第20話 決着
ラウンズヒルを破壊するべく、再び竜巻を形成していた愛忠こころの体を奪った召喚獣シルフはすぐ傍の地面で倒れた一人の人間を注視する。
そこには自らの青く輝く左腕と同じ、青い光が見えた。
『フッ……』 思わず、シルフは死屍累々の中一人でほくそ笑む。
――大灰触……あれほど強力な魔法で身を削っておいて、まだ魔法を使うか。哀れな。
その倒れたショクの腕が光る様を見るシルフに焦りは露ほども無かった。
魔力を持たない身で魔法を行使すればどうなるか――シルフはそうしてきた者の末路をかつて多くの魔法使いが存在していた時代から嫌と言うほど目の当たりにしてきた。
『自ら死に急ぐとは……実に愚かな奴だ。しかし、愚かであったが……実にいい相手だった……お前の肉体は復讐が済んだ後で、この妹の体と共に大地へ還してやる』
シルフは思考を中断し、再び竜巻の形成に専念する。
これで、役目を果たせる――シルフがそう考えた時だった。
――突如、大灰触の体から光る青い靄(もや)のようなものがゆっくりと飛び出した。
『……な、何だ――?』
その靄は吹きすさぶシルフの風に流される事なく、ゆらゆら動き周囲に拡散し広がってゆく。
それはシルフへ向かうことも無く、攻撃性も無く、害の無いものだった。
――なら、何だというのだ……!?
やがて、ショクの体から出て中空を漂い、浮遊していた靄はそれぞれが時を同じくして地面へと吸い込まれるように消えた――いや、正確にはその地面で倒れていたショクを除く全ての人間の体に吸い込まれていったのだ。
『な、何ッ!?』 シルフは驚きに我を忘れるあまり、竜巻を自ら消失させてしまっていた。
しかし、今、目の前で起こっていることに比べればそのような事もシルフは瑣末に思えたのだ。
何と、靄に包まれた人間達――エニス、カナデ、ティミト、レニティア、女王プレウィック――そのシルフが倒したはずの五人が全く同時に目を覚まし、起き上がったのだ。
そして更に驚く事に皆、それまでに負った傷一つ無く、まるで時を戦いの前へ遡ったように元通りの姿で意識を取り戻していた。エニスに至っては千切れた右腕すら元通りになっていたのだ。
「私……どうして……あれ、皆……」
「エニス!? あなた無事だったのね!!」
「あ、あれ? あたし、何でこんなトコで……」
「わたくしは……やられたはずでは……あれ、ショク様は……」
シルフは生気に満ち溢れる彼女らを見た瞬間、初めて恐怖に体を震わせた。
自分が始末したと思っていたショクを除く人間の全てがほんの数秒の間で復活したのだ。
『ばっ、馬鹿な、何故生きている!!?』
シルフはもう、彼女達の存在も忘れ、ただその奇跡に目を瞠った。
すると、同じく起き上がっていた元通りになった法衣を着た女王が鋭く叫ぶ。
「皆さん! 気を抜かないでください!! シルフはまだ私達の前にいます!!」
「――――ッ!!」
五人の目線が一瞬でシルフに集まる。シルフは咄嗟の事に、彼女達への攻撃に思い至らなかった。
だが視線が集まって数秒の後、シルフは思い直し素早く今の状況を把握する。
『く、ぐぐぐ、い、いやッ……ざ、雑魚が意識を取り戻しただけだ! 回復したところで恐れることは無いッ――死ねぇッ!!』
言うが早く、シルフは再び腕を伸ばし獲物を切り刻む凄まじい風を発生させる。
そしてカナデが素早くその動きを察し、声を上げる。
「クソッ――『土塊翁(ノーム)』ッ!!」
『無駄だ!!』 シルフが風を発生させながら叫ぶ。
そのシルフの強化された風は変わらずすさまじい勢いを持ってカナデの『土塊翁(ノーム)』の壁を貫く――はずだった。シルフの予想は突如土から這い上がった何十メートルもある土塊の壁に阻まれ、無残にも裏切られた。
シルフの風は突如現れた――遥かに膨大な質量を持つ巨大な土の壁に阻まれ消失したのだ。
「え――?」
それに驚く声をあげたのはシルフではなく、壁を出現させたカナデの方だった。
壁はやがて、その大きさを支えきれずボロボロと表面から砕け、やがて壁は崩れるように自壊した。カナデの本来の力を遥かに超える召喚獣の力がカナデの目の前で発動したのだ。
「どういう……こと? 私にこんな力が……」
『バ……馬鹿な……信じられん。何故こんな奴らに私の力を阻むほどの……そ、そんな力が』
「――いいえ。それはあなたの力じゃない」
突如、辺りに響いた淀みないエニスの声。
『な、何ッ! ――ッ!!?』
シルフは戦慄し、すぐ傍にいるエニスの変わり果てた姿を見つめる。
