第5話・悩める友人の藁にもなれなくて
「落ち着きましたか、緒妻さん?」
「…………はい」
我に返った時の緒妻さんの様子ときたら…うん、もう今年いっぱいこのネタでイジれること間違い無し、って感じだった。大智がかわいそーだからやめておくけど。
とにかくもお、「これが私にとっての…真実の愛だとおもったのっ!」…って立ち上がって拳を握ったところでようやく自分が何を言っていたのか気がついたみたいで、しばし固まったあと、周囲の視線がとても痛い中、握っていた両手の拳を開いてそのまま顔を覆い、しおしおになってソファ(長居させないためか、あんまり座り心地はよくない)に腰を下ろした段に至ってわたしと秋埜はもとより忠実なる恋人であるところの大智にまで冷たい視線を向けられていたのだ。
「チー坊、立ち直った?」
「うるさい」
大智は緒妻さんの、流石に声を潜めながらの大演説の最中はもー照れまくっていたけれど、緒妻さんが人界に舞い戻ってくると同時に冷静になったのか、わたしや秋埜と一緒に非難する側に回っていたのだけれど、有り体に言って自分への熱愛を熱弁することに熱中してた年上の恋人に対する態度としてはソレどーなの。
「こっちの都合お構いなしでんなこと言われてもなあ。大体、リン姉に相談ってのもコレのことなんだし」
「そうなの?あ、そういえば相談があるって呼び出されてたんだっけ。大智が浮気したとかどーとか」
「してない。ああほら、オズ姉もそこで落ち込まない。俺、クラスの女子になんか興味ないんだからさあ…」
そこで割と必死に、というか弁解するように緒妻さんを取りなす大智だったけれど。
わたしは見た。
ぷいとそっぽをむいた緒妻さんの口元が、にへら~、って感じに曲がっていたのを。秋埜がよくそーゆー顔するので、見間違えるわけがない。
ていうか。つまりだな。
「…大智?もしかして緒妻さんがそーいうスネ方する時ってそんな風に構うの?」
「え?あー、まあ。だってオズ姉が俺は一番大事だし。けど何度も何度もそう言ってるのに、オズ姉全然信じてくんねーんだもん。一昨日なんかとうとう下校途中に待ち構えてて先輩たちに散々冷やかされてさあ。ほらオズ姉ってば、機嫌直してくれよう…俺は誰よりもオズ姉が大事だからって何度も言って…あいや、何度でも言うから許してくれない?」
あー。
そーいうことか。
と、恐らく秋埜も気がついているだろうけど、っていうか大智が優しい言葉をかける度にふにゃらほにゃらと蕩けていく緒妻さんを見て、気づかないのは大智だけなんだろう。ああもう、罪作りにも程があるってものだ、このにぶちんは。
「……センパイ。なんかうち気分悪いんすけど」
「……よねえ。緒妻さん流石にそれはタチが悪すぎますって」
「……なんのことかしら」
「どーした?二人とも」
全てを察してシラけるわたしと秋埜。しらばっくれる緒妻さん。一人だけ何が起きているのか分かってない大智。なんかわざわざ時間を割いてやってきたわたしたちにこの仕打ちって、どーゆーことなの。いや大智に悪気はないと思うんだけど。
「……帰ろっか?」
「……っすね」
「……なんかごめんなさいね、二人とも」
「いやあの、一体何が起こったんだよ」
知らない。もー二人とも末永くお幸せに。出来ればわたしたちを巻き込まないよーにして。
ご祝儀代わりに伝票をかっさらって立ち上がるわたし。全く同じタイミングで同じく立ち上がる秋埜。もー、拗ねてみせれば大智がいっぱい構ってくれるからそうしてました、ってだけの話にわたしたちは何しに来たっての。
いまだに何も分かってなさそーな大智が慌てて引き留めようとするのを背に、わたしと秋埜は「ごちそうさまでした」と疲れた口調で言い置いて立ち去るのだった。いや奢った形になったのはこっちの方なんだけれど。
「何しに来たんですかねー、うちら」
「よね…イチャつくとこ見せられに来たようなもんじゃない」
店を出て真夏の日差しさす中に立ち戻り、疲れた顔で呆れるわたしたち。
緒妻さんと大智に会えて時間の無駄だったとは別に思わないけれど、それにしたってよほど深刻そうな様子で相談とか改まって持ちかけられて、制服のままやってきたのに結果がこれじゃあね…。
「お返しにうちと麟子センパイのイチャつくとこをたっぷり見せつけてあげましょーか」
「せめて人目のないところで、そのうちね」
わたしのそんな返事が意外だったのか、秋埜はわたわたしながらさっさと歩き出したわたしについてくる。別にこの後の予定なんて、夕方から予備校行くだけなのでこのまま放課後でーと、としゃれ込んでもいいトコだけど、と特に目的も定めず歩いていたら、秋埜が思い出したように話しかけてきた。
「あ、そうだセンパイ。こないだの話ですけど、どうします?」
