第2話・荒ぶるアラサーの華麗なる婚活
「お父さん、なんだって?」
コトが中断されてしまい、すっかり冷めてしまったわたしは、何だかんだ言ってお父さんっ子の秋埜が恋人をほっといて楽しそうに電話しているのを邪魔することもなく、カーテンを開けて夏の日差しを部屋の中に入れていた。
そして、そんなわたしの様子にホッとしてか話の弾んでいた秋埜は、電話を終えるとわたしの機嫌が直っていることを確かめるように上目遣いをわたしに向けると、つい先ほどまで痴態を晒し…ああうん、もう少し言い方考えよう…いちゃいちゃしていたベッドの上にペタンと腰を下ろしたまま、なんだか嬉しくなさそうでもない顔で答えた。
「んー、なんか母さんの実家…藤原の家からの申し出だとかで、夏休みに別荘貸してくれるみたいで。うちの家とセンパイで、泊まりにいかないか、だそーで」
「ふうん。悪くない話だと思うけど。いいの?」
「いいの、って?」
「だから、お母さんのご実家の好意なんでしょ?秋埜としては複雑なものとかないかな、って」
「そーですねー……」
通話を終えたスマホを軽く頤に当て、首を傾げる。ここで秋埜が考えこむのには理由があった。
わたしこと
そんなわたしがこーして、鵜方秋埜という、下級生の女の子と恋人同士を自認するに至ったのにはまあいろいろ事情があって、そこのところは割愛する。割とよくあると言えばよくある話なのだし。…あるよね?
で、まあ女の子同士、っていうところにはいろいろと問題というか、複雑な事柄が絡むのであって、秋埜に少し難しい顔をさせている理由、っていうのもその一つだ。
わたしのカノジョであり恋人であり、とても大切な親友でもある秋埜には、夫と娘を捨てて出て行った母親がいた。いわゆる不倫の末、というやつだ。
当たり前のことだけれども、子供の頃の、家族の中での大事件は、秋埜の人生観?ってモノにひどく大きな影響を与えた。具体的に言うと、男女間の恋愛、っていう「常識」に対する信仰が、著しく世間の標準から
そしてその当時、その家族の問題でいろいろと恵まれない状況にあった秋埜を、同じく小学生だったわたしが救ってあげていた、らしい。
らしい、というのはわたしにそんな自覚が無いからであり、まあ自分の「かわいさ」におかしなコンプレックスを抱いていたわたしが腕っ節でいじめられっ子を庇うというだけのことだったのだけれど、秋埜はそのことでわたしを心密かに慕うようになり、一時は転校して遠くに行っていたのだけれど、またこの街に戻ってきてわたしと再会し、そして当時の思慕を大事にしていた秋埜に、見事わたしは口説き落とされてしまった、という次第だ。
いや、もちろんわたしにだっていろいろと事情というか伏線はあった。幼馴染みの男の子に言い出せない恋情を抱えていて自分でも気付いていなかったり、とか。
でも、そういったいろんなことを経て、わたしと秋埜は恋人になった。そういうことだ。
そして、ひとに対する想いの抱き方としては少し危ういものを植え付けた張本人、秋埜の母親はこの春にこの街に戻って来て、で、なんやかんやあって、秋埜とも、秋埜のお父さんとも和解した。流石によりを戻して籍を入れ直す、ってことではないようだけれど、今は少し離れたところに一人暮らししているお母さんが、そのうち家に戻ってくるかもしれない、と秋埜にフクザツな顔をさせるくらいには仲直りしたようだ。
わたし…は、というとその過程でまあ、いろいろあったのだけれど……我ながら暴走してたよーな気もするので、あまり詳らかにすることは容赦して欲しい、というものだ。ま、お陰で進路を決める踏ん切りもついたのだけれどね。
「藤原さんちには別に含むトコないんでいーんすけど、やっぱり…母さんと一緒に寝泊まりするってのはなー、って思うんす。間が保たないっていうか」
「まあそこはわたしとしては急かすつもりもないし。ゆっくりやっていけばいいんじゃない?いいわよ、秋埜の好きにして。イヤなら断ればいーし」
「イヤだなんてとんでもない!うちの好きにしていーなら思う存分センパイをあいたぁっ?!」
「そーいうことと違うでしょ。もう」
…そこでボケられるくらいなら心配はいらないかな、って秋埜にチョップをくらわせながら思うわたしなのだった。
・・・・・
その日、わたしはどんよりした雲を背負った保健のセンセイに、薬品の匂いが立ち込める中飲みたくも無いコーヒーをおしつけられていた。
何が起こったのかわたしにも分からない。とにかく、学校から帰ろうと歩いていたら、通りがかった保健室の、突然開いた扉から伸びてきた腕に絡め取られ、そのまま引きずり込まれたという次第だ。場所が場所で相手が相手なら、警察が呼ばれてもおかしくない手並みだった。
