第10話・しやわせの対称性

 八月に入って最初の日曜日、のことだった。


 「これ!ずぇったいこれっす!」

 「………あの、秋埜…こんな布地の少ないの無理だって…」

 「どぅわいじょうぶっ!……す。センパイならずぇったいにあいますっ!」

 「………鼻息荒くして迫るな。あと着替えるから試着室から出てってってば」

 「いーじゃないすか、女同士なんだから」

 「だから鼻息荒くして迫るなっつーの!身の危険しか覚えないわよ、もー……」


 お盆明けに、秋埜のお母さんのご実家からの招待で海の方の別荘にお邪魔することが決まっている。そこで先立つものを買いに来た、とゆーかこれはもうほぼお約束、というものだろう。水着をわたしに買わせるイベントが、発生中なのだ。

 正確には秋埜がわたしに着せたい水着を選ぶイベント、って方が真実には近いのだけれど、ある意味高校生離れしたないすばでーの秋埜がわたしに似合う水着を見繕うとか、嫌味か!


 「ちがいますって。似合う水着を選ぶんじゃなくて、うちがセンパイに着せたい水着を選ぶんす。そこんとこ間違われると水着の選択に文字通り水を差される、ってもんです。水着だけに」

 「上手いこと言ったつもりでいても誤魔化されないわよ。大体さっきからミョーに露出の多い水着ばかり押しつけてるじゃない。わたしスタイルには自信が無いんだから、もっと大人しいのを選んでってば。そーいう派手なのは自分で着て」

 「だってこんな可愛いカノジョなんだから、世界が目も眩むよーな姿にしたい、ってうちの願いなだけじゃないすか。ねー、せんぱぁい…ダメすか?」

 「ぐ……そんなくらくらするようなこと言われただけでわたしが言うことをきくと思われるのも……って、秋埜。わたしにあんまりいーかっこさせると、他の男の子とかの視線集めるけど。いいの?」

 「そんなこと言ったらセンパイを水着にするトコから諦めないといけないじゃないすか。さもなくばビーチをセンパイ専用にするとか」

 「あほなこと言ってないで出て行け。いいからわたしが着たいものを着させろ!」

 「……うー、わかりました。でもセンパイ、腰もほそいし足も長いんすから自信持っていーすからね?ただ胸が平均以下なだ」

 「いいから出て行けっ!」


 二人が入ってもまだ余裕のある試着室から失礼なことを言う秋埜を蹴り出す。


 「せんぱーい。なんでもいーですけど着たら見せてくださいねー」

 「わかったってば。恥ずかしいから静かにしててよもー」


 追い出したっていうのに、カーテンの向こうから秋埜の声が聞こえてきた。平均以下の水着なんか見て何が楽しいんだか。


 「まだですか?」

 「わぁっ?!」


 …ブラを外したところで覗かれた。男のひとが入れない女性用水着専門店だからってそーいうことすんな、ばか。




 よくよく考えると、わたしは学校の授業以外で水着とゆーものを着たことがないのだ。

 いやあることはあるんだけれど、家族と海水浴なんてものに行ったのは小学生の頃が最後で、中学になって以降は友だちと泳ぎに行くことなんてなかったから、結局学校指定の水着以外を身につけることなんてこれが初めて、ってことになる。本当に日本の高校生か、わたしは。

 …な、ものだから、女性ものの水着っていうのがこんなに種類あるとは思わず、秋埜に押しつけられたものと、トルソーが装着してたのを見て自分で選んだものと、絞ってはみても全部試着してたら半日はかかりそーな有様なのである。秋埜は「着替えるの手伝いますよ?」とか言ってたけどうっさいわ。


 そして即席の水着ファッションショーが始まった。




 まずはタンキニ、といういかにもコーコーセーが着そうなタイプ。


 「露出少ないので無しで」

 「基準そこなの?」




 続いてはいかにも「ビキニ」ってタイプの、要所要所が紐になっているもの。やけに面積の少ない、秋埜が最初に「これを着せたいっ!」ってコーフンしてたやつだ。


 「センパイさいこーにセクシーっす!」

 「……これ着て動いたら解けそうで不安なんだけど」


 っていうか、下着着けたまま試着してるから、すんごい間の抜けた格好になってる。鏡の中の自分の姿に思わず脱力。




 ワンショルダービキニ、というのはわたしと秋埜の妥協の選択だ。どーしてもビキニを着せたい秋埜と、例えビキニでもなるべく露出を減らしたいわたしの意見のせめぎ合いがあったのだ。あのー、わたしが着る水着なんだけど。


