第3話・密室ぷらす密着…いこおる?
「おばあちゃん、ちょっといい?」
予備校の授業が終わって家に帰り、一人だけちょっと遅めの夕食をとると、おばあちゃんは寝る支度を始める頃合いになっている。なのでわたしは、おばあちゃんの部屋を訪ねてやや遠慮がちに襖を開けて聞いた。
「あら、麟ちゃん。どうしたの」
「えっとね。お見合いのお世話して欲しいひとがいて。お話聞いてもらえないかな、って」
「へえ…どちらの方?」
割とありがちな話ではあると思うのだけれど、おばあちゃんの部屋はこの家の一階の、一部屋だけある畳敷きの部屋だ。そこで布団を敷こうとしてたのか、部屋の中を片付けていたおばあちゃんは、襖を開けておずおずと、という調子で話しかけた孫娘のわたしの申し出に興味を持ったみたいで、手を止めて、わたしを招き入れてくれる。
うちのおばあちゃんは、何かと厳しいひとではあるけれどわたしにはどちらかといえば甘い。かといってそれに馴れて接すると、ガツンとやられてしまう。誰かさんとは違う意味で油断のできないひとなのだ。
そんなおばあちゃんの勧めに従って、わたしは差し出された座布団に正座。それから意味も無く緊張しながら言った。
「えっとね。学校の先生なんだけど」
「それは…ちょっとむつかしいお話ね」
ところが、きっとおばあちゃん好みの話になるだろうと思っていたわたしの思惑は、少し難しい顔になったおばあちゃんによって雲行きが怪しくなる。
安請け合いし過ぎただろーか、と「話が違うじゃない!」といきり立つ相原先生の剣幕を想像しながら、向かいのやっぱり座布団にキレイな正座をするおばあちゃんを窺うように、わたしは尋ねた。
「そういうものなの?」
「そうねえ。学校の先生と生徒の麟ちゃんは、きちんと線を引いておかないといけない関係ですからね。学校と関係無くお知り合いならば、喜んでお世話させて頂きたいところなのだけど」
なるほど。相変わらずおばあちゃんは、こーいうところキッチリしてる。孫のわたしがどちらかというとゆるーく育ったのは両親の影響と、おばあちゃんはなんだかんだ言って最後はわたしの味方をしてくれるからで、その一種のてきとーさを全開にしてしまったわたしには、教師と生徒の間の線引き、ってことにはあまり心配りが出来ていなかったと思う…んだけど、相手があの相原先生だからなあ。線引きとか言われてもあまり実感わかないよね。
「あ、先生っていっても秋埜の従姉妹なんだ。ちょっとね、わたしも去年からいろいろとー…相談に乗って貰ったというか相談に乗ってあげたというか。だから学校関係無し、ってのもありって解釈。だめかな?」
「あら、秋埜ちゃんの?そういうことならお話は聞いてみませんとね。どんな方?」
「あは、ありがとおばあちゃん。先生きっと喜ぶよ」
「こら。まだ何も決まったわけではないでしょう。まず麟ちゃんの知っていることをお話しなさい」
「はぁい」
秋埜の従姉妹、ということでおばあちゃんの構えが一気に解かれた感じ。おばあちゃん、秋埜のこと気に入ってるからなあ。
わたしと秋埜の関係は、実のところわたしたちどちらの家族にも知られているところだったりする。
もちろんすんなりいったわけじゃない。秋埜と並んでわたしの家族に報告したときは、お父さんもお母さんも絶句していた。
でもそんな中、おばあちゃんが真っ先に「いいよ」って言ってくれたんだ。ううん、むしろお父さんとお母さんを一喝して、積極的にわたしたちを応援するようなことまで、言ってくれていた。その時、わたしはもちろん秋埜まで、感極まったみたいにおばあちゃんのことを見つめていたものだ。
ちなみにその時
「ふむ。なかなか面白そうな方ね。麟ちゃん、一度会わせてもらえるかしら?」
「あ、うん。それはいいと思うけど…面白そう?」
わたしは割と
「面白そう、が悪ければ見所のありそうな方とでも伝えてちょうだいな。保健の先生ということであればこちらから学校に伺えばよろしいかしら?」
「授業参観みたいだからそれはわたしが勘弁して欲しい…」
結局、その後にあれやこれやあって最終的に先生のお宅に直接お邪魔することになった。