今、エニスの纏った炎は前と比べ物にならないほど大きくなり強力な力を内包していたのだ。そんなシルフの驚きを無視し、エニスは召喚石に赤く輝く鋭い目をシルフへ向け口を開く。
「あなたの風の力はショクの妹から奪ったもの……あなたのその力は自分の力じゃない」
『ふ……ふざけるなぁッ!! なら、お前たちのその今の力は一体なんだと言うのだ!!? なぜ私の風を防げた!!? さっきまでのお前たちは私が倒してきた他の私兵どもと大差――』
「この力はショクが私達にくれた力」
『な……』
「私には解るの……この温かい感じ……ショクの体温と同じ……優しい力……」
エニスの潤んだ目が地面に倒れているショクへ向けられ、やがてシルフを向いたときその目は鋭いものへとなっていた。
「私は……あなたを許さない……!」
エニスの目の中の『火蜥蜴(サラマンダー)』の炎がまた更に強く燃え上がる。
その炎はエニスの感情を表しているようだ。
『う、ぐぐ……』
するとその傍でオホンと、女王が軽い咳払いをして話し出す。
「補足させてもらえば、この魔法は私達召喚女士(ミストレス)や私のような魔法使いを補助する回復魔法の一種です。それはショクさんの腕の刻印の『三行目の魔法』――深く傷ついた者にほど『活力』を与える癒しの魔法です。私、初めて体験しましたがこれほどの力を得られるとは……」
『さっ、『三行目』――、だと……!? そ……そんな、馬鹿、な……事が。そ、その男が使えるのなら何故その男と同じ刻印の魔法使いである、この私――いや、この肉体の女は一行目までしか魔法を使えないのだ!!?』
「シルフ。私にもショクさんが何故三行目の刻印を突然使えたのかハッキリとはわかりません。ですが――シルフ……あなたはショクさんより明確に劣っているものがあります」
『ふざけるなぁッ! 私があの男よりも劣っているものなど――』
激昂し感情のまま叫ぶシルフの声を待たず、女王は静かに続ける。
「それは魔法への思いの強さです」
『な――、何、だ……と?』
「あなたは魔法を力を更に高める為の道具としてしか見ていなく、魔法を本当の意味で理解していなかった。――魔法は望みを叶える為の力。魔法はショクさんの強い思いを受け、ショクさんに新たな刻印の力を与えたのです」
『ばっ……馬鹿な……! そんなハ、ハズは……無い。わ、私は』
女王はそんな威勢を失い、力なく呻くだけのシルフを睨みながら、静かに後ろへいる召喚女士(ミストレス)の少女達に口を開く。
「『黒百合』の皆さん。私は急いでショクさんの手当てをします。ですから――」
女王が言い切る前に、エニスが答える。
「女王様。解っています。ショクの妹の体は絶対に私達がシルフから取り戻します」
「……全て解っているようですね。解りました。お願いします」
『――ッ! 行かせるかぁ!!』
シルフが激昂し、シルフの後ろ数メートルの位置で倒れるショクへ向かう女王へ、風の塊を放つ。
しかしそれらは何れも女王に触れることなく、全てその手前で消失した。
「ふふふ、ショクさんのくれた力のおかげで私の魔導防壁は今までより三割増しに絶好調ですッ!」
『そ、そんなっ――』
シルフの攻撃がいとも簡単に防がれ立ちつくす。
そしてエニスはその隙を見逃さなかった。
エニスは後ろに控える三人の『黒百合』のメンバーへ語りかける。
「カナデ、レニティア、ティミト。シルフに直接攻撃しちゃ駄目。あくまでも気絶させるだけ――そうすればシルフは肉体から出ざるを得なくなる。私達でショクの妹を……こころを助けてあげよう。いい?」
やがてエニスが彼女たちを振り返り、そしてその皆が自信満々に頷いた。
「ええ、解ったわ。リーダー。防御は任せて頂戴」
「りょーかいっ! 今ならあたし何でも出来ちゃうかも!!」
「同じく了解しましたわ。今、私の体内の子(アルラウネ)達がこれ以上ない位、元気ですの!」
『や――やめろ……! やめろぉッ!!』
シルフは裏返った声で叫び、風を再び発生させる。しかし、それは当然のようにショクの魔法により何倍にも強化されたカナデの巨大な土塊の壁に阻まれ、同じように消失した。
シルフが攻撃を防がれたことで呻く間もなく、エニスの声が鋭く響く。
「ティミト! レニティア! シルフの動きを止めて!」
「うんっ、わかった! 『紺碧粘体(ブルースライム)』ッ!」
「解りましたわ!! 『百面妖花(アルラウネ)』ッ!!」
『ひっ――ひぃぃ!』
シルフは全力でツタと水飛沫の攻撃を自分の周囲に風を吹き荒らしながらどうにか避け、空高くへと飛び立っていた。
――そうだ……高所なら……空を飛べぬ奴等に私を攻撃する術は無い……! 悔しいがここは一度逃げた方が……!!