 「んー、色はセンパイに似合ってるんですけど、なんかこお……うーん」

 「どっちにしてもおへそ見える水着はなんだかなあ…秋埜、オレンジは嫌いだったっけ?」

 「いえ、色としてはスキなんですけど、なんか脱がせ甲斐が無さそうなデザインなんで」


 そんながっついたこと言われてもなあ。




 「無しで」

 「わたしはかっこいいと思うんだけど…」


 ハイネックのワンピースは秋埜には不評だった。競泳用水着みたいに割とぴっちりしたデザインで、あんまり胸のサイズがないわたしでも腰の細いのが強調されて悪くない。


 「だって脱がせにくそーじゃないすか」

 「結局あんたはそれか」


 脱がせやすい、とゆーのは水着の機能とは全然関係ない。




 わたし的にはワンピースを選びたいんだけれど、秋埜がかなり強硬に反対する。

 脱がせたいとかそーいう寝言が主な理由なのだとしたらデコピンでもお見舞いして黙らせるところなのだけど、秋埜曰く「…だってセンパイ、今まで学校の水着しか着たこと無いってゆったじゃないすか。せっかくかわいー女の子なんすから、水着のお洒落くらいしてほしーな、って」……だって。

 そんなことを言われてしまえばわたしとしても、少しばかり冒険してもいいかもな、って気にはなる。なんか大分いいように操縦されてる気もするけど、わたしだって見てくれるのが秋埜だけなら素敵な水着を身につけるくらいのことはしておきたいのだ。


 というわけで、あれこれ選んでホルターネックってタイプのビキニにした。パンツの方もパンティースタイルの大胆なタイプだ。秋埜も喜んで…というか興奮してた。あとホルターネックはバストサイズを強調する効果がある…って秋埜に聞こえないトコで店員さんに教えてもらったこともある、というのは墓場まで持っていく秘密にしよう。うん。


 ちなみに秋埜は買わないのか、と思ったらわたしの買い物が終わったら一着目でさっくりと選んでしまってた。何を買ったのかとゆーと…もう、着てるところを見せてもらったら思わず目眩がするよーな、大胆なビキニ。ブラジリアン、ってやつだ。本当に十七歳かこの子わ、と思わず天を仰いでしまったわたしなのだった。




 「でもセンパイのカノジョっすよ。ほら、センパイがぁ…このぼでーをスキにしていいんですから…ね?」

 「他のひとが聞いてそうな所で妙なコト言わない。ヘンな気分になったらどーするの」

 「……なるんすか?」

 「………まあ、わりと」


 目を逸らして多少の気まずさを伴いながらそう言ったら、フードコートの丸テーブルに頬杖をついてた秋埜が真っ赤になっていた。何を想像したんだろうか。ていうか、秋埜ってわたしをいぢめたい、とか常々いう割に、わたしの方から反撃するとあっさりとろけるよね。そこがまた可愛いんだけど。


 「…せんぱい」

 「ん?」


 そうして、テーブルに突っ伏したかと思ったら顔をあげてこっちを見上げたり、なんか甘える仔猫みたいな仕草の秋埜だったけど、テーブルの上に置いたわたしの右手に自分の両手を重ねて、とても切なそうな顔で言う。


 「今度の旅行の最中に、いっしょになれたらいーすね」

 「それはないでしょ。お父さんやお母さんと一緒なんだから、健全極まり無い旅行にしかならないわよ」


 だからそういうものとして楽しも?って言ったら、口を尖らせてた。

 まあ、ね。何度かそーいう機会もあってそーなりかけたし、わたしも秋埜にもそーいうつもりはある。けどなかなかなあ…。

 わたしは、大学は緒妻さんみたく自宅から通える都内のところを志望している。今のところ進学しても家を出ることはなさそうだから、秋埜との往き来も来年の一年間は今までと変わらないだろうと思う。

 まあそれは悪いことと言い切れるものじゃないのだけれど、かといってわたしたちの関係に変化が欲しい、ってなった場合は…微妙だ。


 「もーすこし我慢すれば…って目がないのもちょっとありがたくないすよねー…センパイ、うち都内に部屋借りるので、どーせいしません?」

 「多分それはうちの家族が許さないと思うけどね。相手が秋埜でも」


 いくらなんでも恋人と同棲するために家を出ます、なんてことが許されるわけがない。一人前になってからならいざ知らず、学生の身分のうちにそこまでする気は無い。わたしも秋埜も、きちんと世の中に認められるように行動しよう、って点では意見は一致しているのだから。