頼み込まれたその日のうちにそこまで話がまとまってしまうなんて、どれだけ切羽詰まってたんだろ、先生。
・・・・・
そして次の土曜日。早速と言えば早速。昨日確認のために電話したら先生は余裕なんか一切無い様子で、おばあちゃんの心象なんかを心配してわたしを呆れさせたものだけれど、ここまでわたわたしてる先生は流石にかわいーなー、ってわたしは余裕たっぷりに受け答えしてたら、「受験生にとって内申点がどれだけ重要か、その身で知ってみたいの?」と激しく大人げないことを言ってたりする。
実のところ、学校の中では女帝じみた立場で先生方の弱み握って逆らえないようにしてる、なんて噂もあるからびみょーに現実味のある脅しなんだよね。困ったものだ。
『…なんであんたがいるの?』
なんでと言われましても。
先生のマンションのエントランスで、インターホンで呼び出した先生は小さなモニター画面の向こうで世界の深淵を覗いたよーな顔つきでいた。
「だって道案内は必要ですし。あ、おばあちゃんに替わります?」
『……よろしく』
そのまま「ちょっと複雑な顔」に
前に一度来た時は、これがマンションの入口?みたいな広さに面食らってすぐにはエレベーターの場所なんか分からなかったものだけれど、流石に二回目ともなれば勝手知ったるなんとか、とわたしは先に立って先生の部屋の前まで向かっていった。
「なんであんたまでいるの……」
そして、部屋の重々しい扉を開いてわたしたちを迎えてくれた先生は、さっきと同じような台詞を三倍くらい重くなった調子で繰り返す。
「だってオバさんの人生左右しかねないおもろい…大切な日に、それを見届けないって手はないしぃ」
「あ、秋埜ぉぉぉ…アンタ完全に面白がってるでしょうがっ!!」
うむ。ここまで存在を隠し通してきた甲斐はあった。先生はわたしの期待以上の反応を見せてくれた。
そう、わたしとおばあちゃんだけではなく、今日は秋埜まで同行していたのだ。もっともわたしの方から誘ったんじゃなくって、「はい!はい!うちもぜひ連れてってくださいっ!!」……って熱烈な要望があったからで、もちろんわたしだけじゃなくておばあちゃんまで面白がって「それなら帰りに何か甘いものでも食べてきましょうかね」とご機嫌極上で同道を許してくれたからだったりする。だからわたしだけのせいじゃないんですよ、先生?
「………あとで覚えてなさい」
秋埜、おばあちゃんに続いて部屋に入っていったわたしが先生の脇を通る時に、そんな背筋も凍りそうな声色で、無論わたしにだけ聞こえるようにそんなことを呟いたのは想定外だったけど。ちょっとやり過ぎただろーか。
「では、直接お目にかかるのは初めてですわね。いつも孫がお世話になっております。
「い、いえっ、こちらこそ…その、麟子さんとはその……きょっ、今日はよろしくお願い致します…あっ、相原大葉です……」
一人暮らしにしてはえらく広い居間の、これまたやたらとオサレなガラステーブルにわたしたちは席をとる。座布団がちゃんと人数分揃っているのは意外だったのだけれど、三人でおしかけることなんて伝えてなかったから、これは普段からちゃんと取りそろえてあるのだろう。ほんの少し、先生を見直すわたし。
「はい。それで麟子と秋埜ちゃんから少し話を伺いまして。ご縁のありそうな方を紹介させて頂くのですが…」
そして、対面するおばあちゃんと先生を斜めに見るようにして、わたしと秋埜はふたりで並んでその様子を見守っている。時折先生が恨めしげな視線をわたしたちに向けてくるけれど、とーぜんわたしも秋埜も知らん顔。あからさまにニヤニヤしてたりしないのは、おばあちゃんがこれも時折たしなめるように見ているからだ。流石にわたしも秋埜も、こーいう空気で茶々を入れるわけにもいかないし。先生イジるなら後でたっぷり時間とれるしね。
で、まあ、おばあちゃんの持参した見合い写真?みたいなものを開いて、おばあちゃんは当然真面目に、先生もいつの間にか話を聞き自分のことを語りと、口を挟む雰囲気でもなくなったので、わたしと秋埜はそっと席を外して他の部屋に移った。
