第4話・淑女の暴走

 武士の情けで、先生宅でわたしと秋埜が盛り上がっていたことは、おばあちゃんには内緒にされた。

 その代わり、すんげぇ弱み握られた気がするのだけれど。


 「それでどうなったんすか?」

 「どーもこーも、三日で結果が出るわけないでしょーが」


 わたしももちろん気になって、おばあちゃんに経過とか探りを入れているのだけれど、プライバシーだとか人生を左右する問題だとかで(当たり前だけど)、細かいことは教えてはもらっていない。

 まあ先生の側もいろいろ用意とかあるみたいだし、実際に「あとはお若い二人にしておきましょう」…なんて場面が訪れるのは少し先のことだろう。それ以前にお見合いになるかどーかが問題だろうし。


 「そこは大丈夫なんじゃないすかねー。オバさん、外面はいいし」

 「外面がいいってのは褒め言葉じゃないよ、秋埜」

 「だーって、他に褒めるとこないじゃないすか」


 うちには親身で優しいですけど、と照れるよりもむしろ誇らしく言った秋埜的にはそれは褒め言葉じゃないのか。まあこれからお見合いします、って相手にとってはどうでもいいことか。


 終業式を明日に控え、今日は最後のちゃんとした授業の日だった。

 うちの学校は前後期制なので、期末テストからテスト休みに入ってそのまま夏休み、なんて流れではない。まあそれ以前に厳格な私立の進学校なんだから、テスト休みなんてものも無いんだけど。採点作業をする先生が大変そう…ああそういえば、採点も外部の業者さんに頼んでいるとか言ってたっけ?どうでもいいけど。

 なのでわたしと秋埜は、例によってわたしが予備校に向かうまでの間、こうして学校で時間潰しをしている。

 互いの友だちには理解があって、わたしと秋埜がこうして二人で過ごしているところも、生温かく見逃してもらっている。


 「んじゃ、帰りましょっか」

 「そうだね」


 腰をかけていた階段から立ち上がり、帰り支度。場所は学校でナイショ話をするときによく使う、特別教室棟の屋上に出る階段の踊り場。まあ今日は特に人目を気にする話をしてたわけじゃないけど、秋埜と学校で二人になるときはホント最近利用頻度が高いからなー…いい加減自粛しないと、他のコにもバレそうだ。

 わたしは先に立って日当たりのない薄暗がりから、夏の夕日が差し込みつつある廊下に出る。明日が終業式、ってこともあってか部活もやっていない校内は静かなものだ。


 「ところでセンパイ、最近の告白イベントは?高校三年生の夏休み前ともなるとラストチャンスとかで増えたりしません?」

 「わたしもいー加減、ごめんなさいしか言わないって定着したからね。ありがたいことに最近ご無沙汰よ。そっちこそどーなの」


 そういえば、みたいに前置きして秋埜が歩きながらの話題を振ってくる。

 わたし的にも秋埜にとってもどうでもいいことなのだけれど、どちらも男の子としては放っておきたくない類の存在であるから、校内で声がかかることも珍しくはなくて、これがちょっと前ならわたしも秋埜にコナかけ…下品だった。えーと、懸想する男子に嫉妬してたりもしたのだけれど。


 「うちはほら、麟子センパイのことが大好きですっ、って公言してるんで。もうみんな知ってますし静かなもんすよー」


 ………ぴた。

 待て。ちょっっっと、マテ。いまなんつった?


 「だから、うちの好きなひとは麟子センパイです。だから、つきあえませんごめんなさい、とゆってます。最近は」

 「…………おーけー、秋埜。ちょっと待とうか」

 「はい?」


 誰もいない特別教室棟の三階廊下で、わたしは秋埜を鞄を持った左手で押し止め、眉間のシワに右手の人差し指をあてる。

 今秋埜はなんて言った?

 わたしのことが大好きだから、男の子からの告白はお断りしてます、と。そういうことだな?

 うん、まあいい。秋埜がわたしのことを大好きというのは、全く文句はない。わたしだって嬉しい。そこは、いい。

 けど、何だって?それを、そーれーを、他のひとにも包み隠さず言っている?