 「ほいじゃーセンパイがどっか遠くの大学に進むとか」

 「それで来年一年間、遠距離恋愛する気、ある?」


 ないですね、とテーブルに伏せたまま、秋埜はため息をついた。けっこー色っぽい仕草だった。


 「結局、なるようにしかならないって、わたしはそう思ってるから。あせらないでいこ?ね?」


 そして、秋埜のそんな顔を見ると際限なく甘やかしたくなるわたしだから、重ねられた手を握り返して、優しくそう言ってしまうのだ。


 「ん、そすね。うちらがちゃんとやれば、かなわない願いなんか無いって、思います」

 「うん」


 それでうまく話は収まった。なんだか大事なことを後回しにしてるような気がしないでもないけれど、子供の自分たちだけで解決出来ないことがあって、それをやっぱり自分たちの手で解決したいというのであれば先送りするというのも、一つの手だとは思うのだから、ね。


 「あ」

 「え?どしました、センパイ」


 子供では解決できないこと、で思い出した。


 「秋埜、そういえば先生のお見合いって結局どうだったの?あれから話聞いてないんだけど」

 「あ、あー……あれっすか…」


 いくらなんでも従姉妹で学校の先生を「アレ」はどーかと思うのだけれど、反応からして秋埜的にはあんまり芳しくない展開のようだ。よっぽど上手くいって聞きたくもない話を聞かされているか、それとも完全に破談になって聞きたくも愚痴を聞かされているかのどちらかだと思うけれど、と水を向けたら、少しフクザツそーな顔になって逆に尋ねてくる。


 「…センパイは、おばーちゃんから何か聞きました?」

 「うちのおばあちゃん?えーと…ご縁のありそうな若い方を引き合わせるのが自分の務めだから、その後のことはご本人同士のお話ですしねえ、って何も教えてくれなかった」


 その後、聞きたがってたわたしを特に窘めもしなかったから、秋埜の身内であるところの相原先生のお見合いのその後に興味を持つこと自体にあれこれ言うつもりも無いのだろうけれど。でもそんな慎重になるほどの話なのだろうか。


 「いえ、そーいうわけでは。ただ、おばーちゃんもそんな感じなら、うちがオバさんに聞いている話はそれほど間違いないのかなー、と。ええまあ、早い話がオバさんがえらく舞い上がってしまってまして。一人だけの思い込みでお相手に迷惑かけてんじゃないかと心配してたんすけど、そーいうことでもないならまーほっといてもいいか、と」


 随分なことを言ってるよーな気はするけれど、未成年の身で従姉妹のお見合いに付き添いとして無理矢理同行させられたんじゃあそれくらい言ったってバチは当たらないよね…。


 「です。ホテルのレストランでいいもの食わせてやる、って呼ばれて行ってみたらお見合い会場すよ?何が腹立つって、そんなことで釣られてしまった自分の学習能力の無さにですっ!」

 「わたしをほっといて自分だけごちそーになろーとした点も付け加えておいてね」

 「あう…」


 冗談めかして言ったのに、秋埜はマジにヘコんでた。わたしがそれほど食べることに執着ないのは知ってるんだから、そんなに気にしなくてもいいのに。


 「…うー、センパイはもーちょっと太ったほうがいーすよ…」

 「またそれ?…って何してるの」


 まだテーブルに伏せったまま上目遣いの秋埜が、わたしの手の甲にあてた人差し指を、感触を確かめるようにしながら肘のところまで、それから二の腕に達して半袖の中にまで滑らせていた。絶妙の圧で撫でるその手付きは、切なそうな秋埜の表情とあいまって、ほとんど愛撫じみている。わたし思わず生唾をゴクリ。


 「……まえにくらべればふんわりしてきましたけど。以前はガリガリのりんこちゃん、でしたからねー」

 「そこまでじゃないと思うんだけどなあ。男の子って極端に痩せてるよりは多少は肉付きいい方が好きなものだから、わたしだって限界ダイエットなんかしてなかったもの」


 …わたしは小学生の頃、いかにもな可愛い女の子、って外見にコンプレックスがあって、わざとのように乱暴な男の子っぽい振る舞いをしていた。いじめられっ子だった秋埜をかばっていたのも、まあ最初は大智のついでだったんだけど、そんな正義感というか格好つけみたいなものが始まりだ。