他の部屋、といっても何度か遊びに来ている秋埜が入ることを許されている空き部屋だったんだけど、まあこれが整理整頓万事オッケー!…だった居間と違ってもー、「ごっちゃり」って表現が似つかわしい、何もかもただ放りこまれただけの部屋、だったんだけど。物置にしたってもう少し片付いてると思うんだけどなあ。
「きっとおばーちゃん来るって聞いて、テキトーに片付けたんすよ」
と、秋埜は笑いながら、いいとこ一・五人分くらいしかないスペースにわたしを引きずるようにして無理矢理腰を下ろしていた。
秋埜は、うちのおばあちゃんを「おばーちゃん」って呼んでとても懐いている。聞いたところによると、秋埜はお母さんの方はともかくとしてお父さんの方も、祖父母ともに小さい頃に無くなっているとのことで、祖母っていうものにあんまり馴染みが無いそうだ。
おばあちゃんも秋埜のことは、わたしの友だちだった頃からとても可愛がっているし、恋人です、ってお披露目してからもそれは変わらず、孫のわたしが軽く嫉妬を覚えるくらいの場面もあったりするのだけれど。
ともかく、わたしは秋埜に並んで…っていうか、スペースの関係で体育座りで並ぶと、肩と腕のところがぴったりくっついた体勢になってしまう。適当に椅子代わりになるものを探してみたけれど、どーにも体重掛けたら壊れそうなものばかりで、それも憚られた。いや別にわたしが重い、って話じゃなくて。
「それならそれで先生らしいけど。で、秋埜。どうなると思う?」
「オバさんがお見合いに失敗するかどうかです?」
それは流石に結論早すぎないだろーか。先生、見た目はきっちり美人に入るのだし、黙って微笑んでいれば初っぱなから「この話は無かったことに…」とかされることは無いと思うんだけど。
ちなみに秋埜は、従姉妹である相原先生のことは「オバさん」と呼ぶ。本人は「
「別にうちだって失敗してほしー、だなんて考えちゃいませんて。オバさん、飄々としてる風ですけど実際はけっこー結婚願望強いですし」
「そうなの?意外だ…」
「仕事とか研究も好きだし、結婚してそっちの妨げになるのがイヤなだけみたいですしねー。そこんとこ、理解のあるひと見つかればきっと大喜びで結婚するんじゃないすか」
あはは、とお気楽に笑う秋埜と、ふぅんと感心して相鎚を打つわたし。感心したのは、秋埜がちゃんと先生のことを見ていたことに対してだ。常日頃、生意気な年下の親戚じみたとゆーかそのものの会話をするところしか見ていない身としては、なんだか嬉しくもなる。
「ま、結婚すりゃ少しは落ち着くでしょーし。けっこーですね、オバさんの言動に振り回される身内多いみたいですからね」
「あはは、わたしもそう思ってた。そういうとこ、本当に見たまんまだよね、先生って」
「ですです」
と、この場にいないひとをネタに変な盛り上がりをするわたしたち。
最近わたしたちは、わたしが受験ってこともあって落ち着いて二人でこんな時間を過ごすことも減っている。今日はひょんな事からこうしてくっついて楽しい時間を過ごしているけれど、やっぱりこんなガラクタ部屋じゃなくって、然るべき場所でお茶でも呑みながらゆっくりしたいな……って。
「な、なに?」
気がつくとくっついた形のまま、秋埜が首を巡らしてわたしを見ていた。それはもう、真剣そのもの、って表情で。
秋埜の考えていることはもう何も言わなくても大体分かっちゃうようになったけれど、どういうわけかわたしを睨むようにしている秋埜の怖い顔の向こうに何があるのか、この時はまったく読み取れなかった。
「どうしたの?怖い顔して。わたし、何か気に障ること言っちゃった?」
「いえ。そういうことじゃなくて」
「じゃあ…なに?」
「センパイ」
「う、うん」
ぐいと更に顔を突き出す秋埜。縮まったのと同じ距離を逃げるわたし。
そして、逃がすまいとでもするかのように更に迫る秋埜に押し切られ、わたしはその反対側にあった何か固いものに肩が当たって、それ以上身を離すことも出来なくなった。
秋埜はわたしに目を逸らすことも許さないような強い目力で、引き絞ったままの口元を、微かに
