勤しんんでいる。

ふとあたしはなんかの気配を感じた。

後ろの窓は縁側で、となりの部屋に繋がっている、まあ縁側といっても囲いがあるような完全な縁側ではなくて、大きなベンチが建物にくっついているようなものだ、そこに猫がちょこんと座って、ジョウバに乗るあたしを見ていた。

小さなお客さんにあたしは嬉しくなり乗馬を降りて縁側に近ずいた。

すると、猫はプイッと顔を背けて、行ってしまった。


日本人の血は争えないなんていう人が居るけれど、それは嘘だと思う。

あたしは血筋から言えば完全に、日本人だけれど、ホームタウンはトロントかな。と自分では思っている、日本は帰って来たと言うよりやはり、やってきたと感じだ。


バーバの部屋は古く、斎藤家の写真が所狭しと飾られ、バーバと斎藤家の残り香が充満している。

ママにとってはこの部屋はもっとも忌み嫌うところだろう、カナダに帰る時どうでもいいところは入らなくていいんだからね。と言った最たるところだ。

だからあたしもジョウバに乗るときくらいしか入たことがない。

だってここにいるとバーバと一緒にいるような錯覚を覚える。

バーバと声をかければ、返事をしそう。

それはこの家も来た時は、ひどく重いものだった。

だから所狭しと飾られる写真たちもあまり見たことはなかった。

そこはもう失われてしまった。「家」の記憶だ。

決してそこにあたしは存在し無い、関係もしていない。

でも失われた、「家」の記憶がのし掛かって来るよう。


あたしは何人?

ここがあたしの居場所でないなら、あたしの居場所はどこなの。



あたしは次の日曜日に府中に出てみた。

うちから電車で一駅、というか市内を走るバスがあり。100円乗れるらしいけど、よく分からないので、でそのまま電車に乗って行った。

府中の駅前はデパートがあり、大きな本屋さんや電気屋さん食べ物屋さんと殆どがチェーン店で、あたしには馴染みがないんだけれど、有名なところの殆どがあるらしい。

カナダとはちょっと雰囲気が違っていて、ここに慣れている人は、トロントのダウンタウンは違和感があるだろう。

そしてあたしにはこの雰囲気に違和感がある、海外旅行に来て、異国情緒を味わうならいいけれど、ここにずっと住むというのは、きっとパパやママは今のあたしの違和感を、今もトロントに感じているのだろうと思う。

だからパパは、東京バーバが亡くなった時サダコおばちゃんに日本に帰つて来ようかなと口走ったらしい。

つまりこの街、

府中に。

いえ、府中じゃなくても新宿でも、そこに行きつけのお店とか、カフェや、知り合いを作れば、ここに居たいと思うようになる。

パパはあたしがそうなってくれるれるように望んでいるだろうけれど、あたしとしては、よくわからない。

あたしはママの無駄遣いをしてはダメといういいつけを破って、カナダでもよく見るコヒーのチェーン店に入った。

たしかシアトル発祥だ。

シアトルはカナダとの国境近くにある。とは言っても近いのはバンクーバーで、世界地図で見れば、端と端、そもそもバンクーバーなんて言ったこともない。

そのコーヒーチエーンってもト入ってびっくり、なんかオシャレで、カナダというかアメリカ大陸では、このチエーンは出勤途中の人がコヒーとパンを買って行く店で、特に朝などは、店内で食べたり飲んだりする人は少ない。

だから、なんだこの店づくりはと思った、だって座り心地の良さそうな椅子やソファーがありシックな色合いに落ち着いた雰囲気。

国が変わるとこうなるんだと感心させられた。



人間というのは。慣れる生き物なんだとつくづく思う。

周りに知らなものや、わからないところがあると落ち着かなかったり、なんとかその分からないものを解き明かそうとしたり、探検したりするものだと思っていた。

でも府中の家の生活が一ヶ月を超えると、これが慣れてしまうのか、別に気にならなくなる。

この場所、東京に慣れるか。

という始めの不安はかなりなくなってきた。

すると精神的な余裕が出てくる。

そう言えば東京バーバの部屋をきちんと見てはいない。

ジョウバに乗るときだけだ。

東京バーバがいた時は勝手に入ると怒られそうだったし、小さい頃でも、入るときはジョウバにまたがる時だ。

改めて東京バーバの部屋に入いって、ジョウバ以外の部屋の内部を観察してをしてみる。

大量の写真が写真立てに入れられ、並んでいるけれど、それこそあまりきちんと見たことがないので今日は一つ一つ見てみる。

よく見ると斎藤家の歴史そのものだ。パパやおばちゃんが小さい時の写真、パパとママの結婚式の写真、ママがあまりにスリムで別人かと思うほど。

そう言えばとあたしは思った。

物置に古いアルバムがあった。

どれ一つ斎藤家の歴史でも紐解いてみるかと思った。

次の日曜日、あたしは

物置から二十冊のアルバムを持ってきた。そうアルバムなのだ、うち半分は、スクラップブックと書かれた本当の紙でできた冊子だった。それぞれ題名のついていつもの、ついていないものとあり、とりあえずあたしは一番古そうなものを開いてみる。

子供がたくさん写っている。

名前が書かれているもの、書かれていないもの、なんと子供の時の東京バーバだ。

当然のことなんだけど、感情的にバーバに子供の時代があるというのがびっくりだった。

そして大人になって、警察官の制服を着ている、あれ、東京バーバ婦警さんだったの、と思う。

そして随所に挟まれる、見も知らない人たちの集合写真。

そして時代は下り、斎藤家がこの家に越してきてからの写真



ジージ、バーバ、パパ、サダコおばちゃん、この四人がどこか海外旅行に行って四人で写真に収まっている。

この四人の生活を今は誰も住まなくなったこの家が支えていた、そしてもうすでに失われてしまった、家の記憶である、残像があたしに蘇る。

あたしが生まれる遥か昔のことなのに。

それはあたしがカナダの家で育ったあの期間と同じだ、あたしが物心ついて暮らした家、その家がパパやおばちゃんにとってこはここなんだ、そんな生活の場が今はもう誰も住んでいない家へと変わり果てた。

家族の生活の場として賑わっていたこの家をあたしは想像して見た。

朝バーバがパパを起こす、眠そうに起きてくるパパ、おばちゃんはもうすでに制服を着て食卓に座っている、ジージはコヒーを飲みながら新聞を読んでいる。

これがあたしの想像する斎藤家の朝の日常だ。

家庭というのは変化して行くものだ。

カナダの家は今はパパとママの二人きりだ、お兄ちゃんは、アメリカの大学に通っている、お兄ちゃんは家を出て一人暮らしをしている、

お兄ちゃんは、カナダ人だけど、アメリカ人になりたいようだ。

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