エピローグ
二年前のことを思い出す。
緒妻さんの卒業式の日。そこでわたしは秋埜と誓った。
いつまでも一緒にいることを約せはしないけれど、そのために努めていこうって。
一年前。
そのための道を、自分たちで選んだ。
今日。
その日と同じように桜の
「卒業おめでとう。秋埜」
「ありがとーございます。センパイ」
「去年から何度も言ってるけど、もうわたしはあなたの先輩じゃないんだってば」
「これも何度も言いますけど、道を先に歩いているんだから、やっぱりセンパイはうちのセンパイです」
「……する時は呼び捨てにするくせに」
「……そう呼ばれていっぱい悦ぶくせに」
通りすがった、同じ卒業生の男子がぎょっとしてた。意味分かっちゃったかな。ああうん、わたしと秋埜がそういう関係なのは知ってるひとは知ってるんだから、別にバレてもいっか。
「です。うちも卒業ですからね」
三月吉日。
わたしは、卒業する秋埜を、母校に迎えにきた。
もちろん今までだって恋人関係として、わたしは大学生として、秋埜は高校三年の受験生として、一年を過ごしてきた。
でも、一年前にわたしがそうしたように、秋埜も今日からは自分が選んだ道を歩き始める。それがわたしの選んだ道と並び歩むものであることを願っていたけれど、そうあることは、出来るのだろうか。
「秋埜、お父さんとお母さんは?」
「えーと、センパイが迎えに来るって言ったら二人にしてくれるそーで。先に帰っちゃいました。何か用事でもありました?」
「うん、用事っていうか、あいさつしておこおうかな、って思っただけだし。後でもいいよ」
この学校には桜は植えられていないけど、いまの時期はどこからでも桜の花びらは舞い飛んでくる。そのうちの一枚が秋埜のしっぽのところに引っかかっていた。
それが何故か、とても尊いもののように思えて、わたしは手付きも恭しく、秋埜の頭の左側にある、栗色のきれいな髪の房に手を伸ばした。
「センパイ?」
「ん、ちょっとじっとしてて……はい、とれた」
「あ、桜の花びらすか。風流っすねー」
納得顔になって、秋埜はわたしの手から花びらを拾い上げる。
そのたった一枚の花弁を指で摘まみ、とても愛おしそうにしばし
と、同時に風が吹いた。
風に運ばれてきた他の桜と一緒に、秋埜の手から離れた花弁は青空に舞い、すぐに、どれが今放たれたものか分からなくなってしまう。
「……世に出ればわたしたちもあんな感じなのかな」
「え?…あー、そゆことですか」
そんな光景を見て呟いたわたしの独白は秋埜の耳にも入ったのだろう、言葉の意味を一瞬考えて、そしてすぐにわたしの不安を見透かしたように、ふにゃっと笑って言う。
「他のひとから見ればそーかもしれないですけど。でも、センパイとうちと…あと、うちらの家族と友だちと…これからうちらが繋がるひとたちに分かれば、それでじゅーぶんなんじゃないすか」
「それは結構たくさんのひとになるような気がするけどね…」
向かい合わせのまま、空を見上げる。
わたしは、秋埜と出会った。
一度離れて、再会した。
そして互いに大切なものを見つけ、あるいは別れ、また再び巡り会いもした。
そんなことを繰り返して、わたしたちは大人になる。そうありたいと願った形に、進んでいくことを続ける。きっとそれは、生きている限り止むことの無い営みであるに違いない。
「センパイ」
「なに?」
そこかしこで、卒業の日を彩る別れと約束が花咲く中、秋埜はいつものように、わたしの名前を呼ぶ。
「うちは、これからセンパイとは学校も仕事も違っていくと思います」
わたしたちの歩む道は、決して同じものではないかもしれないけれど。
「うん」
「…でも、センパイと一緒にいたから、うちのこれからはあります。だから…」
隣り合う道を歩いている限り、わたしたちの交わりは途絶えることはない。
「これからも、よろしくおねがいしますね」
「もちろん。わたしの往く道を見つけられたのは…秋埜の存在があったからなんだからね」
「はいっ」
そうして、差し出した手は握られた。
秋埜は、保育士を目指す。そのために短大に進学し、恐らくはわたしより一足先に一人前になる。
先輩と後輩が逆になるっすねー、なんて生意気を言っていたけれど、保育士だけでなく栄養管理の資格もとり、いろんなことをしてわたしと同様にたくさんのひとの後押しをしたい、って言っていた秋埜の道は、法律の道を歩むわたしと同様に、簡単に貫けるものではないんだろう。
でもなー…保志家の親戚の子どもたちに集られてわたしに助けを求めていた、なんてことを思い出すに、なかなか思い切った道を選んだものだと思う。
それに、自分では子供はそれほど好きじゃない、みたいなことも言っていたけれど、もしかして同性のわたしとの間に子供は作れないことを、どこかで気にしていたのかもね。でも子供には懐かれていたから、素養はあるのかも。