そこから放たれた言葉といえば。
「キス。していーすか?」
がくっ。
思わず脱力のわたし。場所に余裕があれば突っ伏すくらいのこともしたのだろうけれど、生憎と秋埜とガラクタに挟まれてそれも出来なかった。
代わりに肩を落として当然のことを言う。
「……あのね。そんな気分出すよーな場面でもないでしょうに。秋埜あなたわたしとくっついてればいつでも何処でもそんなコト考えるの?」
「そーじゃないすけど。でもうち、小さい頃のこと思い出して」
「というと?」
ほう、っとため息をつくと、秋埜はもとの…距離は近いけどその分もどかしさを覚えるような、微妙な位置に戻り、天井を仰いで言った。
「うち、小学生のときいじめっ子から逃げてこんな風に隠れてたことあったじゃないすか。それで、センパイがうちを助けに来てくれて。その時のこと思い出して、きっとうちはその頃からセンパイのこと、好きだったんだろうな、って」
「秋埜」
「はい?……ふぇ?」
気がついたら体が動いていた。
秋埜との間にあった手をあげ、隣にいる彼女の肩を抱くと、何事かとこちらを向いた秋埜に、自分から熱烈なのをお見舞いする。
「?………っ?!」
じっくりと、彼女の香りを楽しむようにしばし唇を秋埜の同じところに押しつけると、わたしは満足して顔を離す。ちろり、と舌で自分の唇をひとなめ。ごちそーさまでした。
「セ、セ……せせせセンパイっ?!」
「ん、なんか秋埜がとってもかわいくて。思わずキスしてしまいました。まる」
別にただのキスなんか数え切れないくらいしてるだろーに、秋埜はまるでこれが初めての時みたいに真っ赤になって、それから肩をぷるぷる震わせている。まあわたしだってこんな気障な真似して、多分同じくらい赤くなってるんだろうけ……むぎゅ。
「センパイはなんでうちをこんなに喜ばせてくれるんすかっ!もーこうなったらうちの愛しい麟子ちゃんを思い切りうちの体で悦ばせてあげますっ!!」
「むっ?!……むーっ!むーっ!」
狭い中、秋埜はわたしの頭を抱いて、自身のほーまんきわまりない胸に押しつける。もう抱くというより締め付ける、って勢いだった。
「せんぱい、せんぱいぃ…うち、センパイの方からキスされてこんな嬉しいことなかったっす!かんぺきですっ!タイミングとか勢いとか何もかもですっ!!……だからセンパイ。しましょ?」
「にゃにをふるのぅ…」
「決まってますっ!!」
わたしの頭を両手で抱え、秋埜はわたしの顔を、自分の顔との極小の距離に据える。血走ったような、でもとろんとした瞳がとても熱そうだった。
「続き。ん」
「むひゅぅん……」
いやまて一体何の続きだ、とかいうわたしの抗弁は一切許されなかった。
今し方のわたしのとは全然違う、熱くて濃いキスをかましてくる秋埜。それだけでわたしは全身から力が抜けて、秋埜に全部委ねたくなる。んー、とか、むー、とかいう口を塞がれたままのうめき声はどちらのものだっただろうか。それが分からなくなるくらいには判断能力がどっかにイってしまって、代わりによくぼーの赴くままに、互いの体をまさぐり始めるわたしたち。
いい加減息が苦しくなるくらいになるまでそれが続いた頃、流石に耐えきれなくなってわたしたちはどちらからともなく唇を離した。
「せんぱい…」
「あきの……」
名前を呼び合う声にも力がこもらず、ああ、これはも止められないカモ……って思った時だった。
「……いなくなったかと思ったら案の定か。流石に盛るには場所を弁えなさ過ぎじゃないの、あんたたち」
音も無く開いた扉の向こうに、なんだか
またか。またなのか。またわたしたちは邪魔される運命なのか。
「……じゃなくて、あのその……はい、いくらなんでもマズかったですね…ごめんなさい」
まだ忘我の状態でわたしの肩に頬ずりなんかしてる秋埜を横に、わたしは年長者として糾弾の視線を一身に受ける義務を、果たさざるを得なかったのだった。
……っていうか、おばあちゃんもすぐそこにいるってのに、いくらなんでもこれは無い。
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