「こないだの、っていうと…ああ、お母さんのご実家の別荘にご招待された、って話だっけ。わたしはどっちでもいいけど」
正直なところ、別荘っていう一般庶民には縁の無さそうな存在に興味はあるけど、そんなお気楽に考えられる案件でもないので、わたしは秋埜がどうにでも出来るように曖昧に答える。
「……センパイがイヤじゃなければ、のってもいいかな、ってうちは思うんすけど。どすか?」
「秋埜がイヤじゃなければわたしだっていいよ。お母さんとはどうなの?」
「まー、あんまりうちがごねるのも大人げないなー、って。あと、父さんたちに気をつかわせるのもそろそろマズいかも、って気もしますし」
「そか。じゃあ、行こっか?秋埜のトコとわたしだけ?」
「流石にふたりの実家の家族揃って、ってのもどーかと…」
そりゃそうだ。結婚前に両家で親交を深めましょう、ってわけじゃないのだし、って実際にそんなことになったらどうするんだろう、ってあんまりなことを考えて人知れず赤面するわたし。
「うん、じゃあわたしの都合のいい日だけ教えとくから、いついくかだけ決めてくれる?」
「うい。お盆の後の方がいーすかねー」
「後半だと模試が多いからなあ…ちょっと待って」
と、スマホで予備校のスケジュールを確認し、空いてる日を探そうとしたのだけれど、面倒くさくなってわたしの予定表をそのまま秋埜のアカウントと共有化しておいた。
センパイ、プライバシーの管理ユルすぎないですか?と秋埜は呆れてたけれど、別に秋埜に隠れてこそこそするよーなことないわよ、って言ったら、すごく嬉しそうに自分の予定表も共有しましょ、って実際にそうしてきた。こんなことで本気で喜ぶ秋埜が、心の底から可愛く思えるわたしだった。
・・・・・
その日、いつも通り予備校に着くと、数学の講義のある教室の前でよく知った顔に会った。
「中務さん。ちょっと、いい?」
よく知った、というかまあわたしの、学校での数少ない友だちである
「なに?あれ、星野さん同じ授業だったっけ」
「ああうん、そういうわけじゃないんだけど。少し、相談にのって欲しくて」
…またか。なんだか今日は、っていうか最近こーいう申し出が多い気がする。相原先生といい、大智といい。
けどまあ、相原先生みたくぞんざいに……テキトーに……えと、適切に扱うわけにもいかない相手だし、といって大智みたく気軽に請け合うのも少し警戒したい相手だったから、わたしは探るように星野さんの様子を観察しながら、「授業終わってからでいい?」とだけ答える。
「いいわ。奢るから、帰りにどこかに寄っていきましょう」
「うん。じゃ、後でね」
「ええ」
ホッとした顔。わたしの知ってる、同年代の知人の中では一番物事に動じない性格の星野さんがそんな顔をするのには、我ながら動揺しないでもなかった。一体何があって彼女にそんな顔をさせたんだろうか、って。
そして予備校帰りのスタバ。
わたしは例によってコーヒーじゃなくてカモミールティー。お砂糖も入れて。前は体重を気にして飲み物に砂糖なんか入れなかったけど、最近はあんまり気にし過ぎないようにしてる。だって秋埜が、もう少し抱き心地いいようにふんわりと体重ふやしてください、とか言うんだもの。また難しい注文だ。
「鵜方さんの好みに合わせて?」
と、コーヒーにミルクだけ入れてた星野さんが、少し羨ましそうにわたしのカップを見ながら言った。
「うん。わたしはもともと甘いものは嫌いじゃないけど、温かい飲み物ならそんなに砂糖足さなくてもちょうどよく甘くなるからね」
「私が感心したのは、恋人の趣味に嫌味無く応じられる中務さんの気遣いのことよ」
ふふっ、と嫋やかにマグカップを傾ける星野さん。
秋埜がわたしの恋人、っていうことを事も無げに話題の
そもそもね。大智に思いっきりフラれたあと、わたしが秋埜のことをどう思っているのかをあばき出してくれたのが星野さんだったから。
そういう意味ではわたしと秋埜の真の意味での恩人で、その後もこーして少しばかり斜に構えた会話を楽しむ付き合いをしている。あと、真じゃない意味での恩人が誰なのかは…ごそーぞーにお任せします。
ところで星野さんは、濃厚な人付き合いを求める人が積極的に関わりを持ちたがるような性格をしていない。でもわたしにとっては、それが付き合いやすさに繋がって、こうして学校の内外を問わずに顔を合わせれば立ち話の一つくらいはする間柄だ。馴れれば結構ずけずけ言うから、立ち話といっても気が抜けないことが多いんだけれどね。
「…で、相談ってなに?」
なのでわたしは、口に入れたお茶を飲み干してから、少し改まって尋ねた。いつぞやみたく、水を含んだ状態でヘンな指摘をされて口から水をこぼす、なんて無様は晒さないのだ。
「……うん。あの、これはあくまでも相談だと思って聞いてもらいたいんだけど」