……すぐのことじゃないけれど、わたしと秋埜が一緒に暮らすことになったら、二人で子供を育てる、なんてこともそんな悪い話じゃなのかもね、っていうのは…まあ今のところわたしの妄想に過ぎない。
「よー、おふたりさん」
「……んだよ、もっちー。せっかくこれからセンパイを泣かそうと思ってたのに邪魔すんじゃねー」
「なんでわたしが泣くのよ。秋埜の役目でしょ、こういう時に泣くのは」
「こいつがそんな殊勝なタマなわけないのでは?」
まあそれもそっか。
割といー感じで秋埜と居並んでいたところに乱入してきた今村さんに、わたしは腹も立たず肩をすくめるのみ。まあこの一年に限ればわたしよりずっと長く一緒にいたんだしね。
…あ、そういえば今村さんといえば。
「ね、今村さん?」
「ほい?」
なんだかまた秋埜とほほえましー諍いを始めようとしてたところを、仲裁のようなタイミングで口を挟む。
「星野さんとは最近どう?」
「あゆあゆですか。まー、結構仲良くしてもらってますが。それがなにか?」
「ん?ええと、連絡はとりあってるけど、あんまり今村さんの話題が出なくて、どうしてるのかなー、って思って」
「あー、それがですね。何やら大学の友だちに迫られてぐらついてるとゆーか、まあそんな感じかと。ちなみに相手は女の子だそうで」
それは良いことを聞いた。先達として然るべきアドバイスを助言する機会を楽しみに待つことにしようと思う。
「それより先輩。いいネタがあるんですが。買いません?」
「内容によるけど。なに?」
同級生に声をかけられてそっちに気を取られてる秋埜を横目に、今村さんは声を潜めて顔を寄せてくる。いたずらっぽい笑みは相変わらずの彼女だった。
「実はですね。あっきー、さっきそこで下級生にコクられてましたぜ。しかも女子。先輩に雰囲気の似た清楚系の美少女でして」
「へ、へー……」
「…動揺してます?」
「してみゃい」
してない、と断言しようとして失敗した。いやだってそりゃするでしょうよ。わたしによく似た美少女ぉ?聞き捨てならない。まあわたしが清楚かというと、あまり自信は無いのだけれど。だって、ねえ?
「あーっ!おいもっちー!センパイにあることないことふき込んでんじゃねーっ!!」
「別に無いことはふき込んでおらんよ?見たまんま伝えただけだし」
「なお悪いわっ!」
「あはは…」
見たまま伝える方が都合が悪い、ってどーいう意味なんだか。
まあ秋埜が特に下級生の女の子にモテる、ってうのは去年一年で痛感したからなあ…わたしが卒業したあと、わたしと恋仲だっていうのが知れ渡っちゃって、もともとボーイッシュで気ざっぱりしてるコだから下級生女子から人気が出ちゃって。もう学校に入れないわたしとしては気が揉めて仕方なかったもの。緒妻さんが卒業したあと、大智のことでご機嫌損ねる気分がよく分かったものだ。
…と、この場にいない友人二人のことを思い出しているとスマホに着信。
「…もしもし。大智?卒業おめでとう」
『さんきゅー。リン姉は今アキのところか?』
「聞くまでもないでしょ、そんなこと。話する?」
『んや、どうせ後で合流するからいんじゃね?』
大智は、卒業後は大阪の大学に入学する。もちろんサッカーの選手として誘われてのことだ。
緒妻さんに聞いたところによると、大学のサッカー部としてはまた随分大きくて実績もあるところのようで、高校の強豪校チームで正ゴールキーパーとして活躍してもすぐに選手として試合に出られるという保証も無く、また一から上り詰めていかないといけない、ってことだ。
ちなみにそんなことを教えてくれた緒妻さんは、四年間の遠距離恋愛が確定したことでどんよりしていた。この後、四人で会った時に幼馴染みとして慰めることになるのは間違い無いだろうと思う。
「……んじゃなー。あとで電話よこせよー」
「おー。そっちもお幸せになー」
言われるまでもねー、って言い返してた秋埜がやって来る。
互いの近況を報告しあってたわたしは、そのことを告げて大智からの電話を終えた。
「センパイ、お待たせしました。誰からです?もしかして浮気?」
「そんなわけないでしょ。大智からよ。この後のことで連絡してきただけ」
「おー、そういや緒妻センパイとは久しぶりで楽しみっすね。それじゃ行きましょ」
秋埜の荷物は、卒業証書を入れた丸筒のみ。花飾りのついた名札と共にそんなものを携えていれば、どこから見ても立派な卒業式帰りだ。
「ん?センパイ、どしました。うちの胸元とか見て。あ、もしかしてまた制服でしたくなりました?いやー、あの時のセンパイはかーいくてしかたなかったですしー。どすか?制服でやる時の背徳感とかは」