 「どどどどどいうことよっ?!」

 「あー、センパイ落ち着いて落ち着いて。どうどう。慌てるのは分かりますけど、別に問題になんかなってませんて」

 「問題にならないわけがあるかぁっ!!……それでその、それを聞いた相手の反応……とかは?」


 わたしより背の高い秋埜に慌ててくってかかる。そんなわたしに秋埜は、安心させるようにとてもいい笑顔になる。普段なら思わず惚れ直すそんな仕草だけれども、今はそれどころじゃなくって。

 恐る恐る秋埜の返事を待つ。

 したら、秋埜はケロッとした顔で、事も無げにこう言った。


 「んー、なんか納得したみたいに『そっか』って。そんなんばっかっすね。だから安心していーすよ、センパイ」


 安心するとこなの?ソレ…と、なんだか泣きたくなる。いや確かにいつ頃から秋埜がそーいう問答してるのかは知らないけれど、それによってわたしと秋埜を見る周囲の目が変わった、ってゆーと特にそんなこともないと思うのだから、問題はない……と言えるのだろうか。


 「…それともセンパイ。うちといー仲だってこと、学校では知られない方がいすか?」

 「うーん…知られない方が穏やかに過ごせるんじゃないかなあ、ってだけだし…実害が無いなら別にいいんだけど……」

 「なら別に問題ないと思うっすよ」

 「……まあ、そうかもね…」


 肩を落とし、力無く下校の途につく。うん、まあわたしだって後ろめたい真似をしてるとは露程も思っていないのだし、胸を張って、とまでは言わずともコソコソしないで済むならそれに越したことは無いのだ。

 だから現状、この校内でわたしたちをとりまく状況が一体どーなっているのかと、数少ない友人に確認してみようかと思ったときだった。


 「ん?誰だろ…大智だいちか」

 「チー坊?なんすかね」

 「まあ出てみるね。もしもし?」


 男の子の友人、っていうとわたしも秋埜も数少ないけれど、今電話をかけてきた外村大智とのむらだいち、って一つ年下の男の子は、わたしと秋埜の共通の友人兼幼馴染みだ。

 大智とわたしの間に何があったかってゆーと…まあいろいろアリマシタ、としかもう言い様がない。うん。


 『リン姉?なんか反応悪いけど電話遠いか?』

 「ああ、うん。別に何でもない。どうしたの?」

 『もしかしてアキも一緒か?』

 「いるわよ。代わる?それとも一緒に話す?」

 『いや、そんな長い話でもないし。あのさ、明日そっちも終業式だろ?午後から会えない?』

 「明日?うーん……」


 予備校の授業の予定を頭のなかで確認。うん、明日は夕方からの講義しかとってない。


 「大丈夫。大智だけ?秋埜も一緒に行っていい?」

 『あー、うん。まあそれは任せ…ああいや、アキも一緒の方がいっか。こっちは…まあいつも通りってことで』

 「……なんか大智、疲れてない?」

 『そう思うんだったら、何かガッツのつきそうなものでも奢ってくれって……じゃ、待ち合わせ場所とかはあとでLINE入れとく』

 「ん。じゃあね。緒妻おづまさんにもよろしく」

 『………あー』


 緒妻さんの名前を出した後の間が気になったけど、まさか別れ話とかじゃないでしょーね。


 「んなわけないでしょーが。あのチー坊が緒妻センパイと別れるとかありえませんて」

 「ま、わたしもそう思うけどね…って早速か」


 どーいう心境かは分からないけれど、通話が切れるとほぼ同時に明日の予定を送ってくるとか、どーなの。



   ・・・・・



 緒妻さん、っていうのはやっぱりわたしの幼馴染みで、大智とは…まあ古めかしい言い回しをすれば「許婚いいなづけ」ってやつだ。

 フルネーム、保志緒妻ほしおづま。この辺の旧家のお嬢さまで、清楚な美人にしておっとりした性格ながらも勉強にお料理に万事秀でたすーぱーおねーさん。今は都内の医大に通う大学一年生。欠点と呼べるものがあるならば…壊滅的な運動音痴、ってとこだけだろうか。

 …これを持ち出すのは正直言って、多方面に顔向けが出来ないトコロがあるんだれど。

 わたしは、今から会おうとしている二人とは、きっと大人になってからも赤面して話をすることになるだろう出来事があった。結果的に言えば、わたしが大智に横恋慕していた、というよーなことだ。

 わたしより一つ年下の大智が中学生になった頃、何があってそーなったのかは今もって当事者の誰も分かってないのだけれど、緒妻さんと大智が婚約するとかそんなことになった、らしい。いやもちろん当人同士の意思でそうなった、のではなく二人の家の間での話でそうなった、ってことのようだ。

