最終話・月と海の見守る中で

 「もー、今日は散々だった…」

 「あはは。まーいいじゃないすか。きっと明日起きたら全部思い出して当分は大人しくなりますって」

 「あまりにもヒドすぎて忘れたふりされそうな気もするけどね…」


 泥酔の末に大いびきで寝始めた段になり、リビングを片付けて、先生はもう毛布をかけてほっとくことにして、わたしと秋埜は二階のバルコニーで夜の海を眺めている。ちょうど木の間に太平洋が見えて、海風が心地よく渡ってくるのだ。


 「……んー…っと。今何時頃です?」

 「え?あー、スマホ持ってきてないや。分かんないけど十時頃じゃないのかな」


 海風に頬を撫でられながら大きく伸びをした秋埜は、手すりにもたれて海を見るわたしの肩に、頭を持たれかけさせてきた。さっき気がついてしまった通り、同じシャンプーを使ったわたしたちだけど、片付けのあとにちゃんとお風呂にも入った後の香りはそれぞれがまとう匂いと混ざり合って、微妙に違うものをたてている。それが余計に、秋埜の存在を強くわたしに意識させていた。


 「…センパイ、照れてます?」

 「……うん」


 微かにもった、秋埜の声。鼻にかかるような、甘えた調子は、いつだってわたしの心を波立たせる。


 「せんぱい。キス」

 「ん」


 それはきっと秋埜も同じ。わたしは傍らの秋埜の肩を抱いて、顔を寄せた。待ち構えていたかのような秋埜の唇とわたしの唇が、そっと触れて、離れた。


 「……先生、寝ちゃってるよね」

 「……ですねー…」


 その言葉の意味するところは、二人とも完璧に理解している。

 こんな機会が訪れることは祈るように願っていたけれど、本当にそうなるとやっぱり……きゃぁっ?!


 「…せんぱい、ドキドキしてます」


 少し肩を離し、その代わりに秋埜がわたしの胸に触れていた。シャツの下には下着しかなくて、はげしく震える心臓の鼓動は、秋埜の手のひらに伝わっている。


 「…そりゃあするでしょ。好きな子と、初めての夜を迎えるんだから」

 「…せんぱい、大好きです」

 「…うん。わたしも、大好き。あきの」


 もう一度、唇をあわせた。つい舌を入れてしまいそうになったけど、秋埜はすっと離れてそれを拒む。


 「秋埜?」

 「せんぱい。続きは……どっちで、します?」


 その意味するところは、わたしの部屋か、秋埜の部屋か、どちらで?ってこと。でも、その答えは決まってる。


 「初めてはわたしの部屋がいい、って言ってたよね。だから、わたしの部屋に、いこ?」

 「……はい。りんこ、せんぱい」




 カーテン越しに差し込む月明かりの中、秋埜の裸身が浮かび上がる。

 こんなシチュエーションで抱き合えるだなんて、ちょっと出来すぎかもしれない。


 「せんぱい」


 か細く、どこか不安な様子で呟くように秋埜はわたしを呼んだ。

 ここはわたしの部屋。わたしは、秋埜を迎える立場だ。だから、秋埜と同じように裸になったわたしは、ベッドの上で手を差しのべた。


 「秋埜…いいよ。一緒に、なろ?」

 「……はい」


 それで何もかも、わたしたちを押し止めていたものは解けた。

 しっかりした足取りでベッドに近づき、秋埜はベッドに手を掛けて、わたしに覆い被さるように近付いてくる。体の動きに合わせて、目を見張るような大きなものが揺れていた。


 「……いいなあ」


 思わず漏れ出る本音。ああそうだ、わたしは気にしてない風を装って、その実結構秋埜の大きなものが、羨ましかったんだ。


 「別にいいことばかりでもないすよ。肩は凝るし走ると疲れるし」

 「それは持たざる者にとっては決して負けられない挑戦だと思う」

 「んー、でもまあそういうことは別として。せんぱい、ほら…」

 「え?」


 所在なく自分の足の上に置かれていたわたしの腕をとり、秋埜は自分の胸に押しつけた。服の上からは何度か触ったけれど、直接触れるのはこれが初めてだ。少ししっとりとしてる。


