第6話・見えてなかったものが見えたからって解決するとは限らない、ってこと

 夏休み中だから関係は無いのだけれど、日曜日ということで秋埜以外誰もいないお宅に、今日はお邪魔している。

 お父さんは例によって応援しているサッカークラブの観戦に。観戦っていうか、応援に。一度、お父さんとお話しているときに、観戦と応援の違いについて熱弁されてたので、サッカーファンとしてはその両者は間違ってはいけないものらしい。


 「お、センパイいらっしゃー。狭いトコですが、どぞどぞあがってください。あ、お土産アリガトですね。ごちそうさまです」

 「う、うん」


 まるで我が家のように玄関で迎え入れてくれた今村さんに、甘玄堂の折り詰めを渡す。ていうか奪われる。

 それにしても友だちの家とはいえ、ヨソさまの家に「狭いとこ」も何もないものだと思うのだけれど、今村さんは同じマンションの同じ間取りの部屋に住んでいるので、別におかしなことはない…のかなあ。


 「おい、もっちー。一度礼儀ってもんを叩き込んでやろーか」

 「あだっ…なにをする、あっきー」


 やっぱり言われて気持ちのいいものではないらしい。エプロン着けた秋埜が後から出てきて、今村さんの後頭部をお玉で引っ叩いていた。食べ物を作る道具でひとの頭叩いたりしたら駄目でしょ。


 「あとでちゃんと洗っておきますって。それよりセンパイ、早く入ってください。あとはソーメンでるだけなんで」

 「うん、ありがと。昼食後のお茶は任せてね」

 「楽しみにしてます。あともっちー、お邪魔虫の自覚があるならそのチョコパイドーナツから手を離せ」

 「自覚?そんなもんはねえ!」


 わたしと秋埜の好物である、甘玄堂名物チョコパイドーナツが五つ入った小箱を頭の上に掲げ、今村さんは脱兎の如く鵜方家の居間に突撃していくのだった。なんていうか、相変わらずなコだなあ。


 今日は夏休みの宿題対策…という態で、秋埜の家に今村さんを交えて集合している。まあ宿題対策って言ったって、わたしは受験生だからそんなもの最小限しか無いし、そもそも今村さんは学年トップの成績を誇るから関係ないし、秋埜も成績こそ上位ではないにしても、勉強には真面目に取り組んでいるから対策するようなことも無いのだけれど。要は、今村さんと話をするための、名目だ。

 その宿題対策、っていうのも、折角だから秋埜の家でお昼を一緒してから、ってことで、まずはお腹をいっぱいにするわたしたち。

 秋埜の料理の腕はとっくに証明済みで、今日は用意してくれるってことでわたしも楽しみにしてたんだけれど、今村さんってそこのところどうなんだろう?ご両親が働いていて、弟がふたりいる、ってことらしいからそれなりに出来そうに見える。

 秋埜がソーメンを茹でている間、テーブルの方の準備をしてる最中にそのことを聞いてみたら、珍しく本気で困った顔になり、むしろ弟さんの方が料理は上手い、って教えてくれた。困るところを見ると、上手になりたいとは思ってはいる……けど、性格的に、珍しい料理は作れてもオーソドックスに毎日普通に食べられる料理は作れないのかも。もしそうなら今村さんらしい話ではある。

 でもま、今日のところは家事を長く取り仕切ってる秋埜のおさんどんだったから、三人でとても楽しく美味しい昼食になったんだけどね。


 「んー、ごっそさん。ほいじゃセンパイのお土産を早速開けまして」

 「おい、先に片付けろ。昼食わせたんだから、洗い物はもっちーが担当な」

 「しゃーないな。センパイ、並んで洗い物しましょ?新婚夫婦のように」

 「聞き捨てならねーことを言うな。センパイと新婚夫婦になるのはうちだっての」

 「独占欲強いダンナは嫌われるぞ」

 「そういう問題じゃないと思うんだけど」


 秋埜と今村さんのやりとりについては、これで大体いつも通りだ。そして二人の先輩たるわたしとしては、秋埜に大事にされるのは嬉しいのだけれど、ご馳走になった身なので洗い物くらいしないとね。