 幸いにも、というか微笑ましいことに、というか。

 大智はそれで緒妻さんを意識し始めて、年上の婚約者に居並ぶ自分になろうと、どんどん格好いい男の子になっていった。

 背丈なんか小学生の頃にはわたしよりもずっと低かったのに、あっという間に追い越していって、今では高校サッカー界でもなかなか名の知れた二年生ゴールキーパー、とのことらしい。わたしにはその凄さは、相変わらずよく分かんないのだけれど。


 緒妻さんは、というよりわたしも…そうしてどんどん大きくなっていく大智に、揃って恋をしていった。

 緒妻さんは堂々と。わたしは気付かぬままに。

 きっと何も無ければ、わたしは自分のそんな気持ちにはいつまでも気がつかず、きっと二人の結婚の報告だとか結婚式だとかで、どうしてか分からず涙を流してそれでお終い、ってところだったんだろう。

 でも、秋埜はもっと小さかった頃から変わらずわたしを好きでいて、それだったからこそわたしの中のそんな気持ちに敏感だったのだと思う。わたし自身が気付くように、そんなわたしの恋心を啓いてくれて、わたしは自分の永い恋に決着をつけたんだ……っていうと佳い話のよーに聞こえるけれど、単に自爆覚悟で告白して正面からフラれた、ってだけなんだけどね。

 その後すぐに秋埜とつき合い始めたか…っていうとさにあらず。まあ細かいことは置いておくとして、その時のことでいくつか確かになったことがある。

 それは、わたしの中で大智は「さよなら」を告げたひとになったこと。

 そして、大智に焦がれていた緒妻さんは、同じように大智を慕うわたしという幻影のくびきから解かれて、何一つ掣肘せいちゅうされることなく大智を愛するように、なっちゃった……ってことだと、ずっと思ってたのだけれど。


 「…………何してんです?」


 その、わたしの尊敬すべき先輩である緒妻さんは、待ち合わせの喫茶店に入ったわたしと秋埜を、ぶんむくれの顔で迎えてくれていた。隣に座る大智の腕に「ぜってぇ離すもんかっ!」…って勢いでしがみつきながら。というか、そんな格好と顔でわたしを見てるとまるでわたしが大智に言い寄ってたみたいじゃないですか、って冗談も通用しそうにない空気だったので、ちょっと怯える秋埜を促して、一緒にボックスシートの二人の対面に腰掛けた。テーブルの上にはまだ氷の融けてない水のグラスしかなかったから、二人ともまだ注文していないのだろう。

 わたしと秋埜が来たことで注文のタイミング、と見てか、お店のひとが早速やってくる。

 秋埜はアイスココア、わたしはアイスティー。緒妻さんがアッサムで大智が炭酸水を頼んでいた。大智はスポーツ選手らしいストイックな注文をする。

 それから、どこか白々しい空気の中、互いに近況報告みたいな…ああ、うん、緒妻さんがなんだかずっと拗ねてるのでそーいうのは軽く流して本題に入りたかったのだけれど、結局秋埜が呆れて「そろそろぶっちゃけた方がいくないすか?」って切り出して、ようやく本題に入ることが出来たわたしたちだった。


 「…だって、大智がクラスの子に告白されたとか言って……」

 「それで緒妻さんが動じる理由なんかどこにもないでしょーに。大智、ちゃんと断ったんでしょ?」

 「当たり前だろ。俺、許婚がいるからって言ったぞ」

 「ほら。チー坊も後ろめたいことあったら緒妻センパイに白状したりしないっしょ」

 「俺はオズ姉一筋だっつーの」


 臆面もなくそう言ってのける大智だった。ごちそうさまでした、と言いたいトコなんだけれど、それで緒妻さんの機嫌が直ることもない…少しばかり照れてそっぽを向いて、でもそれもすぐに収まって、また納得いきません、って感じに黙り込んじゃった。大智の腕にしがみつくのだけは流石にやめてたけど。

 わたしたちは、この場での最年長者をわたしたちは処置なしとばかりに見守るしかない。


 「…もうどうすりゃ納得してくれるんだよぅ、オズ姉」

 「……知らない。自分で考えて」


 傍目からはじゃれ合ってるよーにしか見えないやりとりも、今日に限れば珍しく深刻な状況に見える。いやまあ、二人とは割と長い付き合いのわたしだからこそ分かるのであって、多分他のひとならもう角砂糖をダースで噛み潰すよーな気分だったことだろう。