 「どです?」

 「……やわらかい」

 「でしょ?これ、全部せんぱいのものです。うちがうちでいた時と一緒に過ごしてきたもの、全部、せんぱいのものになるんです。だから思ったとおりに…ひゃぅっ?!」


 揉んだ。優しく、愛情こめて。その手触りのもたらす心地よさを楽しんで、秋埜を啼かせたくて。揉んで、摘まんで、また揉んだ。


 「あ、あ……ンっ……せ、せんぱい、もーちょっとゆっくりぃ……きゅぅん……」


 わたしの手と指の動きに合わせて秋埜も身をくねらせる。切なくてたまらないのだろう。もっと近付きたいっていう秋埜の欲望は、でもわたしの手の動きで留められる。

 思った通りに、あるいは時折予想もしない形に姿を変え、秋埜の乳房はわたしのものになる。いいなあ、これ。やっぱり、欲しい…。


 「んんっ……だ、だからぁ、ぜんぶせんぱいにあげる、ってゆってるじゃないすかぁ……んっ…」


 一瞬、感想を講じたらその隙に秋埜がわたしを襲った。

 身体ごとやってくるように唇が押し寄せ、わたしの顔を覆い、そしてやっぱりそこが一番だとでも言うかのように、わたしの唇を塞ぎにかかる。

 わたしはいつだって、そんな秋埜の情欲には逆らえない。あっさりと受け入れてしまって、そして体のうえに被さってくる秋埜を待ち構え、それはかなえられた。


 「ん、ぷ……ン……」

 「はふ……ふン、う……ん…」


 二つの唇は重なり、その間で舌は交わり、そこからあふれる液体を互いに貪り、口元がぐちゃぐちゃになるのも構わずキスを続ける。

 それだけじゃあ足りないのだから、上になった秋埜の肌と下になってるわたしの肌が、少しでも触れる部分が多くなるようにと、わたしは秋埜の首のうしろに腕を回して固く抱く。秋埜もわたしの背中の下に腕を入れて、縛るようにきつく力をこめる。だから、唇から、胸元から、互いの熱を交換するように感じる。

 いつの間にか、足が絡み合っていた。秋埜の片足はわたしの両足の間に押し入り、わたしの片足も秋埜の真ん中に押し当てられる。そこも触れているのだから、やっぱり互いが自分よりも熱を持ったようにも思えて、少し効かせすぎたエアコンの風が通り過ぎると火照りを余計に感じてしまう。


 上半身はもっとひどいことになってる。

 わたしのつつましいものと、秋埜の自由に形を変えるものがまるで混ざるようにせめぎあい、そこでわたしたちの一番感じるところが行き交い、すれ違い、時折交差して、その度に塞がれた口の中で快感のうめきを生む。

 そんなことをどれだけ繰り返していたのか。

 荒い息を吐きながら間近で見つめ合うと、次にしたいこと、して欲しいことが言葉にせずとも伝わった。


 「せんぱい……したのほー……いい?」

 「うん……あきのに、あげる。わたしのだいじなもの、ぜんぶあげるから……もらっきゃぁっ?!」


 わたしの返事が全部終わる前に、秋埜の欲望がわたしの腰から下をおそった。

 まず、指が。あてられて、弾かれて、先で浅く穿うがたれて。それだけで、わたしは腰が高く跳ね上がり、痺れるような快感が、ソコから腰を経由して脊髄と、脳髄を貫通する。仰け反って、その逃げ場のない快楽を逃がそうにもわたしの体はそれを許さない。

 両手をばんざいのように上げ、もう忘れ得ないだろう悦びが体中を駆け巡る中、ふっ、と優しい瞳がわたしを覗き込む。


 「……ん」


 短いキス。まるで行ってきます、を告げるような触れあいのあと、秋埜のやわらかくて熱いものはわたしの唇を離れ、あごのさき、のどもと、胸の間…でちょっと寄り道。それからお腹を這い、おへそのくぼみに一瞬とどまったあと、そこを離れる時は名残惜しそうだったけれど、そこから先にあるわたしの歓喜に向けて、ぜはしる。

 もうすぐ。心待ちするようにくねるわたしの腰を秋埜は両手で抱き、それから腕を器用に繰って足をはしたなく開かせた。その間には秋埜の顔があって。見えちゃう。誰にも見せたことのないところが、秋埜の顔のしたにある。そう思っただけでわたしは溢れる。大好きなひとに、すべてを奪われる。その想像だけで、わたしは歓喜に果てた…短く。