「わたしが後ろめたかったのは卒業した後も制服着ることに対してよ。っていうかひとの目のあるところでそーいうこと言わない」
あははー、とこの間久しぶりに制服姿を秋埜に披露した時と同じように、笑われた。何のために制服を着た…というか、着せられたのかといえば、まあ、そういうことなんだけど……現役時代に制服でできなかったから取り戻そう、とかで。
「いーじゃないすか。センパイだってすんごい盛り上がってたんだし。またどーすか?」
「最初から最後まで秋埜が攻めっぱなしでなければね。わたしにも少しはいじめさせなさい」
「んじゃ、卒業記念に近々しましょ…どしました?」
また妄想をまくし立ててる秋埜の、制服の上着をじーと見てるわたし。
その視線の先には、本来あるべきものが、存在してなかった。
「……あの、なんです?」
わたしの不穏な気配を嗅ぎ取ってか、並んで歩きながら僅かに距離を取る秋埜。
そうはさせじと、わたしは彼女の腕を取って引き寄せる。そして、耳元に口を寄せて言った。
「秋埜。ブレザーの第二ボタン、どうしたの?」
「ひきゅっ?!」
…ひきつけを起こしたように伸び上がって、動きが止まる。これは白状したも同然なのだけど、その口から言わせないと、わたしの気が済まない。
「誰?」
「だだだ誰とかゆわれましても…なんのことかとー…」
「さっき告白してきた、ってコ?そんなに可愛かった?わたしより?」
「センパイ以上にかわいいコなんかいるわけがー…………あー、まあそうです。泣いて頼まれたんでは冷たくも出来なかったんで……すません」
「………まあいいけどね」
それにしても、女子の身で第二ボタンを乞われるってのもねー…どこまでも男前な女の子だ。わたしにとっては誰よりも素敵な彼女なんだけど。
「…あのー、そんなに怒るなら取り返してきましょーか…?」
けれど、そんなコが
「あはは…そんなことしなくていいよ。その子だって良い思い出になっただろうしね。それを邪魔するほど嫉妬深い彼女でもないよ、わたし」
「そすか…あー、でもジェラシってるセンパイは、まあ、かわいーと思いますんで」
「ありがと」
割と本気で言ってそうだったので、捕まえていた手を離し、わたしはスキップ気味に一歩前に出た。
顔の横に秋埜の視線を感じつつ、そのまま話もせずにのんびり校門に向かうと、わたしたちを追い越していく人波の向こうに出口が見えた。ここが、わたしたちを子供から旅立たせてくれる場所だ。
卒業生を見送る先生方の姿もある。わたしの知っている先生ばかりだ。卒業してから一年しか経っていないのだから当たり前だけど、その中に一際馴染んだひとがいた。
「先生。お久しぶりです」
「…久しぶり、じゃないわよ。こないだは世話になったわね」
秋埜より先に、相原先生に声をかける。ちなみに「世話になった」というのは先生の三回目のお見合いの件だ。またもやおばあちゃんに世話してもらって、結果としては…わたしを見る苦虫噛み潰したような視線が全てを物語っていると思う。
「まあ諦めなければそのうちいーことありますよ」
「…そうね。三十を過ぎるとかえって焦りもなくなるわ。じっくり相手を探すことにするわよ」
「三十過ぎると時間が経つのが早くなるっておばあちゃん言ってましたけど」
「ほんっと最後の最後まであんたは一言多かったわねっ!!」
いうてわたし卒業したの去年ですけどね。
…とは言わなかった。流石に人目を集めて先生も居心地悪そうだったからだ。
代わりに秋埜の背中を押して、先生の前に立たせる。最後くらいは締めてもらわないとね。
「ういす。ほいじゃーオバさん。お世話になりました」
「オバさん…?」
「……せんせえ。ありがとーございました」
「…なんか引っかかるけど。まあいいわ。卒業おめでとう、鵜方さん。もう二度と来るんじゃないわよ」
なんだか刑務所を出所するみたいに言われた。
まあでも、そこから先は、わたしの出番だ。
続く卒業生に、一転して愛想よくにこやかに応じている先生をあとに、わたしと秋埜は校門を出る。
その一歩目を、後から出てくるひとの邪魔にならないよう門の脇に避けながら、秋埜の手を握って引き寄せ、わたしの前に立たせる。
「秋埜。卒業おめでとう。それから…自分で選んだ道へ、ようこそ」
わたしはこれから、あなたと並んで歩いていく。
それぞれが選んだ道を、互いの存在を認めながら。
だから、ここでわたしとあなたはお終い。今からわたしとあなたは。
「ういす。センパイ……じゃないすね」
うん。分かってる。その一言目を、わたしは望む。
「麟子。一緒にいっぱい、見つけていこ?」
再び、寿ぎの桜吹雪が舞っていた。
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