第19話 VSシルフ


数分の作戦会議の後、女王の魔法によってシルフの前へ来た女王と俺達『黒百合』五人は交渉が終わり、身構えつつシルフの出方を窺っていた。

シルフはすぐには攻撃しようとはせず、ただ地面から降りるなり周囲に小規模な風を吹き荒らしていた。

シルフの肉体であるこころの着た制服がその風を受け、不気味にばたばたとはためいている。

「ホント、大したものねアンタ……。本当に交渉だけでシルフの竜巻を取り払うなんて……」

傍でカナデがシルフの動向に気を配りながら言い、俺はそれに頷く。

――そう。とりあえず状況は予想していたよりもかなり良くなった。

女王は俺達にここに来るまでの作戦会議の際シルフは今、竜巻のコントロールを失っていると言っていた。

人間を襲う召喚獣の作った竜巻がいつまでも街の前でいることから女王は推測したらしい。

そして、その女王の判断は当たっていて結果、俺の見事(?)な交渉によりシルフは竜巻を維持出来ず、完全に消してしまったのだ。

「シルフの奴……俺達を前にして身じろぎせずじっとしてるなんてな。余裕こきやがって」

すると女王が俺に目配せをしてきて真剣な面持ちで口を開く。

「ショクさん。魔法を撃てますか?」

「ええ、さっき女王様のちょっと物足りないおっぱいを揉ませてもらったお陰で――」

「そっ、そんな事はいいですから! 早く!!」

そう言った女王の顔が真っ赤になるのを見ると、俺はその言葉にすぐに頷いて答える。

「解りましたぁ!!」

俺はすかさずシルフへ向けて魔法を放つ。イメージした文字は雷。

当然、シルフの――もとい、こころの体に直接当てる事はできないので、あくまでけん制の意味合いで俺はこころの周囲へ雷を放つ。

『――ッ』

一瞬。その雷の音に驚いたのか、シルフの周囲の風が止み、シルフは目を見開く。

――そしてその隙を見逃さなかった二人がいた。ティミトとレニティアだ。

二人の召喚獣の宿る目が一際大きく輝く。

「ティミト! 作戦通りに!」

「はいよー! れにちー!」

その声を合図にしてティミトが『紺碧粘体(ブルースライム)』の粘体を腕からバシュバシュバシュッ! と目の前に幾粒も放ち、すぐにまんじゅう型のそれは人ほどの高さをもった大きさになる。

それに合わせ、レニティアがその粘体へ顔を寄せる。

「いい量ですわ――『百面妖花(アルラウネ)』!!」

その瞬間、地面がボゴッ!と盛り上がり、見上げるほどの『百面妖花(アルラウネ)』の巨大な樹が育ってゆく。

「『土塊翁(ノーム)』!!」

次にカナデが叫び、その樹を取り囲むようにズドドドドッ! と地面から突き出るように土塊の柱が幾本も立ってゆく。

シルフはその光景を注視する。

『召喚魔法を組み合わせてるのか……? それで何をしようと――』

それが終わると同時、今度はレニティアが――

「さあ『百面妖花(アルラウネ)』! あなたの枝でこの土塊を前のシルフへ投げ飛ばすのですわ!!」

刹那。

その『百面妖花(アルラウネ)』の樹は雑巾を絞るように幹を太い枝ごとグッ!と一瞬で捻らせ、一秒もしない内に捻った幹を戻してその力を解き放った。

――ブブブブブブブブブブブンッ!!