「また星野さんにしては歯切れ悪いね。いつもなら竹を
「竹を割る時に使うのは
「竹を割るよーな話し方なのは否定しないんだ」
「それは私の持ち味というものだし」
うん、ちゃんと冷静だ。少し苦笑混じりなところも含めていつも通りの星野さんだと思う。
なのに、視線が落ち着かないところとか、微妙に調子が違う。何だろう。意味も無くわたしまで緊張して喉が渇いてきた。水でも飲んでおこ…。
「今村さんのことなんだけど」
「………ぷひぇっ?!」
…意外な名前に、またしても無様を晒すわたしなのだった。
「そ、そんなに驚くこと?」
「………そーいうわけじゃないんだけど。あ、ありがと」
手渡された紙ナプキンを、礼を言って受け取る。こんなやりとりまでいつぞやと一緒って、我ながら進歩の無さに涙が出てくる。なお、場所までその時と同じスタバだったり。流石に席までは違うけどね…。
「どうして遠い目をしてるの?中務さん」
「思えば遠くへ来たものだなあ、って思って。それで今村さんがどうしたの?っていうか、今村さんの話をするならわたしじゃなくて秋埜の方が適任だと思うんだけど…」
「残念ながら私にとって適任じゃないのよね、鵜方さんは。で、いいかしら?」
「どうぞ」
わたしのアレな姿で冷静さを取り戻したのか、星野さんは、掻い摘まんで言えばここ最近遠慮の無い後輩に困っている、という内容の話をしてくれた。
今村さん、っていうのは秋埜の親友の
市内最上位の進学校でトップの成績なものだから、先生たちはその行状にもの言うのも気後れするよーで、割と突拍子もない性格も含めてとにかくこの学校では目立つ存在なのだった。
で、秋埜の親友ということでも分かる通り、わたしと秋埜の関係については星野さんと同じく事情を
星野さんとは、まあわたしと秋埜を眺めるのをライフワークにしている同士、ってトコだろうか。今村さんが賑やかしに見守り、星野さんは我関せずを装いながら興味は持ってる、という違いはあるのかな。見守られる側としてはどちらが困るか、となると微妙なトコだけど。
「…でも今村さんって、そーいうところ弁えてるっていうか、相手が困ってるようならちゃんと線を引く子だと思うんだけど」
「まあ、ね…私としても別にあからさまに被害を被ってる、ってわけじゃないの。ただ、ちょっとほっといて欲しい時にもちょっかいかけてくるのが困るっていうか…」
「それは…今村さんにしては珍しいなあ」
「中務さんがそう言うならそうなんでしょうね。で、相談っていうかお願いなんだけど」
「うん。星野さんが迷惑してるからほっといてあげて、って伝えればいいんでしょ?」
「そ、そう……じゃないの。うん、別に迷惑はしてないの。でもね、あの……上手く言えないんだけれど…」
ここでわたしが配慮の無い言い方をしたのは、わざとだ。雑に言っておけば、星野さんの性格からして
「別に迷惑とか困ってるってことはないの。ないんだけど……ううん、表現が難しいわね…」
けどそーいう狙いは見事に外れ、星野さんは歯切れの悪い口振りを改めることもなく、なんだか心配になるくらいに、ああ、とか、うーん、とか言いながら首を捻っていた。
「……そんなに考えこむくらいなら、直接今村さんに言っちゃえば?少なくともわたしを相手に考えこむよりよっぽど前向きだと思うし」
「っ?!……そ、そうね。それは確かにその通り…だと思う…んだけれど……」
見てる分には珍しい光景で飽きは来ないのだけれど、唸ってるうちになんだか気の毒になってきた。
話し込んでいるうちに、互いの手元の飲み物も冷めてしまってる。お陰で香りと甘味のバランスがすっかり崩れてしまったカモミールティーのカップを仕方なく空にして、時間ももう遅いから、ということを主張するようにスマホで時間を確認してから、なるべく前向きな提案に聞こえるよう、わざとらしく明るい声で言うのだった。
「どっちにしてもわたしが答えられることなんかなさそうだし。今度今村さんに伝えておくから、あまり気にしない方が良いよ」
「……そうね」
なんだかなあ。あんまり難しく考えない方が良いと思うんだけど。
何にせよ、わたしを相手にココで頭を抱えていても解決しそうにない話なのだし、お互い家に帰らないといけない身なのだからと、今日のところは引き上げることにしてもらった。
けど、別れる際にも何だか暗い顔をしていた星野さんは気の毒に思えて、わたしは帰り道の途中に早速秋埜に連絡をとってみた。今はそれくらいしかしてあげられることは無いのだから。
それにしても、大人しく秋埜の恋人と受験生だけやっていられればわたしはそれでいいっていうのに、世の中はなかなか望んだ通りにはいかないものだ、って思う。
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