1話完結『自由の設計士』
エコエコ河江(かわえ)
キノコの背中、アズートの胸中
ジャダリジモーレ大陸の南東を治めるのがエイノマ王国だ。天災は少ないものの、平坦な地形から国境争いが過激で、前線基地はいつでも兵が睨み合いをしている。安定した供給のために都市部では伝統を重んじ、外部からの情報を取り入れるのも遅い。
それでも安定はしているエイノマ王国だが、ついに見限って外へ出る者が現れた。機械いじりを楽しむ少女、キノコだ。凡庸とはかけ離れていたために抑圧が多く、評価を受けるには見る目が曇っている。得意の機械技術を使い、誰にも気付かれずに国境を越えた。その後は宛もなく彷徨っていたところを、傭兵団体アナグマの観測手に保護された。
「きみ、何者だい?」
「お姉さんこそ。どうしてきのを見つけられたのさ」
「それは仲間だけの秘密」
「じゃあ仲間にして」
「ずいぶん積極的ね。いいでしょう。私はユノア。まずはキノちゃんを、皆に紹介しに行くよ」
「やっぱりお姉さんこそ、ずいぶん話が早い。きのは助かるからいいけど」
キノコには実績がふたつもある。エイノマ王国の国境を軽々と越えた上に、観測手の目を欺きかけた。アナグマからの評価は最初から高い。中でも調停者の推薦が強く、機械の部品や工具を無制限に提供する、と初日から決定した。それ以来、キノコの目はいつでも輝いている。
調停者のおかげでキノコはアナグマに居付き、拠点とする礼拝堂の隠し部屋で十一歳の誕生日を祝われた。尊敬できて仲良しの仲間に囲まれる、最高の誕生日だ。アナグマには大陸を分かつ四カ国の出身者が集まっている。エイノマ王国の出身者はまだキノコ一人だけだが、調停者の働きもあってやがては増える見込みもある。文化も事情も異なる全員にただひとつ共通するのは、故郷の文化には馴染めないことだ。
キノコは道具を作り続ける。これまで燻っていたアイデアをどんどん形にしていく。手持ち道具の他に、やがて大掛かりな仕掛けにも手を伸ばした。話題はアナグマの情報網で伝わり、別の礼拝堂や、中央の大聖堂に出向く機会もあった。
ここまでが過去の話だ。得られなかった自由を謳歌するキノコに対し、快く思わない者がいる。エイノマ王国からの使者団がキノコを探し、ようやく手がかりを掴んだ。エイノマ王国では大人が子供を守る。並行して安全に経験を積む機会を作る。凡庸な子には助けになるが、創造的な者には抑圧となる。失敗や損失であっても自分で受け入れたい。未知に対しても微妙な違いに触れていきたい。自由とはそのように書く。
使者団の中心を担うアズートは、キノコが唯一、まあまあ話が通じるので仲が良かった少年だ。御者や荷物の管理をはじめとする雑用は大人が受け持ち、キノコとの交渉はアズートに任せる。快適な旅路のために必要なものを用意する誰かがいる。使者の活動で必要になる役割を教えるのも兼ねている。
使者団はカラスノ合衆国領の街に着いた。表向きには同盟を結んでいるおかげで、柔らかな寝床を拠点にできる。この近くにいる複数の住民から「森林深くの礼拝堂で世話になっている」らしいと示す情報があった。アズートを向かわせるのは翌日で、その間に大人たちは食料の買い出しやその他の商談をしておく。アズート一人で行かせるのは、そのほうがキノコも話しやすいと考えてのことだ。
どうせなら都市部の礼拝堂で世話になればいいのにな。アズートは初めこそそう思ったが、人が歩き続けて慣らされた道を進むうちに、こっちも悪くない気がしてきた。森林と聞いて思い浮かべるような険しさがすっかりなくなって、見えるものは自然物ばかりなのに、文明的な歩き心地になっている。
同時刻の礼拝堂では。
「キノちゃん。エイノマ王国風の少年が近づいてくる。確認を」
観測手、ユノアが逸早く伝えた。礼拝堂への道を露骨に歩きやすくしてあるので、近づくものをすぐに察知できる。アナグマが森林部の礼拝堂を拠点にする理由だ。
秘密の二階はキノコが手を加えてからはこっそり出入りできる道が増えた。ただし、不自然な現れ方になったら疑う余地になる。礼拝堂とアナグマの関わりを知られるリスクは避けたい。ならば、どこを使うか。