レニティアの指示を受け、その樹は傘を開いたように枝が伸び、その枝は木の幹を中心に回転しながら周囲にあった幾つもの土塊の柱をなぎ倒し、そしてそれらは樹の周囲に土塊の破片を振りまいた。

俺達に来る土塊の破片は女王の魔導防壁により弾かれた。

そして、魔導防壁の無いシルフには容赦なく、その土塊の破片が襲う。

『ほう……お前達は今まで私を襲ってきた召喚女士(ミストレス)の奴らとは違うな。――だが、この程度の攻撃……風の精であるこの私に当たるとでも思うか?』

シルフは落ち着きはらった口調で何事も無かったかのように言う。

見ればシルフの足は地面よりほんの少し浮いていて、シルフはまるで踊るように軽やかにその向かってきている土塊の全てを避わしていた。空気を漂うその様はまさしく風の精そのものだ。

全てかわされてしまい、カナデの口元が悔しさに歪む。

「ええっ! そうね、これぐらいの当たるなんて思わないわよ! でもね――エニス!!」

「……うんッ。『火蜥蜴(サラマンダー)』!!」

女王の魔導防壁に穴が空き、エニスはそこから手を出し召喚魔法を発動させる。

エニスの手から放たれた『火蜥蜴(サラマンダー)』の高温の白い炎の柱は地面から生えたカナデの『土塊翁(ノーム)』が作った大きめの土塊の柱の一本に命中し、それは触れるなりバァン!と勢いよく弾け、幾つも微細な土の飛沫を散らす。

予想外の攻撃を受けたことでシルフは僅かに動揺に声をあげる。

『な!? 土中の水分を利用し内側から爆ぜさせるとは――チッ……しかし、僅かに当たっただけでは――』

しかし。これはシルフと戦う直前、計画していたエニス達の作戦が成功した事を表していた。

「僅かでも! あたしの『紺碧粘体(ブルースライム)』は幾らでも膨らむんだよ!!」

かつて俺へやった時のように、シルフの体で水の塊がぶくぶくと膨れて、巨大な風船のように纏わりつきシルフの動きを鈍らせる。

『う――く――……か、体が――』

それを見て取ったレニティアが樹の動きを止め、やがて女王が防壁を抜け出て、俺達の前へと踏み出しシルフへ開いた両手を突き出す。間もなくその法衣の両袖から淡い魔法の光が迸る。

「はぁッ!!」

女王の手から、大きな正方形の薄い光の板が何枚も飛び出し、それはたちまち暴れまわるシルフにのしかかって、動きを完全に封じた。

作戦会議の時に、女王が言っていた事によればその魔法の光る正方形の板はどうやら召喚獣を閉じ込める為のものらしく、これまでシルフを捕らえていた時に使っていたものだそうだ。

「さぁ、シルフ! もう逃げられませんよ!!」

女王がすっかり女王の魔法で地面に突っ伏し動けないシルフへ声をかける。

シルフの背には光る板が何重にものしかかっていて、シルフはそこでゼイゼイと、息を荒くついていた。作戦成功だ。これで後はシルフが降参してこころの体から出てくるのを待つだけ――

「早く……早くその体から出なさい! シルフ!! 今の私はこの魔法であなたを潰すことも出来るのです!!」

『ふ……ふざけるな……! く、クソ、私は……な、何としても……』

「この期に及んであなたは、まだそのような事をっ――」

『――――黙れップレウィック!! 今更、私と対等な口を聞くなぁッ!!』

その言葉が引き金となって、シルフの背の内側から何かが飛び出した。

――それはブシュウ!という間欠泉が噴出すような激しい音を伴い、飛び出したそれはシルフに覆い被さっていた光の板を一瞬で全て砕いてしまう。見覚えのある光景。女王が目を見開く。

「え――――」

(あっ、あれは魔法四属性の水の魔法……!! そうかシルフはこころの魔法を使って――)

女王の体は凍りついたようにその場を動かず、板を取り払って平然と起き上がるシルフを逃げることなく信じられないように見開いた目で見つめていた。

「そんな――どうして風の精のあなたが水の魔法を……」

『今の私はこの女の体を得た事で魔法の力を少し『学』んだからな。風を封じたくらいでどうにかなると思ったか? 哀れなものだ。――死ね。プレウィック』

「あ――――」

「女王様ッ!!」

俺は数メートル先の女王のもとへ急いで駆け寄るも、既に遅くシルフの攻撃は始まってしまった。

シルフの伸ばした腕から暴風が渦のように吹き荒れ、それは女王の体を一瞬で包み込む――そして次の瞬間、シルフの風に包まれた女王は全身から無数の刃で刻まれたように幾つも血飛沫を飛ばした。

「ああああぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

女王の絶叫が響く。そして二秒ほどで女王の着ていた白い法衣が真っ赤に染まり、やがてそれらは切り刻まれ破片となって空を舞う。

その風の刃は間もなくその法衣の下、皮膚を一瞬で越えそして更に下の筋組織を切り刻む。

叫びはいっそう大きくなってゆく。

俺はその凶行の現場へと急ぎ、防壁を抜け出し真っ直ぐ走りながら拳を握り締める。もう猶予は残されていない。

「この――」

俺が女王に攻撃を続けるシルフの前で、魔力を使い果たし何の光もない右腕を振り上げる。

その瞬間――突如、現れた無数の植物のツルがシルフの全身を包み、拘束した。

「ショク様! 離れてください!!」 「ショクっ! 早く逃げて!!」

背後を振り向くと、俺に声をかけたのはレニティアとティミトだった。

ツタを見れば表面には水の塊が幾つもついて、それらはツタの表面で小さくなりながらも膨らみ一定の大きさを保って、ツタに水分を与え、そのツタを太く強固なものへ成長させている。

「ショク!! いいから逃げて! 危険過ぎるわ!」

カナデがそう恐慌しながら言い終わった時、丁度、女王の魔導防壁が消える。

それを見てすぐにカナデは代わりに『土塊翁(ノーム)』で土塊の壁を作る。

カナデは続けざまに俺に逃げるよう叫ぶ。――その一方で俺はまた視線を前に戻してしまう。

「でも女王が……」 俺は言いながらシルフに襲われていた女王を見る。

しかし、そこには女王の姿は無く代わりに『火蜥蜴(サラマンダー)』の赤い炎を纏ったエニスの姿があった。

「エニス!? お前いつの間に……」

エニスの片腕には力を失って腕の中でうな垂れる重傷の女王の姿があった。

俺はうろたえるのも他所に、エニスは問答無用で空いている方の手で俺の左手をグッ!と握って、俺を正面から見つめる。

「ショク。急いで私の手を強く握って。女王様はまだ大丈夫。それよりも早くこの場から――」

『――弱い』

その言葉の後、俺とエニスの近くでツタに全身を覆われたシルフの周囲を凄まじい風速の風が吹き荒れる――そして、その風を肌に感じた瞬間、ドォンッ!と俺の傍にいたエニスの体が砲弾を受けたように吹き飛んでいた。俺は突如目に飛び込んできたその光景が信じられなかった。