 「……りんこの、ここはぜぇんぶ……うちの、もの、だよ?……っ」


 けれど、それは続いてやってきたモノに比べれば児戯に過ぎなかった。

 秋埜が含んだその瞬間。わたしは、とんだ。

 含んで、押し広げられて、隠されていたものをあばかれて、こんなものがわたしのうちにあったのか、と自分でも泣きたくなるくらいに、ぜんぶひきずりだされた。

 ……ううん。泣いていた。わたしは、あきのにじぶんをさらけ出されて、生まれて初めて流す涙を、ながしてた。


 (あ………あ、……ああ………)


 声にならない叫び。絶叫は喉の奥からではなく、おなかのしたの方にある、自分自身から発してた。

 動けないことでわたしのうちに生まれた悦楽は行き場を無くして暴走し、手の指の先からつま先の先にまで何度も何度も行き交い、やがて静かに、ゆっくりと、また元の場所に戻っていった。


 「………んっ。どう?りんこ…」

 「あっ、は、はあっ、はぁっ…はあ、は、あ……あ、あ。…あ、きの…ぉ………」

 「うん……」


 おかえりなさい。

 もぞもぞとわたしの下半身から這い上がってきた秋埜の顔に、そんなことを思う。

 わたしの漏らしたもので彼女の顔はえらいことになっていた。だけど、そんな秋埜の顔がとても愛しくなって、わたしのもので濡れた頬を撫で、鼻のあたまにそっと唇をあて、拭うようにそこを始めとして、舐め取ってあげた。秋埜はその間、くすぐったそうにわたしにされるままだった。

 それも一通り終わると、そこにあったのは秋埜の泣きそうな顔だった。


 「せんぱい…うち、すんごいせつないです……」

 「…うん。じゃあこんどはわたしが……よろこばせて、あげる」

 「………はい」


 それにはどんな意味があったのだろうか。秋埜の、両のまなこから溢れたもの。わたしはまた、それを自分の唇で吸い、わたしの指と舌の及ばないところが彼女の体のどこにも残らないよう、全てをこうする。




 それから何時間、そうしていただろうか。

 上になり、下になり。前にも、後ろにもなった。撫でたり舐めたりしてるだけじゃ物足りなくなり、いちばん感じるところを重ねて激しく喘いだりもした。そういう行為があるって、二人とも勉強してたはずなのに、いざその場になるとそんなこともすっかり忘れて、体と心の欲望に導かれてしていた。何度も何度も繰り返し…ううん、その都度新しい悦びが沸き起こって、止むこと無く続けてしまった。わたしも秋埜も、繰り返される度に、お互いを求める本能が覚まされ、だから止められなかった。

 それでもいつしか体は休みを欲する。そんなとき、気がつくとはにかむような顔が隣にあり、エアコンの静かな駆動音と、外から聞こえてくる波の音に誘われるように、手を繋いで微笑みあって、そこにお互いがいることを感じて、また……。



   ・・・・・



 「………おはよ、秋埜」

 「………ん、んー……おはよござますー……」


 なによそれ、って可笑しくなった。

 朝になって、布団の中で目が覚めた。頭は布団から出て、間近で秋埜と向かい合ってる。疲れ果ててあとは、ずっとこの格好で寝ていたみたい。

 腰から下はしびれたものがまだ残ってて、満足に体は動かせなかったけれど、あれだけ体を動かしまくったのに妙につやつやしてる秋埜の顔に手を伸ばし、もう一度おはよう、って告げた。

 …つやつや、っていうかなんだかガビガビしてる。そういえばお互いの出したモノはそのうちどーでもよくなって、そのままにしてた気がする。

 シーツに手を当てると、また結構な範囲が濡れたままだった。後先考えてなかったけど、洗濯しないといけないだろーなー…これって、全部わたしたちの体から出たものなのか。とんでもないな、人体。


 「せんぱい、よくそんなこと恥ずかしげもなく言えますねー…」


 そんな、我ながら身も蓋もないことを言ったら、秋埜が真っ赤になって布団に潜り込んでいった。

 あの、秋埜?そこにいられるとわたしの裸全部見えちゃうんだけど…ひゃぁっ!


 「くふふふ…あれだけ感じたのに、まーだこんな敏感だとかセンパイはほんとすけべですねー」

 「そんなのお互いさまでしょーが。秋埜だってね、いくときすんごい声出してたんだからねっ。あー、あのかわいい秋埜の声、またききたいなー」


 布団の中でわたしのお腹をつついてた秋埜が失礼なことを言う。そんなのお互いさまどころかむしろ秋埜の方が声大きかったでしょ……お……おーきな、声?