礼拝堂に訪れるものは徒歩ばかりではない。脚が弱いとか、遠くから来るとかで、乗り物で訪れる者もいる。街中に停めるにも限りがあるし、金もかかる。アナグマの表の顔、宗教団体エルモは誰であっても受け入れる。そのために、どの方向にも乗り物を置ける程度の広場がある。
広場の東屋に、キノコ一人で座り込む。この日は誰も使っておらず、ベンチを独り占めして、暇つぶしの小道具と工具を広げた。小さなボルトの具合を調整しては空回しをしていく。その様子をユノアが秘密の二階から見守っている。使者らしき少年と会う意思は尊重するが、もしキノコに危害を加えるならば、物静かなユノアも決して黙らない。友として。
アズートは礼拝堂へ向かう途中の広場に気づいた。人が少ない今なら空回しの小さな音でもよく聞こえる。金属が擦れる音が、木々に囲まれた中では異質に響く。見間違えるはずがない。東屋に座る小さな影は、かつての友、キノコに違いない。さっきまでと同じはずの木々が眩しく輝く。変声期の声を張り上げた。
「キノ! キノだよね! 久しぶり!」
呼びながらすぐに駆け寄った。キノコも少し大きくなっている。以前ならば首を下向きにしていた距離でも、今は首を楽なままに目を合わせられる。その他は相変わらず、金属質の匂いを纏って、機械いじりを心から楽しんでいる。呼んでもすぐには気付かないほどに。
「アズート。久しぶり。どうしたの?」
喋り方は少し落ち着いたように感じた。大人びた所作で隣に座るよう伝える。アズートは成長した気になっていたし、現に成長している。キノコがいなくなった半年前よりも、体が強くなったし、経験も増えた。特に、食べられる植物の知識は、実地のおかげで細かな機微まで読めるようなった。
それでもキノコを前にすると、それらの全てが微々たる違いに感じられる。自分より遥かに成長している。成長期の男女差を差し引いても、使う工具が増えて、肩掛けバッグから溢れかけている。その全てが重そうでありながら、キノコは軽々と扱うし、服も整った形のままでキノコに応えている。子供サイズながら、アズートの周りにいた大人よりも上質な仕立てかもしれない。
佇まいだけで気圧されそうだが、アズートには言うべき話があってはるばるやってきた。大人たちの期待に加えて、アズート本人の意思もある。
「キノと話したくて来たんだ。まずは、うちに帰るつもりはないかな。みんな寂しがってる」
「きのの家はここだよ。今は寂しくなくなって、毎日が楽しいの。前の家には、もう帰らないよ。みんなが寂しがっちゃう」
嫌味でも当てつけでもない、ただ楽しんでいる喋りかただ。アズートにもそのくらいわかる。抑揚の付け方は時として言葉選び以上に意思を運ぶ。かつてのキノコは、楽しんでいてもどこか隠れようとしていた。今は違う。安心に包まれている。
「よくわかった。それじゃあもう一つだけ。僕もキノと一緒に暮らしたい。キノがいない故郷なんて、故郷じゃない。僕も連れて行ってほしい」
アズートの言葉に対して、キノコは身構えた。本心なのか、策謀なのか。昔なら「いいよ」と答えていた。今はアナグマでの経験から、騙して取り入る簡単さがわかる。一方で、見抜く方法はまだ学んでいない。
「アズくんの腕だとどうだろ。きのじゃあ、わかんない」
「やっぱり、僕はまだ頼りないか」
「そうだね。でも、きの以外が頼るかも」
キノコは具体的にどんな仲間がいるかは伏せて、アズートも追求はしない。キノコから信用されているとは思わないし、逆にキノコを信用している。様子をみれば明らかに、キノコはこのまま新しい故郷にいる方が輝ける。キノコのためを思うならば、どんな危険が見えても本人の意思を尊重する。故郷では異端となる考えだが、だからこそアズートもキノコと共にいたい。友として。
ひとまずは話を終えて、アズートは元の道を戻る。大人たちにどう報告するか、どうやってキノコからの信用を得るか。考えるべき内容が山積みだ。
アズートの背中が見えなくなったら、キノコも礼拝堂の秘密の二階に戻る。この支部を取り仕切る調停者に相談する。きっとノモズさんがなんとかしてくれる、と信じている。