何故なら、俺の手には今も握られたエニスの手の温もりが――

「……え?」

俺は今自分の見ている光景がすぐに認識できなかった。

俺の握った手に何かがだらん、と力なくぶら下がっている。

確かな温度のあるそれは――――エニスの千切れた『右腕』だった。

「うわあああああああぁぁぁぁ――――ッ!!」

恐怖に叫んだ俺は思わず地面に膝を落としていた。

俺は震える手でその千切れたエニスの右腕を持って見つめる。

その断面からは突き出た骨が見え、同時にどくどくと真っ赤な血であふれかえっていた。

むせ返るような血の悪臭が鼻腔へ飛び込む。

そのリアルな感覚が俺をさらに恐怖させ、俺の震えた手はそのエニスの腕を持つことも出来ず、地面へ落としてしまう。

「ぐっ……がはっ……!」

声の方を見ればシルフの攻撃を受け飛ばされたエニスが苦しそうに血が混じった空気を吐き出していた。

重傷の女王を抱えながらエニスは顔を苦痛に歪め、失った右腕の断面から血がどくどくと流れ出し国の外の乾いた土の大地を濡らしていた。

「え、エニス……ッ」

『やはり、弱すぎる』 不意に辺りに不気味な声が召喚獣の発する風に乗り、響く。

俺のすぐ傍には『百面妖花(アルラウネ)』のツタを破って出たシルフの姿があった。

『今までの奴らと戦い方が違うと思ったが。やはりお前らが戦い方を工夫したところで雑魚は所詮、雑魚でしかなかったな』

「アンタ、エニスによくも――」

「カナデ!? あなた、一人で向かっては――」 「かにゃで! 行っちゃ駄目だよ!!」

土塊の防壁の影からカナデが出てくる。

カナデの表情はエニスの重傷を目にしたことで、鬼気迫っていた。

今のシルフを睨むカナデは完全に大事な友人を傷つけられた事への怒りに支配されている。

「うるさいッ! 二人共行くわよ! ――『土塊翁(ノーム)』ッ!!」

カナデは防壁を崩し、叫ぶ。するとその崩れた防壁からティミトとレニティアが姿を見せる。

エニスと女王の惨状を目にしたことからか、二人共表情は蒼白でその目は共に恐怖に囚われていた。しかし、すぐさま二人は表情を警戒に険しくし、俺の傍にいるシルフを見つめる。

「クッ! ティミト、わたくし達も行きますわよ! ……『百面妖花(アルラウネ)』ッ!!」

「ぶっ……『紺碧粘体(ブルースライム)』ッ!!」

現れた大量の水と土が正確な比率で混ざり合い、それは肥沃な土となって『百面妖花(アルラウネ)』を太く強固な外皮を持つ樹木へと成長させる。

だが俺はもう、その攻撃がシルフに通じない事をつい先ほど目の当たりにして悟っていた。

それほど、シルフは強力な存在なのだ。

「お、おい! お前ら――」

俺の静止の言葉よりも先に、傍にいるシルフが口を開く。

『力を合わせたところで、お前らは魔法四属性を得たこの私には無力だ』

シルフは再び左腕をゆっくりと前へ伸ばす。

その前では凄まじい速度で巨大な樹が出来上がり始め、先ほどのようにその樹は自ら身を捩るようにしてその太い枝をシルフへ振るわんとしていた。

『樹には炎がいいか』

シルフがそう楽しそうに口にした時、伸ばした左腕の手首が急に青く輝きだす。

(!? あ、あの光は――俺と同じ……)

すると次の瞬間、シルフの左手から突如ボゥッ、と――視界を覆うほど巨大な高温の火球が飛び出した。

「おッ、お前ら逃げろぉ――――ッ!!」

その火球は巨大な樹へ真っ直ぐ突き進み、やがて直撃する。

樹はその火球の温度に耐え切れず、一瞬で燃え上がりやがて数秒の後、内側からバァン!!と弾け、大小様々の木片を振りまいた。

それらの木片はシルフが起こしたと思われる不自然な暴風に流されるように、真っ直ぐ一方向に飛んだ――その方向はカナデ達のいる場所だ。

「ぐっ……あああああああああ――――ッ!!」

「きゃああああああ――――ッ!!?」

「いやぁあああああああ――――――――ッ!!」

三様の悲痛な叫びに耐え切れず、俺は思わず両手で耳を塞いでしまう。

シルフの風に乗って散弾のように凄まじい速度を持って飛ばされた木片をカナデ達は全て、その無防備な体に受けてしまったのだ。

その木片の散弾がカナデ達を襲おうとする瞬間、俺はその光景に俺は思わず目を閉じてしまっていた。

「――――ッ」

声がなくなった頃、俺が恐る恐る目を開く。

……と、そこに広がっていたのは首や腹、足先に至るまで全身に数百ほどの木片の弾丸を浴び、血まみれで倒れ動かないカナデ、ティミト、レニティアの姿があった。

その光景に俺の思考が完全に恐怖に侵食される。

「う……あああっ……ッ!」

今や俺はエニス達皆がシルフの攻撃で倒れる中、立つ事すらできないでいる。

それも俺はエニス達のように攻撃を受けたわけでもなく、ただ恐怖と絶望に支配されている――たったそれだけの理由で俺は立てないのだ。

『大灰触とか言ったか。お前もこれで私の力を解っただろう。お前が私にたてついたところで、この者達と同じ末路を歩むだけだ。召喚獣本来の膨大な魔力と魔法四属性の魔法――この二つを併せ持つ今の私に最早、敵は存在しない』