 わたしは立ち上がって食器を片付け始める。今日のお昼は夏らしく、ソーメン。つけ汁や付け合わせをいろいろ工夫して様々な味を楽しもうって趣向だったから、ソーメンにしては使った食器が多く、洗い甲斐はありそうだ。


 「あ、センパイいーですって。そんなのもっちーにやらせときゃいーんすよ」

 「そうは言ってもね、年長者のわたしだけ遊んでるわけにもいかないでしょ」

 「んじゃセンパイはこっちでうちとお茶の準備しましょ。おいもっちー。そういうわけだから頼んだ」

 「別にいーけど、片付け終えたら一回戦終わった後でした、ってのは勘弁な」

 「だそーです、センパイ。許可が出たので早速…」

 「ばか言ってないの。ほら、お茶出すから秋埜も食器持っていってってば」

 「ういーす」


 そんな短い時間で一回戦終わらせてたまるかっ!……なんて寝言は呑み込んで、勝手知ったる鵜方家の道具でわたしは紅茶の支度を始めるのだった。




 「うち、思ったんですが。このチョコパイドーナツにはダージリンじゃなくてアッサムの方がいいすねー」

 「そう?なら買ってきて良かったかな。今村さんはどう?」

 「ほぇ?あー、お茶ですか。あまり熱すぎない方が良いですな、宇治は」

 「日本茶の話じゃねーよ目の前の紅茶の話だよ。ぜんっぜん話に参加してねーなおめーは」

 「あはは」


 まあこうして、食後のティータイムも和やかに過ぎている。

 甘玄堂は都内にいくつか支店を持つ和菓子屋さんで、和菓子の名物はうちのおばあちゃんも好物の葛切りなんだけど、若い子には洋菓子を和菓子風にアレンジしたものが人気だ。このチョコパイドーナツもその一つで、どこが和菓子風なのかというと、パイ生地に練り込むのがバターだけではないらしいのだ。

 パイ生地ってバター入れないと膨らまないハズなんだけど(って、わたしのお菓子作りの師匠である緒妻さんに聞いた)、どういう工夫をしているんだろうなあ。バターの香りの他に、確かに和を感じさせる風味はあるんだけど…まあ素人が簡単に分かるならこんなに人気が出るものでもないのか。

 …ああいや、それはともかく。いかんいかん、久しぶりのチョコパイドーナツで、大事なことを忘れてた。


 「うし、食うもん食ったし。寝るか」

 「そのボケはもっちーにしては平凡だな。宿題はいいのか?」

 「言うてもな。あっきーもそこまで困っちゃいないんだろ?九月になっても終わってなかったら手伝ってもいいが」

 「九月になっても宿題終わってなかったら終わるのはうちの成績の方だって。まあ勘付いてるみたいだから話を始めるけど」

 「よしこい。なにごとだ?」


 ドーナツ二つと、二杯の紅茶を空にしたあと横になっていた今村さんは、さて始めよかとばかりに起き上がって胡座あぐらになった。テーブルの上は…まあそのままでもいいか。


 「もっちー、星野センパイと仲良いよな?」

 「あゆあゆ?まあ良いけど。どしたん?」


 あゆあゆって…あの気難しい星野さんを、本人の前以外ではそんな風に呼んでたのか。本人に教えてあげたらどんな顔するんだろう。


 「えっとね、星野さんからこないだ相談されたんだけど、今村さんに構われすぎてちょっと…えーと、慣れなくて戸惑ってる、みたいな感じらしいの。心当たりある?今村さん」

 「………はて?」


 ないのか。心当たり。

 今村さんは胡座のまま腕組みをし、さっぱりわからんとでも言わんばかりに頭を右に左に傾がせる。

 察しのいいコだから、わたしの気をつかった言い回しの本意にも気付いているだろうから、何が星野さんを困惑させているのかくらいはすぐに分かると思ったのだけれど。


 「……麟子センパイや」

 「うん。なに?」


 一休さんがとんちを働かすくらいの間のあと、今村さんは奇妙な…いや本当に奇妙な、としか言いようのない顔になって、わたしに尋ねてきた。

 少しクセのある、染めた金髪が揺れているのは扇風機の風が通り過ぎているからで、それが収まってしまえばひどく真面目な顔つきに見える。


 「あゆあゆは本当に、困っている、と言っていたので?」

 「……んー、まあ正確には困っているというか、話をした時の様子だと自分の気持ちを測りかねてる、みたいな感じだったけど」

 「ああ」


 それで納得がいったのだろうか。今村さんはおちゃらけたことを言う時の、いつもの締まりの無い顔…我ながら失礼だなあ…えーと、捉えどころの無い表情を改めて、割と真剣な顔になる。