キノコが礼拝堂に近づいた頃、空気が暴れる音と共に、白い壁がオレンジに染まった。森林の木々が燃えている。
道以外の、見た目は原生林らしい森林部にも、実は文明の手が入っている。エルモとアナグマの繋がりが割れた場合に備えて、誰が攻め込んでも迎撃するためだ。燃えにくい木の中によく燃える木が配置されていて、炎を蜘蛛の巣状に広げる。前にも炎、後ろにも炎、横と合流しようにも炎で分断する。
今回は試運転も兼ねているので、道を塞ぐ炎の壁を薄くして、飛び込めば誰でも通れるように調整してある。ゆくゆくは完全に通行不能にする装置だが、今はまだ整備を進めているところだ。範囲も狭く、夜でなければ都市部からはまず見えない。
キノコが眺める隣に、ユノアが降りてきた。仕事着の外套で全身を隠しているが、普段通りに膝を曲げて目線をキノコに合わせる。口周りまで覆う襟をどけて、短く伝える。
「さっきの少年。集団と合流した後で小競り合いが始まった。今は炎のおかげで小康してる。どうする?」
アナグマは誰であっても受け入れる。材料として相手をよく知る人物の意見を、今回はキノコの意思を尊重する。アズートについてはそこそこ高く評価しているが、その他はだめだ。アナグマの利益は全く期待できない。この場でのキノコの役目は、適切な情報をユノアに伝えること。
「アズートは植物に詳しい。役立ちそうなら引き込んで。残り全員は、いないほうがいい」
ユノアは頷いて、炎へ飛び込んだ。特殊な加工を施された外套で身を守り、確認していた場所へ向かう。休戦して協力しそうだったところまでは見たが、声が聞こえるまで近づいたら、再び小競り合いが始まっていた。大人たちがアズートを囲んで、掴んで、罵声を浴びせている。反論にも効く耳を持たない。
内容は主に三通りを、細かな言い方だけ変えて繰り返している。
「キノコは連れ帰る」
「強引にでもだ」
「こいつらは危険だ」
放ってはおけなくなった。危険視されている以上、情報を持ち帰られるのは不都合だ。あまり気乗りしないが、自分と仲間が生きるためだ。
ユノアは炎の中から腕を伸ばし、一人ずつ引き込む。炎の壁に包まれた小部屋に逃げ道はない。本当は飛び込めば通れるが、大人たちはすっかり腰を抜かして、情けない命乞いを繰り返している。反撃できるよう中央で座り込んだ者もいる。頭を掴んで地面に叩きつけてから持ち込む。闇夜に紛れるための深緑の外套に、黒の煤が増えていく。
最後に一人だけ残ったアズートの前で、視線を合わせて、アナグマへの勧誘を始めた。
「初めまして。キノコちゃんの意思により、きみを勧誘しに来ました。植物に詳しいと聞いています。いかがでしょう。力を見せていただいたなら、私たちは歓迎します」
ユノアは伝え終えたら、後は返事を待つだけだ。アズートはすでに答えを決めていたようで、考える時間もなく返事をする。そうまで強い意思を持っているのは、キノコに続いて二人目だ。
「僕はキノと友達でいたい。なんだって見せます。あとは、どう見せたらいいか」
「きみの答えは聞きました。約束通り、歓迎します。まずはエルモの中心部、大聖堂に行きなさい。巡礼者に混ざるなり、徒歩でも五日あれば着くでしょう。その途中で、使者が接触します」
ユノアは炎の中へ歩き去る。すっかり離れた後で炎は弱まり、消えた。正常に動いている。アズートは汗を拭い、すぐに大陸の中心にある大聖堂へ向かう。食料は拾える草だけでも、次の都市に着くまでなら賄える。
アナグマの指揮系統は、各人が各人の適性を把握し、状況が要求する内容を把握し、最適な者がリーダーとして指揮を担う。代替可能な兵を扱えない反面、どの組み合わせでも自我を持った上で有能な者だけで構成される、適性がある者にとっては快適だ。
各国では自我を持たない者をもとめている。そのまま各地に留まっていられず、外へ向かった時点で最初の選別が済んでいる。アナグマは誰であっても受け入れる。居場所がない者の居場所となる。アズートもきっと、こちら側だ。
1話完結『自由の設計士』 エコエコ河江(かわえ) @key37me
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