「くっ……うぅ……うううううっ……!!」

俺は口答えできない自分が情けなく、悔しく、ただそんな感情を言えもせず俺は地面に視線を落とし、シルフの傍で歯を食いしばる。

涙の粒が落ち、口に血の味が広がってゆく。

――ちっ、畜生……ッ。こんな奴、どうすればいいんだよ……ッ。

『もう恐怖に答えることも出来んか。フン、ならお前はもう私の敵でも何でもない……。では、私はこの力を以ってこれより腐ったラウンズヒルに裁きを――』

「……させない」

――え……?

吹き飛ばされた所でよろよろと危うげに立ち上がったエニスは、それでも力強く叫ぶように、喉の奥からシルフへ向け声を絞り出す。

「あなたにそんな事……絶対にさせない……!」

同じく立ち上がったエニスを見たシルフが、驚いた風もなく淡々とエニスに向け言葉を放つ。

『まだ息があるか。フン、気絶したフリをしておけば命までは奪わなかったものの――まだ私に歯向かうつもりか?』

シルフは笑みすら浮かべ、エニスに問いかける。だがエニスは一瞬の迷いも無く、すぐに口を開く。

「当然……!! 私は十分戦える……!!」

「そ、そんな……エニス……お前……」

「ショク」

突然、エニスがシルフを睨んだまま俺へと声をかけてくる。

「え――――」

「私……絶対に諦めない……。だって……ショクはこの世界に来て、初めて私と会ったその日からずっと諦めずに私を支えてくれて頑張ってきてくれた――だから」

そこで言葉を切って、エニスは荒い息をつきながら、決意を込めた力強い声で言う。


「だから今度は私の番! 私がショクを支えてあげる番なのッ!! 私は頑張ってくれたショクのために……私の……私の大事なショクのために! シルフに体を奪われたショクの妹を助けて恩返しをしてあげたいのッ!!」


「……エ、エニス……」


『死にかけてなお、立ち上がるか。全くお前らはどこまでも愚かだな。安心しろ。お前もすぐに他の奴らと同じように始末――…………ガ……ハアッ!!?』

俺は立ちあがり、いつまでも妹の体でエニスに戯言を抜かすシルフの顔面に右の拳を思い切り叩き込んでいた。

咄嗟の俺の攻撃にシルフは対応しきれずその小さな体が地面を転がる。

俺の拳を振るった右手にはシルフの纏う刃の様な風に触れ、ついた幾つもの深い切り傷がある。

そこから血が流れるが俺は拳を握りなおし、その痛みを無視した。

――この程度の痛み、今のエニスが感じている痛みに比べれば大したことない。

『お前……一体、何を――』

シルフがよろめきながら立つ。もう、今の俺には目の前のシルフに何の恐怖も感じていなかった。

恐怖を完全に塗りつぶす、爆発しそうなほどの怒りが俺の中でどうしようもないくらいに溢れている。

俺は拳を強く握って、自らの衝動のまま目の前のシルフへと叫ぶ。

「……お前みたいな他人の体から奪った力でイイ気になってるクソ野郎が……エニスを馬鹿にするんじゃねえッ!!」

『何……?』

「エニスはな、お前みたいなクソ野郎と違って自分自身で強くなったんだ!! 皆に頼られる、強いリーダーになる為に自分の性格や命すらも犠牲にして強くなったんだ!! 自分(テメエ)一人の力で戦えない……お前の方がよっぽど愚かなんだよおッ!!」