もう今のシルフに彼女達を打倒する事は出来なかった。
明確な力の差を目の当たりにし、シルフは撤退を選んだ。だがしかし――
その遥か真下の地上。
エニスが空に消えてゆくシルフを見て、叫ぶ。
「皆!」
エニスの目がカナデ達を見る。
同時にカナデ達はエニスの意思のこもった眼の中にある言外の意図を感じ取り、頷く。
もう次に何をするか――言葉は無くとも今の『黒百合(ブラックリリス)』の中では既に通じ合っていた。
「ええ! 任せて! ティミト行くわよ! 『土塊翁(ノーム)』ッ!!」
「うんっ! 『紺碧粘体(ブルースライム)』ッ!!」
二人の重なった召喚魔法の名を叫ぶ声の後、二人の前、飛び上がったシルフの真下の地面に十メートル程の巨大な大きな土の立方体が現れた。
「エニス……行きますわよ! 出なさいッ! 『百面妖花(アルラウネ)』ッ!!」
レニティアの口から『百面妖花(アルラウネ)』の微小な種が前にある土の立方体へ放たれ、それはほんの数秒で巨大な樹へと姿を変え、夜の帳を破るようにグーンッ、と突き進み、先が見えなくなるまで高く成長する。
そして、樹が成長を終えたと同時、エニスが樹の前へ走り、そこで小さく飛ぶと口を開く。
「……『火蜥蜴(サラマンダー)』!!」
エニスの足から召喚魔法の爆発が起き、炎を纏ったエニスの体は放たれた弾丸のように樹の幹に平行し、真っ直ぐ飛翔する。やがて、エニスの赤く輝く目が空を浮遊する一人の女の子の姿をとらえる。
それは愛忠こころ――その体を奪ったシルフだった。
シルフは音も無い静かな夜の空の上で、エニスの赤い炎に照らされた瞬間、後ろから迫るエニスの姿に気付き、そして声をあげ驚いた。
『――ばッ、馬鹿なぁッ!? どうしてお前がこんな高度にまで来れる!!? 幾ら力があったとは言えここまで来る事など……!!』
「シルフ……その体を返して!! あなたはもう逃げられない!!」
『ふっ……ふざけるなぁッ!! 私はッ……私はもうあんな所に捕われるのは――』
「――ごめん……こころ」
エニスが樹を踏み更に飛翔してシルフへ近づき、エニスはそのシルフの眼前で右の拳を振り上げる。
『ひぃぃっ!!』
――ぺしっ…… 「――――な……?」
静かな空の中で乾いた音が響く。
エニスの召喚魔法を覚悟したシルフは咄嗟に自分の顔を腕で覆っていた――しかし、エニスは召喚魔法を使わずただ、のろい動作で拳をシルフの腕に叩きつけただけだった。
やがてシルフの口が震えながら掠れた声を出す。
『ど、どういう事……だ……?』
シルフがまだ自分の命があることに驚きながらエニスを見る。エニスの表情には影が差し、辛そうな表情で顔を歪めている。エニスの食いしばった歯から、小さく言葉が漏れ出る。
「……だ、駄目、私は……こころを殴ること……なん、て……」
シルフは動揺の表情から、やがて口元を吊り上げニィッ、とエニスに嘲りの笑みを浮かべる。
『は、ハハ! ハハハハハ!! 何だ!? それが攻撃か!!? ――そうか! お前はこの体に攻撃できないんだな!!? 私が奪ったこの体があの大灰触の妹だから!! ハ、ハハハハハハッ!!』
(くッ――――)
『ハハハハッ! 自分の力で空を飛べないクセに私の視界に入ってくるなぁ!! 落ちてしまえッ!!』
シルフの高笑いと共に周囲から風が吹き荒れ、それはエニスの体を更に下へと落とそうとする。
「うっ……!!」
すぐさま、エニスは足元に『火蜥蜴(サラマンダー)』の爆風を発生させる。