「……で、何かとたぼーな受験生様をつかまえて何をしようってんですか」
「……多忙?あんたが?」
相原先生は、信じられないものを見た、とでも言わんばかりにざーとらしく目を見張り、まだ一口しかつけないうちに早くも冷めつつあるわたしの手元のコーヒーを見て、軽く舌打ちをしている。だからわたしはコーヒーはあまり好きじゃないんですってば、と何度言えばこのセンセイは理解してくれるのだろう。
「まあ受けた恩に鑑みて話くらいは聞きますから、早いところ解放してもらえません?」
「………恩の深さに比べて随分な態度じゃない」
「それはまあ、恩のバランスからいえば当然じゃないかと」
「言うわね。まったく口の減らない…」
そんなこと言われても。
わたしは肩をすくめて、仕方なしに香りもすっかり飛んでしまった冷めたコーヒーを口元に持っていき、飲むフリだけしておいた。
こちら、
「さて、話を聞くと宣言した以上、聞いてもらうわよ」
その色々とアレな言動の目立つ相原先生だけど、それにしたって勝手が過ぎないだろうか。一応こちらは授業料払っている立場なのだし、大体個人的な相談事なら秋埜か秋埜のお父さんにでもすればいーのに。
「うるっさいわね。話の内容が内容だからあんたにしか話せないのよ。分かる?」
「あんまり分かりたくはないんですけどー。でもまあ、聞くだけは聞きますから、どうぞ」
「その前にその持った鞄から手を離しなさい」
ちっ。いつでも逃げ出せる体勢にしてたのがバレた。
仕方なくわたしは鞄を床に置き、ついでに「ごちそうさまでした」とさっぱり減らなかったコーヒーカップを先生に突き返す。
まあわたしがコーヒー好きじゃないのは流石に理解しているから、先生もいくらか残念な顔ながらも受け取って、
そして、いかにもな配置のデスクの前の、肘掛けのついた回転椅子に再び腰掛け、こちらは背もたれすらついていない回転椅子に座らされたわたしと、膝もくっつこうかって位置について、やや深刻さを増した顔つきになって、こう言った。
「………この間の話、真面目に頼みたいんだけど」
「……はあ」
普段に似合わない先生の、真摯な申し出にわたしの示した反応というと、これがまたえらく気の抜けたもの、だったりした。
わたしが秋埜との関係に悩んでいた頃、相談相手と言えるのは相原先生だけだった。
秋埜は何のかんのとわたしへの好意を隠さずにいて、告白ももちろん秋埜の方からで、わたしは寄せられた気持ちに対してどう向き合うか、態度を決めかねていたのだ。
相談相手が他にいない、との件だけれど、実のところいないわけではないにしても問題がデリケートに過ぎて、秋埜のことをよく知っている相手じゃないとなかなか突っ込んだ話が出来なかっただけだ。決してわたしに友達がいないわけじゃない、ということは強く指摘しておく。
…話がずれた。とにかく、この先生はコトの発端からわたしと秋埜の関係にはいろいろと関与しており、まあその時点では世話になったという記憶を保持するのも吝かではないのだけれど、秋埜がお母さんとの関係において問題を抱えていた時は、身内としてはあんまり打開策を講じられなかったこの先生に代わって、わたしもいろいろと奔走したものだ。
といって、秋埜のことでわたしが動くのは当たり前だから、嫌々やってたわけじゃない。ただ、それでもその折りのこの先生の役に立たないっぷりは半端じゃなく、恩の軽重という意味ではむしろわたしの方が功績は大きいんじゃないだろうか。この先生と一対一の関係で見る限り。ああ、うん。実際秋埜ともやもやしてた時分のことを思い出すと、先生もあんまり役に立っていなかった気がする。やっぱりわたしの方がエラいんじゃないだろうか。
とはいえ、わたしはこの先生とこーして油断出来ないやりとりをするのは、それなりに悪くないと思ってはいるから、万事片付いて相談とかそんな必要がなくなってからも、時折こうして丁々発止の会話に興じることになっている。なっている、としか言い様が無い。
「この間の話、っていうと…あのー、本気、ですか?」
「………恥を忍んで話すわ。いい加減、親戚連中の圧が酷いの。三十越えたら相手も見つからなくなるだの、いつまで金にならない研究なんかしているんだだのと。でも本気で相手探すのも……なんだか
分かりません。
…とは言わなかった。いや言いたいのはやまやまなんだけれど、身を乗り出して真に迫った態度で顔を寄せられると、仰け反って引きつった顔になるしか、やれることが無い。
「いい?これは、この話はあくまでも、あ・く・ま・で・も・っ!!…あんたが余計な気を回して、わたしが可愛い生徒の戯れに苦笑しながら相手になってあげる。そういうこと。オーケー?」