言って、もう一発。俺は目の前のシルフに傷ついた拳を叩き込む。

『グフゥぅぅぅッ!!』

シルフは俺の振るった拳で五メートルほど先の地面まで飛び、その身を地面に投げ出した。

「はぁッ……はぁッ……!」

「ショク、油断しないで。まだ何をするかわからない」

荒く息をつく俺のすぐ後ろにはエニスが来ていた。

その目は真っ直ぐ先の倒れたシルフを見据えている――流石だ。こんな時でも警戒を怠らない。

「ああ、解ってる。――えっとエニス、その……ありがとな」

「……何の話?」

「俺はお前のおかげで諦めずにすんだ。おかげで助かったよ」

「ショク……! ううん私だって……」

「エニス……シルフが動き出すぞ」

「うん……!」

シルフは混濁した意識を戻すように、首を横にぶるぶる振ってやがてゆっくりと立ち上がり、再び俺を睨んでくる。

「どうしたそんな顔で俺を見て。さっきあれだけカナデ達の召喚魔法の攻撃を避けたくせにお前は俺のパンチも避けられないのかよ?」

『クッ……ふざけるな。本当にいいのか、私を殴って……。私は今度こそお前を敵とみなすぞ。それでもいいのか?』

「ああ、当然だ。俺は……いや――」

俺は傍にいるエニスを見て、やがてシルフへ向き直り、言い放つ。

「俺達は十分戦える!!」


距離にして五メートル弱。

俺と右腕を失っているエニス、そして妹の体を奪った召喚獣シルフがその距離を挟んで対峙する。

そして先に攻撃を仕掛けてしたのはシルフだった。

『吹き飛べぇッ!!』

シルフが声と同時に俺達の方へ伸ばした右腕から凄まじい風が巻き起こる。

刻印の魔法を使わない、シルフ自身の風の攻撃。

しかし――それと同時に俺もシルフに右腕を伸ばしていた。

「させるかよッ!!」

俺の魔力の無い右腕が青く輝く。俺は自分の生命力を魔法へと変換する。

そこにはもう迷いは無い。今はエニスの胸から魔力を補給する時間も惜しい。

――どのみち、負ければ俺達は死ぬんだ。何もせず諦めてたまるかッ!!

俺が使う魔法は風。シルフの放った風と俺の放った魔法の風が衝突する。

その風の勢いはシルフの放ったものと同じ――いや、俺が上回っていた。

俺の風は風の精であるシルフの風を打ち消し、やがてすぐにシルフの体を取り囲む。

予想外の事だったか、シルフの目が驚き、動揺に見開かれる。

『な――馬鹿な!? クソ、何だこの風は! な、何故私がお前の風に翻弄される!?』

「ンなこと、俺が知るかぁ!!」

理由なんか知らない。ただこれは大きなチャンスだ――。

この隙に俺は後ろのエニスに尋ねる。

「エニス! どうすればシルフはこころの体から出る!?」

「気絶……! あのシルフは肉体に意識がある状態でしか、体を支配できないの!! だから気絶させれば力は使えなくなってシルフは体から出ざるを得なくなる!」

「よし、それじゃエニス! 俺があの位置でシルフを浮かせておくから、エニスは『火蜥蜴(サラマンダー)』の爆風でシルフの顔面をブン殴って来てくれ! 遠慮はいらないぞ。シルフが体を奪ったあのこころは俺以上に体が頑丈なんだ!」

俺はこころの恐ろしいまでに常人離れした身体能力とその体の丈夫さを思い出し、エニスへ言う。

「……わ、解った!」

シルフに乗っ取られているとはいえ俺の妹を殴る事に、エニスはほんの少し躊躇したものの、やがて頷き、その場で飛び上がって、足元で作った『火蜥蜴(サラマンダー)』の炎の爆風で更に上へと飛び上がった。