 そして、胡座も解いて正座になり、聞くところによるとお母さんにかなり厳しく礼儀作法を仕込まれている、という話が頷けるような姿勢で、向かいの席のわたしと秋埜を交互に見やり、言った。


 「星野先輩、私のことが好きなんですよ」

 「……………へ?」

 「……………はい?」


 「星野先輩、女の子が好きな人です。別に驚くような話でもないでしょ?」


 …………えっと、それは普通に驚くことだと思うんだけど。

 一瞬理解出来ずにぽかんとあほ面になってたわたしと秋埜を、今度は「察しのわりーひとらだなー」って呆れたように、また見回している。というか、それだけじゃなくて、胡座に戻ってぽりぽりと頭を掻いて、それで噛んで含めるように、言う。


 「別に麟子先輩とあっきーが驚くようなこっちゃないっしょ。自分らだって女の子同士で好き合ってんだし」

 「そっ、そりゃそーだけど、それとこれとは違わねか?」

 「違わん。あのな、あっきー。先輩もだけど」

 「う、うん」


 気のせいか、今村さんの表情に色をなすものが見てとれた、ように思えた。何だろう。


 「自分たちは、相手が女の子だから好きになった。違うか?」

 「違う。うちはそういうの関係なくてセンパイを好きになった」

 「そか。先輩は?」

 「わたしは…まあ、正直に言えば多少抵抗はあったと思う。家族とかそういう問題で、だけど」

 「うん。まあそれはええよ。それが『普通』だと思う。ほんで、あゆあゆの方だけど。あゆあゆは、女の子が好き。多分だけどな。で、どう思う?」


 わたしと秋埜は思わず顔を見合わせていた。今村さんが何を言いたいのか、なんとなく分かったからだ。交わした視線にどことなく気まずさが漂っている。


 「…だな。驚いたりする必要、ないな」

 「そうだね。わたしたちが奇異に感じたり殊更に言い募ったりしたら…ダメだよね」


 そう答えたら、今村さんはにっこり笑っていた。美人、ってわけじゃないけれど、とても好きになれる笑顔だ。

 わたしと秋埜は、互いを好きになった切っ掛けも理由も違う。でも、好き合うことになって得たものはいっぱいあった。傷ついたこともあった。

 だから、わたしたちがそれをありのままに受け入れられないなんてことは、あってはいけないんだと思う。何よりもわたしは…好きなものを好きと胸を張って生きていけるひとが増えるように、そのために働こう、って決めたのだから。


 「わかってくれてうれしーよ。あっきー、先輩」

 「うん。なんだか心配させてごめんね」

 「うい。もっちーが頭良いって久々に思い出したわ」


 秋埜の憎まれ口はどーかと思うけど、多分に照れ隠しも混ざっているんだろうな、って思ったから敢えてスルーしておく。


 で、だ。

 今村さんの言うこと…星野さんが、恋愛的な意味で今村さんのことを好き……って改めて言葉にすると俄には信じられない話なんだけど、まあそうだとしてどーすればいいんだろう、って問題は残る。

 いや、別にわたしや秋埜が頭悩ますようなことじゃない、ってのは今し方のやり取りで理解したのだけれど、友だちと友だちが世間的にはどーなのって言われる関係に踏み出そうか、って時に全く無関心でいるってのもなんか違うとゆーか、なんとゆーか。


 「あ、それの心配はねーですよ、先輩。あーし、あゆあゆにコクられたとしてもウンっていうつもりないんで」


 …心配する間もなく解決してた。あいや、星野さん的にはちょっとアレな結論だけど。


 「おい、もっちー。さっきうちらに言ったことと違いすぎねーか?」

 「んなことゆーてもよ。あゆあゆが女の子好きでも特にどーとも思わんけど、あーしは恋とかすんなら男の子の方がいいんだもんよ。悪いか?常識とかそゆんと違って、あーしは好きになった相手の子供とか産みたいもん」