しかし空の上、何の踏み台も無いことで、既に落下を始め体の上下が入れ替わっていたエニスは先ほどのように真上へ一直線に飛ばす、逆に地面へ向かって一直線に落下する。
その自らの召喚魔法によって急降下し、無様に落ちてゆくさまを見たシルフは自分が助かったという喜びに狂喜しながら叫ぶ。
『無様だなぁッ!! ク……ククク、ヒヒ……ヒャァ――ハハハハハハハハハハッ!!』
シルフは見下ろし、今までに無いほどに不快な声を空に響かせ哄笑する。
自分が以前笑った事がどのくらい前か思い出せぬくらい、久しぶりにシルフは夜の空の上で一人、声の限り笑い続けた。ただ自分が生き残った喜びに、シルフは歓喜していたのだ。
(生き残った!! 生き残ったぞ!! プレウィックめ覚えておくがいい。私は何度でも――)
――しかし、その見下げた場所で突如、凄まじい竜巻が吹き荒れる。
(な――に、)
シルフは目を瞠った。その風は自らの風ではなかったのだ。
「うおおおおおぉぉ―――――ッ!!」
凄まじい竜巻の中心から大声を大気に響かせ、一人の男がエニスを腕に抱え真っ直ぐシルフめがけ飛翔してくる。その男は――
「テメエだけは……テメエだけは逃がすかよおおおぉ――ッ!! シルフウウウ――ッ!!」
シルフは突如表れたその魔法使い――倒していたはずの大灰触に恐怖した。
『ばッ……馬鹿なぁあああああ――――ッ!!? お前ッ……お前は先ほど魔法で命を使い果たしたはずなのに何故――』
その魔法使い、ショクが天に真っ直ぐ伸ばした右腕には眩いばかりの魔法の刻印の光があふれ出している。
そして、シルフは気付く。――自分を殴ったショクの右手に傷一つ無い事を。
ショクは刃の風を纏ったシルフを殴った時に右手を負傷していた筈だったのだ。
――そうか!! プレウィックが……あの女がショクを治療し魔力を与えたのか!!?
プレウィックの用途の広い光の魔法には人を治癒するものがある。――シルフはそれを知っていた。
今、ショクの放っている魔法の竜巻の力はシルフの風を完全に上回っている。
まともにやり合えばまず、シルフはその風に飲み込まれ制御を失うだろう。
地上には女王や他の召喚魔法使い達もいる、もう、勝てない。――それを冷静さを失った頭で理解したシルフはすぐに逃げるべく空中で下からどんどん迫りくるショクに背を向ける。
『に、逃げ――』
しかし、竜巻に乗って突き進んできたショクはあっという間にシルフを越え、そのシルフの正面まで来ていた。
ショクが刻印の光に満ちる右腕の拳を振り上げ、口を開く。
「とっとと、こころの体を――」
『ひぃぃッ! や、やめ――』
シルフが表情を恐怖に染め、叫ぶ。
だが、ショクにはもう何の言葉を聞くつもりは無く、ただ彼は右の拳をシルフの顔面めがけ思い切り振りぬいた。
「かえしやがれええええぇぇ――――――――――ッ!!!!」
――バキィイッ!!
『ごっ――がぁあああああああああああッ!!』
ショクの拳がシルフの頬を打つ音が響いた瞬間、シルフの頭が強く揺さぶられる。
シルフは急速に薄れゆく意識の中で己の今の状況をただ信じられずにいた。
――ば、馬鹿……な……う、嘘に……決まっている……私は……私……は、このまま捕まる、など――……
最後までシルフは否定するが、間もなくシルフの意識は消失した。
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