そしてエニスが飛び上がった頂点、上空十メートル地点のその位置に丁度俺の風で身動きを取れないでいるシルフがいた。

エニスは既に左の拳を振りかぶっていて、やがて何も纏っていないその拳でシルフの頬に殴りかかる――が、その拳は空を切った。

「――!!」

エニスが驚愕し、息を呑む音が聞こえる。シルフが何かした様子は無い。

エニスが自ら目測を誤ったのか、攻撃を外してしまったのだ。

「――――」

エニスの体が爆風で飛び上がる勢いを失い、やがてその体が地面へと真っ逆さまに落ちる。

俺はそんなエニスを見上げ、咄嗟に口を開いていた。「エニスッ!!」

俺はすぐさま、シルフへの風を止め、空から落ちてくるエニスを受け止めるべく空へ右手を掲げ、風の魔法を使う――そして、同時にそこで俺は右腕のある変化に気付いた。

エニスの体がふわっと落ちる勢いを失う中、俺は右腕に現れているそれを注視する。

「何だ……この刻印は……」

そこには魔力を補給したときに現れる魔法四属性の刻印があり、そして今その下に見慣れない別の刻印が浮かび上がっていたのだ。

それらは皆、魔法四属性の刻印それぞれに何か記号を付け足したような――新しい刻印だった。

――そういえば、女王は俺の刻印はまだ一行目でしかなく、他の行があると言っていた……まさかこれが『二行目の刻印』なのか……!?

どうやら気付けば俺は新たな刻印の力を得て、そして俺はその力を無意識に使っていたらしい。

今なら俺の出した風がシルフの風より上回っていた事に頷ける。

(魔法四属性の強化版ってところか……? いや、それより今はエニスだ――!)

「おいッエニス! しっかりしろ!!」

「ショク……ごめん。あ……ぐっ……わ、私……攻撃しようとしたけど、あなたの大事な人だと思ったら……どうしても――」

恐らくそれもそうだろうが、しかし今のエニスの失った右腕からの出血は酷い。

さっきまで手で抑えていたのか、今は断面からどくどくと血があふれ出している。

――……! エニス……。コイツはこんな状況でシルフと戦えるなんて言ったのかよ……!?

「よしエニス。ここは俺がやる。丁度今、俺の魔法がパワーアップしたところだ」

「え……な、なに……」

エニスがか細く声をかけるも、俺は目を風の縛めから完全に解き放たれ、空を浮遊するシルフを睨む。

『お前……何をした? 雷の時と風の時で威力が全く別物になって――』

「うるせえ、御託はいいんだよ。それより――覚悟しろよテメエ!!」

俺は自分に強化した風の魔法をかけ、俺は風を纏いながら素早くシルフのいる空へと飛び上がる。飛び上がる速度も、エニスを城まで運んだ時に比べ数倍以上だ。

そして俺は一秒足らずで、浮遊するシルフの眼前に迫っていた。

『なッ――――!!?』 シルフの目が驚きに見開かれる。

すかさず俺は拳を振り上げ――「うおらああぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

思い切り、そのシルフのがら空きの頬に拳を再び叩きつけた。

シルフの体が力を失い、地面へと落ちてゆく。

しかし、落下し体を強く打ちつけたにもかかわらず、シルフ――こころは気絶せず、地面に身を伏せたままその身に風を纏わせる。そのシルフに今度は俺が驚く番だった。

――こころの奴、体頑丈すぎだろ!!? どおりで普段から喧嘩しても勝てない訳だ!

俺は改めてこころの体の頑丈さを思い知らされる。

魔法も召喚魔法も無い現実世界において、こころは一番強い存在かもしれない。

「でもなぁ、それ位で諦めてたまるかよおッ! こころぉ! お前は俺が必ず助けてやるからなぁッ!!」

俺は素早く空中から、起き上がろうともがくシルフの元へ急降下し、向かう。

その瞬間――突如、俺の口の中で抑え切れない嘔吐感がこみ上げてきた。

「……!?――グ、――ッぐはぁあああッ!」

俺は血の塊と呼ぶほどの大量の血を嘔吐し、魔法の力を失いやがて重力に従い落下してゆく。

「ぐ――ふっ!」

俺は四メートル程の高さから、地面に落ちて俺は更にこみ上げてきた血の塊を吐き出す。

俺の朦朧とする意識の中、俺は自らの限界に毒づく。

(に、二行目の魔法を使いすぎたせいか……吐く血の量が一行目の比じゃねえぞ……ッ!)