 「………うー」


 まあここで星野さんの意向を最優先して今村さんの本音を無視したら、それはそれで問題だし。

 けど、自分の気持ちを自覚するより先にフラれてしまったのだとしたら、星野さんも浮かばれないなあ……って思ったところで、わたしは腑に落ちるものがあった。

 大智にフラれてその後に、わたしは秋埜に対して自分が抱いている気持ちが恋って呼ぶものだと、星野さんにがっつり指摘されたのだ。

 その発想に辿り着くまでに飛び越えないといけないものは、当時のわたしには色々とあったに違いない。けど、星野さんは自覚があったかなかったかは別としても、飛び越える必要がある、ってことをわたしに見せてくれたわけだ。

 わたしはだから、「そう」したというだけのこと。

 先日、予備校帰りのスタバで見た星野さんの苦悩を思い起こす。

 きっと、いつかのわたしは、明るく振る舞っているように見えて、今の星野さんが抱えているものと同質のものを気付かず背負っていたんだろう。

 それならば。わたしが星野さんに友だちとしてしてあげられることがあるのだとしたら。


 「……んで、どーすりゃいいのよ。うちとセンパイは、センパイがうちのこと大好きだって分かってたから当然のよーに上手くいったんだけど」


 そこまで楽観的になれるほど問題無し、ってわけじゃなかったんだけどなあ。ま、そこは愛に免じて勘弁してあげよう、と年上の余裕でもって大らかに見逃すわたしなのだ。


 「どーもこーも、あーしのせいじゃねーし。ま、なるようにしかなんねーんじゃねーの?」

 「そこまで無責任に振る舞うことを許すわけにはいかないわよ、今村さん?」

 「ふぇ?」


 指摘は厳しく。でも自分についてはバッチリとガードが固い今村さんを、わたしは容赦するつもりはない。だって、わたしの大事な友だちにけっこーキツい思いをさせているのは、他ならぬ今村さんなのだから、ね。


 「あのー、センパイ。ナンかすんげー不穏なことを考えてる時の顔になってめっちゃ不安なんすけどー。何ごとが起こるんすか。あいや、何を揉め事起こそうとしてるんすか」

 「失礼なこと言わないでよ。いつわたしが、秋埜を不安にさせるような真似したっていうのよ」

 「本音押し殺してうちに『女の子を好きになるのはよくないことだ』って言ったりとか、うちの反対押し切って母さんに会いにいったりとか、けっこー頻繁ひんぱんに」


 ぐうの音も出なかった。


 「先輩、あっきー泣かしてます?」


 追い打ちも容赦なかった。っていうか、秋埜を泣かせたのは事実だもの。黙って糾弾を受け入れる他ないわたし…じゃなくってね。


 「今村さん」

 「…ほい」


 逆ギレみたいなタイミングになってしまったけど、わたしは今村さんを普段しない感じに睨み付けて、再び正座させる。こういう空気読むべきトコは読むんだよなあ、このコ。


 「別に今村さんが悪いことなんて一つもないけれど、責任だけはとってもらいます」

 「…責任?某にどんな咎があるのかとー」

 「わたしの友だちを戸惑わせてること、かな。星野さんが今村さんを好きになったのは星野さんの事情だからそれを咎め立てするつもりは無いけど、責任くらいはとってもらわないと」

 「無茶苦茶言いますな、麟子先輩は」

 「そう?友だち思いのいい子だと思うけど」


 隣の秋埜が笑いを堪えていた。きっとわたしの澄まし顔での自己弁護を、似合わねーとか思っているんだろう。我ながら同意せざるを得ないけど、笑ったことはムカつくのであとで叱っておこう。


 「で、何をすればよいので?」

 「別にそんな難しいことは言わないわよ。一つだけ」

 「ほい」


 わたしは、せいぜい悪く見えるように片方の口角を持ち上げて、今村さんに人差し指を突き付け言う。


 「星野さんに、自分の気持ちに気付く機会を与えてあげて。一言で言えば、一回デートしなさい」


 そう言われた時の今村さんの顔は、やっぱりなー、っていう諦観をたたえる細目になっていた、というのは穿うがちすぎた見方なのだろうか。

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