 うーん。大智のことなると大人げなくなるのは割といつものことなんだけど、今日はそれだけじゃないようにも見える。なんなんだろう。


 「んーと、チー坊さー」


 と、首を捻っていたら、隣の秋埜が何か思うところでもありそう。わたしは届いたアイスティーに早速ストローを挿し、秋埜のご意見拝聴とばかりにまずは一口冷たい紅茶をすする…って、まだ充分に冷えていなかった。このお店ちょっと手抜きが過ぎないんじゃない?


 「緒妻センパイとヤルことちゃんとヤってる?具体的にゆーと、寝た?」


 ぶーっ?!………って、やらなかったわたしを神は褒めそやして欲しい。是非に。そう言いたくなるくらい見事なブレスだった……そういえばゴッド・ブレス・ユーってのはbreathとblessを間違えて和訳したらしい。「神の息吹のあらんことを」ではなく正しくは「神の『祝福』のあらんことを」だとかなんとか……って、そーじゃなくて何を言い出すのこの子わっ?!


 「……(真っ赤)…」

 「…………おい」


 紙ナプキンでどうにかこうにか口元を拭い、わたしに人生最大級の恥をかかせかけた秋埜に文句を言おうと顔を上げたら、そこには真っ赤になって顔を伏せる緒妻センパイと、それには及ばないまでも顔を赤くして秋埜を睨んでいる大智が、そこにいた。


 「………やっぱりかー。デキてんでしょ、二人とも」

 「……そうなの?」

 「………(こくこく)」

 「ちょっ、オズ姉っ?!」


 むしろこーいう場面は女の子の方が度胸据わるのかもしれない。

 秋埜の無遠慮な確認に、緒妻さんは茹で上がりながらも肯定し、一方大智の方はというと赤くなっていたかと思ったら一転して青くもなり、天を仰ぐわ穴があったら何とやらなのかテーブルの下に潜り込もうとしたり、挙動不審につき店員さんの目も厳しくなるのだった。まあぬるいアイスティーを持ってくるよーな店だから、何と思われようが知ったことではないのだけれど。


 それにしても大智と緒妻さんがとーとーデキちゃったかー。いつか、婚約中という関係なのだから関係を勧めることに焦りはないみたいなことを緒妻さんは言っていたけれど、それでもなんやかんや不安気ではあったから遠からずそーなるだろーなー、と思っていたけど。まさか夏休み前にそーなるとは思わなかった。


 「ふむふむ。そいでチー坊?どこでどーいう状況でそーなったん。ほら、うちに包み隠さず教えてみ?ん?」


 腕組みをして感心してるわたしを余所に、秋埜はおばちゃんみたいになって下心と好奇心丸出しの顔で身を乗りだし、マイク代わりに丸めて棒状にしたお手拭きを大智に付きだしていた。あのねー、わたしだって興味無くは無いけど、そーいうことをしつこくやると矛先がこっちに…。


 「うわ馬鹿アキ!そういうこと聞くと…」

 「聞いてくれるの秋埜ちゃんっ?!」

 「わあっ!」


 …向くかと思われたものが、攻めるどころかバンザイするよーな勢いで諸手を挙げて、降服落城大解放、みたいな事態になっていた。いや、何事なの。


 「あのね、あのねっ……大智なんだけどぉ、こないだね?こないだねっ?!」

 「は、はあ…」


 流石に他人の耳をはばかって声を潜めてこそいたけれど、そこで緒妻さんが始めた話はと、ゆーとだな。

 ……まあ、わたしと秋埜にはまっっったく参考にはならない、大智と緒妻さんがの初夜の様子を事細かに語ってくれる内容…というかいかに大智が自分を大切に扱ってくれたかっちゅー、しやわせいっぱいの報告…というか、後に秋埜が「アレはむしろワイ談」と呆れてた…こんな話、シスコンの全然治ってない緒妻さんの二人の兄に知られたら大智もその場でハリツケにされるんじゃないだろーか。

 テーブルに突っ伏して耳を両手で塞ぎ(それでも僅かに覗く耳たぶは真っ赤っかだった)、ぷるぷる震えてる大智を横に、緒妻さん・オン・ステージはツッコミの手も声もなく、しばらくの間続いたのだった。

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