 でも、中学一年の秋頃から、大智が緒妻さんを意識し始めたのと前後して我ながら女の子っぽいかわいらしさを演出するようになっていった。もちろん、当時自覚の無かった、大智への恋のため、だ。男の子の気を引くために、なんてことを、そうと意識せずにっていうより気づかないようにしていた。で、まあ男の子の好みなんてものに一家言あるのも、その影響だったりする。


 「センパイは、一般的男の子なんかよりうちの好みに合わせるべきっす」

 「分かってるって。もうあんな良くないことするつもりはないから」


 良くないこと、っていうのは、自覚無く大智のために磨くつもりだった女の子らしいところが、大智以外の男の子にばかり気に入られてしまって望みもしないモテ期を迎えてしまったことだ。

 もちろん当時としては大智以外の男の子になんか興味は無かったから(意識的には大智のことなんか男の子として見てなかったのだけれど)、かわいい女子を演じて言い寄る男子をバッサバッサ切り捨ててたようにしか見えなかったことだろう。我ながらひどい話だと思う。


 「ならいいんすけど。でー、もう少しお肉つけるってのは…」

 「いくらなんでも限度ってものがあるでしょ。これでも去年い比べて………グラム増えてるんだから」

 「はい?」

 「…だから、……グラム」

 「センパイ聞こえません。てゆーかグラムじゃなくてキロでおなしゃす」


 ぐっ…!にやけ顔としたり顔のハイブリッドみたいな顔でこっちを見ている秋埜がムカつく!


 「……うー、言っておくけどね、あなたのために増やしたんだからね。だからこれは秋埜への愛の分増えた体重。いい?」

 「お為ごかしはいいですって。で、何キロ増えたんすか?」

 「…………二キロ」

 「はい?」


 わざとらしく耳に手を当て聞き返してくる秋埜が心底小憎たらしいっ!!


 「だから……二…キロよっ!わるい?!そんなに太ったわたしがおかしいのっ?!」

 「いやそんな……っていうかもー、二キロくらいでそんな死にそうな顔するとか乙女か!っすよ」

 「乙女よ!これでも!大体二キロっていったら全体重の五パーセントよ?!胸に駄肉つめたあんたと一緒にするんじゃない!!」

 「なんすか駄肉てもー。センパイだって興味津々なくせして。ほら」


 …と、下から支えるよーに自身のほーまんなバストを持ち上げて見せる秋埜。

 う、確かに張りとか弾力とかこの世に比肩するものない見事な感触なんだけどっ……じゃなくて。


 「……とにかく、あんまり女の子相手に太れー太れーって言わないで。体重増やさないで…その、秋埜好みになる努力はしてるんだから、それは認めてよ。ね?」

 「………………ういす」


 今のは端的に言って、我ながら「デレた」というものだろう。いや普段別にツンツンしてるわけじゃないけど、それでもわたしとしては顔と言葉と仕草でストレートに恋人への愛を表明するのは頻繁、というわけじゃあないのだ。基本わたしってひねくれ者だから……ん?仕草で表明?……あ。


 「……せんぱぁい」


 気がついたら、右手で秋埜の頬をそっとささえていた。秋埜はわたしの手のひらの感触が心地よいのか、そこに顔を預けてほおずりまでしてる。うーん、とっっっても秋埜がかわいいけど、公共の場所でやっていいことでもないよね…と諭そうとした時だった。


 「………むー、こんな時に電話してくるとか相変わらず不粋なオバさんですねー。はいもしもしあなたへの反逆者の秋埜すよー」


 無茶苦茶言うな秋埜は。

 と思って、相原先生からの電話に出る秋埜をじっと見守るわたし。照れて電話の応対が怪しくなる秋埜。多分スマホの向こうでは先生が何ごとかと察してまた呆れたように言っているのだろう…と思ったのだけれど。


 「は?あ、あのオバさん?なんで泣いて………えーと。どしたん………あ、あー………そすか。はあ。まあそれは……えーと、お大事にというかまあ…………おつかれさまでした………じゃ」

 「どうしたの?」


 なんとなく想像はついたけど、電話を切ってスマホを仕舞う、なんだか痛ましげな顔になった秋埜に聞く。

 そしたらまあ、秋埜にしては珍しいことに重々しく頷きながら、まるで人類の滅亡を予告するみたいな口調でこう言ったのだ。


 「……オバさん。お見合い相手にお断り入れられたそーで。このお話はなかったことに……って、アレです」


 …………今晩は泣き言を聞かされるので勉強する時間が削られることを早速覚悟完了する、わたしだった。

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