「どこをどーすればオーケーになるんですか。何一つ合ってないじゃないですか。あのですね、先生」
「な、なによ」
俄に気色ばんだわたしに気圧されたように、先生は化粧の薄い顔を後退させる。よく分かんないけど、三十近いにしては肌もキレイだと思うんだけどなあ。
「この間の話は、冗談とまでは言いませんけれど、そーいう話もありますよ、考えの一つにいれておいてくださいね、ってだけのことです。大真面目に検討するような話じゃないでしょうが、教え子に見合い相手を紹介してもらうだなんて」
「
「先生が勝手に食いついただけでしょーが。まったく、そこまで血眼になるほど結婚って大事なんですか?」
「……うう、ほっといてよ。私だってね、好きで独身貫いてるわけじゃないのよ…でも研究職の女なんか好き好んで口説いてくる男なんかいないし、いたらいたで難あり物件ばかりだし……大体、大体ね?!うちの親戚のクソどもも大概にしろっつーのよ!ああん?!今どき女は結婚してナンボみたいな時代錯誤もいいところな物言いなのよ!テメエら頭は二十世紀に置き忘れて来てんじゃねえのかってのよ!あンンンのド腐れの時代遅れ共のクソ脳ミソをアップデートしてやりたいわっっっ!!」
っていうか先生の場合、結婚でもした方が言動も人生も落ち着くと思っての真面目な助言なんじゃないかなあ。普段が普段だけに。
わたしは立ち上がっていきり立つ先生をシラけた思いで見上げながら、ぼんやりとそんなことを思った。
で、先生が言ってたことは半分の半分くらいは本当のことだ。わたしのおばあちゃんが、割とお見合いの世話好きというか、趣味で若い人を娶せるようなところがあって、もし先生も困っていたらおばあちゃんに話してみますよ、ってことを一度言っただけのことだけど、その時はあからさまに気乗りしない風を装っていたから、それっきりだと思っていたのだ。
それがまあ、最後の手段みたく思われていたとは予想外にも程があるというものだ。この期に及んでカッコつけたがるところなんかは相原先生らしいけど。
「いい?!分かる?!あんたと秋埜はもうこんなコト考える必要はないのかもしれないけどねッ!!コッチは人生の岐路なワケよ!そこんとこ重々承知した上で私のためにキリキリ動きなさい!いいわね?!」
「はあ。まあ先生がかなり切羽詰まっているのは承知しましたので、それなりのことはしてみます」
「そ、そう……素直過ぎてちょっと意外だけど。あんたのことだからてっきり皮肉で殺しにかかってくるかと思った」
わたし先生にどう思われてるんだろ。秋埜の従姉妹だから無下にも出来ないってのがあるにしても、それでも礼儀と敬意を払うべき相手くらいは
「おばあちゃんに相談してみるだけのことですし。別に皮肉言うのもめんどくさいとかそんなことはないです」
「いちいち一言余計なのよ、あんたは。まあいいわ。あと秋埜には妙なこと言わないで。分かった?」
「それこそ余計な一言、って気がするんだけどなあ。あ、お話終わりならこれで帰りますね」
長居は無用。いや別に先生が嫌いっていうわけじゃなくて、そろそろ帰らないと予備校に遅刻するし。
勤勉な学生はスレた大人の愚痴なんかにいつまでも巻き込まれているわけにはいかないのだ。
わたしは鞄を取り上げてさっさと帰り支度。なんだか無駄にエアコン効かせた室内は、夏の制服だと少し肌寒くすら感じる。
両の二の腕を手で擦って度の過ぎた涼しさを誤魔化すと、それに気付いた先生は「寒かった?悪いわね」と今さらなことを言っていた。
そんな感じで保健室を後にした。
夏の放課後のことで、まだ夕方とも思えない明るさの中、玄関のロッカーが目に入った辺りで秋埜から電話の着信。あの子今日はお父さんと外食するとかで先に帰ったのだ。
「秋埜?どうしたの。お父さんとけんかでもした?」
『うちと父さんがけんかなんかする理由ひとつもありませんて。今車の中ですけど、なんだか今センパイとお話すると面白いことになりそーだなー、って。それだけっす』
鋭いなー。ちょうど極上のネタ仕入れたとこだし。
わたしは相原先生から見合いの仲介を頼まれたことを包み隠さず話す。だってわたしと秋埜の間に隠し事なんか無いのだし。
先生に口止めされた?妙なコトを言うな、って言われただけだもの。事実をありのままに伝えるのが妙なことのわけがない。
そして学校を出て予備校に向かうバスに乗るまでの間、話し相手になってくれた秋埜とは名残を惜しみながらそれぞれに用事に戻っていったのだけれど。
…その後、秋埜経由で先生の婚活事情がお父さんにまで伝わってしまったことについては、遺憾の意を表明したい。
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