『ハ――そうか。ただの人間がそう何度もあのような力が出せるはずも無い。ようやく底を見せたか大灰触』

俺の悔しさの理由を察したのかシルフの勝ち誇った声が響く。そして、俺はその声に何も言い返すことが出来ない。

大量に血を吐いた事で疲弊した俺は目の前が霞み、ものを上手く考える事が出来ずにいる。

『これで邪魔者が全て消えたというわけだ。後はこの腐りきったラウンズヒルへ裁きを下すのみ。待ちかねたぞ。この街を……この国を……全て私の風で壊してくれる……!!』

シルフは高らかに言い、やがて俺の耳にシルフの巻き起こす風が吹き荒れる音が飛び込む。

前にかすかに見えるエニスも、出血が激しいのかもうぴくりとも体を動かさず、やがてその炎が完全に消失する。エニスが意識を完全に失ったのだ。

俺は目を閉じ、かろうじて残る意識の中で絶望に呻く。

――この異世界で俺は死ぬのか。

俺はそんなおかしな今の状況に思わず頬を緩める。

この俺は自分の妹すら助けられず、どことも解らぬ魔法の世界で無様に死ぬ。

魔法の世界なら何でも願いを叶えてくれる魔法のランプや魔法使いの一人くらい、いてもいいのだが、生憎まだ奇跡の力はお目にかかっていない。この世界は必ずしもハッピーエンドになるようには出来ていないらしい。しかし、似たような言葉なら聞いた事があるような気がする。

その時、俺の脳裏に俺が魔法を使い方を教わった後、女王が言っていたある言葉がよぎる。

『この世界ではかつて魔法は望む事を叶える為に生まれた奇跡の力だったといいますから。だからショクさんが多くを望まない限りはきっと大丈夫ですよ』

これは女王の言葉だったっけ……ああ、そうかそんな言葉もあったんだな……ん?

――……魔、法?

「――――ッ」

――魔法は望む事を叶える奇跡の力……。そうだ……! レニティアの部屋でエニスが死の危機に瀕した時も、魔法が俺の願いを叶えてくれた……! そうだ。まだ諦めるには早い……!! 

最後までやれる事をやってやる。女王はこうも言った。俺が多くを望めば右腕の刻印に先の刻印が現れ力を与えると。それなら――今、俺はシルフを打倒することを願う。

しかし女王は魔力を補給せぬまま魔法を使おうとすれば命まで失う事になるとも言っていた。

――うるせえ、知るかよそんなモン。構うものか。もう俺に選択の余地なんか無いんだよ!

俺は迷わず自分の命より妹の救出のみを考え、決意し自らの魔法を使うことを決める。

――頼む……!! 俺の……魔法で……!!

俺は魔法を使える自分の右手に力を込める。俺は今この場での純粋な願いを、ただ、俺やエニス達、こころ、皆が助かり、平和になった光景をイメージする。今の俺にはもうそれが限界だった。

――ぐッ……。

意識が急速に薄れゆく。闇に飲み込まれる感覚がどろりと流れ込む様に俺の脳を侵す。

俺はもう意識を保つ事すら困難になった。その瞬間、俺の右腕から刻印の青い光が溢れだしたような気がした。もうその程度の感覚だ。魔法を使っているのか、俺自身定かではない。

「ごぶ、ふ――……」

俺の口の中に溜まっていた血がごぼごぼあふれ出す。血を吐く感覚も、もうかなり希薄だ。

周囲のシルフの風が止む気配は無く、風が頬を撫でる感覚はいつまでもあった。

何も変わった風はない。どうやら俺の願いは――いや、俺の魔法は発動しなかったのか。

――だ、駄……目……なの、か……ちくしょ……う……

そしてその感覚も消えた頃、俺――大灰触の意識は闇に溶け、意識を完全に失った。


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