 「……あの、せんぱい」


 秋埜も同じことに気がついたのか、俄に青ざめていた顔で浮上し、多分同じ色になってるわたしと顔を見合わせる。


 「……わかってる。先生…起きてるかな…」

 「……見に行って…みます?」

 「そ、そうね…あれだけお酒呑んでいたんだから、きっとまだ寝てるよね…?」


 ベッドから這い出て、わたしと秋埜は体を隠すことも忘れて一階に降りていく。いや流石にそれはどうかと思ったので、わたしの部屋の毛布を二人で分け合い、裸を隠してリビングへ向かう。

 そして、そこにあったのは、ぜつぼーだった。


 「……いない」

 「き、きっとうちらがまだ寝てるうちに起きて散歩とかにいってるんすよそーに決まってますっ」


 出来ればわたしもそう思いたかったのだけれど…見つけてしまったのは、きちんと畳まれた毛布の上に置いてある、メモ用紙と一万円札。

 毛布ごと秋埜をひきずってそこに近付くと、世にもキレイな字で書かれた手紙があって。


 「……あの、センパイ…」

 「う、うん……読むね…」


 いちいち宣言するのも躊躇われたけれど、読むのが怖くてそうせずにはおれなかった。

 目を瞑って手に取った手紙を、おそるおそる見る。なるべく何も考えないようにして、とにかくそこにあった文字を読み上げることに専念した。


 「え、ええと……『あんたたちの盛ってる声が一晩中響いて寝られなかったので先に帰る。あんたらはせいぜい乳繰ちちくり合ってから帰ってきなさい。交通費は置いておく』………だって」


 くっついたままの秋埜に、「どうしよう…」って顔を向けたら、白目をむいていた。あいや、それはあくまでも例えで、でも毛布から剥がれ落ちるみたいに床に転げたのは事実だ。そして、しみひとつないキレイな背中をぷるぷる震わせてうずくまったまま、何かぶつぶつ言っている。


 「やば……これ、やばい……選りに選ってオバさんに弱み握られた……どーしよ…どーしよ……」


 …まあそれを聞いて、わたしとしてはずっこける他ないわけで。気にするのそこなの?って。

 でもお陰で冷静にはなれた。なんかもうね、バレたのならあとは開き直るしかないわよね、って。


 「…秋埜。もうどーしよーもないから明日まで楽しんでから帰ろ?ほら、ちょうど良い具合にお小遣いももらったことだし」

 「……センパイ、いざとなるとキモが据わってますね…うちは帰ってから何言われるかと思うと…」


 あはは。

 まあ、そうだ。なんていったって、秋埜を守るのは昔からわたしが自分に課した務めだもの。秋埜が怯えて震えてるなら、わたしのやりたいことなんて一つしかない、ってものよね。


 「んっ!…っと。じゃあさ、とりあえず…お風呂入ろ?なんなら一緒に入る?」

 「…なんかそーいう気分じゃないんで、センパイお先にどーぞ…」

 「分かった。お風呂出たら…うん、たくさん朝ごはん食べて、それで今日は一日海で遊ぼうか。近くを散歩してもいいしね」

 「恋人がなんかもー無敵すぎる件について…」


 意味は分かんないけど、わたしが秋埜を引っ張っていかないといけないことだけは分かった。

 まずお風呂を沸かす。朝ごはんは…えーと、今日の朝食で持ってきた食パンと、まあオーソドックスにハムエッグでいいか。


 「秋埜?とりあえずお湯沸かしておいて。コーヒーくらいなら入れられるでしょ?」

 「……うい。センパイがいつも通り過ぎて悩んでるのがバカバカしくなってきたんで。あ、お風呂一緒に入りましょうか?」


 さっきと言うことが違う。でもま、元気になるのはいいことだ。だから、きっとわたしたちの旅行は良いものになる。

 そんな予感が確かなものだということだけを確信して、わたしは今日という日を始める。


 「…あ、そうだ。秋埜」

 「ほえ?」


 のそのそと立ち上がった、愛しの彼女に一つだけ訂正する。

 二人とも裸のままだから、間の抜けた光景には違いないだろうけど、どうせ誰もいないのだから問題はない。


 「いつも通り、ってことはないよ。わたしと秋埜は一つになれた。だから、今日から始まる全てのことは、また新しいことなんだから。でしょ?」


 秋埜は一瞬ぽかんとして、それから言葉の意味がゆっくりと分かったみたいに表情を変えていって、そして。


 「センパイっ!……今日はうちらの…新婚初日っすね!」

 「そういうことと違うっ!!」


 …なんかもー、秋埜は相変わらず秋埜なのだった。

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