第16話『おにいちゃんのことが大好きだよ』
気がつくと俺の意識は真っ暗な所にあった。音も温度も風も、匂いも無い。
深い深い闇の中を漂うように俺の意識はあった。
俺は何故自分がそうなっているのか解らず、俺はただその中で漂い、無為な時間が経過するのをその身で感じ取っていた。
――どこだ、ここは。
その闇の中でどのくらいの時間がたったのか、俺は闇に向かって静かに問いかけていた。
当然の如く闇からの返事は無く、ただ俺の意識から出た言葉が闇の中に吸い込まれ消えていった。
――どうして……ここに……
理由が解らず、俺は答えを求めてただうわ言のように闇に問いかける。すると――
「おにいちゃんっ」
「ん――あ」
突如、耳に響いたその愛らしくも聞き覚えのある声に、気付けば俺は闇の中から脱して、寝ぼけた声をあげてむくりと上体を起こす。
目を開け起き上がった俺の目の前、そこには赤い大きなリボンでポニーテールにした黒髪の少女――愛忠こころがいた。
「ここ――ろ……?」
こころはぽとん、と俺の膝の上へ自らの頭を乗せ、その上でごろごろと寝返りをうってほっぺたをぷーっと膨らませる。
「もうっ、おにいちゃんってばこころが話してる途中なのにどうして寝ちゃうかな?」
「え……」
俺はこころが俺の傍にいるか解らず、ただいつものように話しかけてくる目の前のこころに対して口から乾いた声を出してしまう。
こころは俺と一緒に学校の焼却炉の光に飲み込まれて、それ以来は――
「おにいちゃん? どうしたの?」
「え、あ……いや、その……」
俺はそう言いながら、そんな首を傾げるこころからふいと顔を背けて自分の周りを見渡した。
周りの風景は靄に包まれたようで何か建物のようなものが見えるものの、その輪郭はぼやけていてまるで色のついた影絵のようだ。
目を自分達のいる地面へ落とせばそこも同じく、靄のようなものに覆われている。
――……そうか、ここは夢の中だ。
「おにーちゃんっ! ホントにどうしたのよボーっとして」
「あっ……! す、すまん」
「……? まぁ、いいわ。ねえ、おにいちゃん? さっきこころが言った事、聞いてた?」
「……悪い。何の話だったっけ?」
「あのね……こころはおにいちゃんがどう言おうとおにいちゃんの妹だよっていう事」
「……」
俺に向けられた、その純粋なこころの言葉。俺は咄嗟にこころから目を逸らした。
「こころ。何度も言わせるな。確かに俺はお前と血が繋がった兄妹だ。……でも、俺はお前の親父の浮気相手の子でしかない。お前の親父は仕方なく俺を引き取ったに過ぎないんだよ」
俺とこころは異母兄妹だ。
かつて俺の母だった女は、幼い俺の事を嬉しそうによく『金のなる木』と呼んでいた。
その理由とは母親だった女がかつてこころの父と行きずりの恋に落ち、その結果、女が俺を理由にこころの父から養育費と言う名目で多額の金を強請(ゆす)っていたのだ。
やがてその女が交通事故で死ぬまでの十五年間が終わり、高校に入学した頃、愛忠の家に引き取られ俺はそこで初めて人並みの愛情を知った。
――愛忠夫妻、そしてこころは、俺の事を妾の子であるにも拘らず受け入れてくれたのだ。
俺はそんな愛忠の家で暮らすようになって二年が経とうとする今でも彼らに負い目を感じている。
だからこそ、俺は学校では愛忠の家の反対を押し切り、今なお苗字を愛忠に変えず入学した時に記入した母親だった女の姓――『大灰』を名乗っているのだ。
「言っただろ……学校なんかでお前が俺の事を兄貴と呼べば、周りに何て言われるか」
俺の入った高校には小学校から一緒で俺が妾の息子であると知っている奴が少なからずいる。
俺を愛忠の家に受け入れてくれたこころに、そこまで迷惑はかけられない。こころが俺を兄と呼べば、それだけで多くの小学校の頃、俺の境遇を笑っていた奴等の矛先がこころの方へ向く。
「おにいちゃん。それじゃ、おにいちゃんが家に来た時から毎日ずっとこころ達に隠れて遅くまで猛勉強して、体を鍛えて、自分で髪まで切ってたの……それってどうして?」
「それは……」
「こころがお兄ちゃんと同じ高校に入学するまで、自分を良く変えようとしたから?」
「……」
俺はそのこころの言葉に驚かなかった。
この会話は数ヶ月前に学校の校舎裏で女の子に呼び出され、その子にセクハラをした俺が学校でこころとした、その会話の再現だ。俺は夢の中でその時の事を思い出しているのか。
「それに、おにいちゃんに告白してきた女の子にセクハラしたのも……あれはどうして?」
「そ、それはおっぱいが好――」
「うん。……まぁ、それもあると思うけどね。でも、何だかこころはおにいちゃんが女の子に嫌われたくてワザとセクハラをしているようにも見えたの」
「……」
「ねえ。おにいちゃん。おにいちゃんは人に愛されるのが怖いの?」
「――――」
「こころはね……そんなおにいちゃんのことが大好きだよ」
「え――」
「ねえ? おにいちゃんはこころのこと……嫌い?」
「お、俺は……」
俺はこころに恩義を感じていた。
それは妾の子であった俺を素直に兄と呼んでくれた事からだった。
しかし、俺はそんなこころに何かしてやれただろうか。
ただ、俺はこころに気を遣い、家以外でのこころとの接触を避け、こころに俺の悪口の被害が及ばないようにするのが精一杯だった。
――こころの言う通り、俺は人から愛されるのを恐れているのだ。俺を生んだ実の母親にさえ愛されなかった俺は、その結果として人から愛情を向けられる事をいつしか恐怖するようになっていたのだ。
今、俺は夢の中でこころの問いに答えてやれなかった――その瞬間。俺の膝の上から見上げてくるこころの顔に突如黒い闇が現れ、その闇はこころの顔を蝕みはじめた。
「……ッ!? こころ!!?」
俺が動揺に目を見開くも、夢の中のこころは闇に全身を侵食されながらも微笑んで――
「おにいちゃんはこころのこと嫌いなの?」
「違う――お、俺は……こ……こころッ! こころッ!! お、俺は――!!」
◆
「ショク! どうしたの!!? 起きて!!」
「こころ……! ここ……ろ、――あれ……エ……エニス……?」
起きて目を覚ませば、目の前には俺の顔を不安に駆られた表情で覗き込むエニスの顔があった。
「……だ、大丈夫? 汗すごいよ」
「いっ、いや……その……」
俺は体を起こして、今いる場所が夢の中では無く、エニスのベッドの上であると初めて知る。
――何……だったんだ。あの夢は。
どうやらこの部屋に帰った時、俺はエニスのベッドに横になるなりエニスとすぐ眠ってしまったらしい。
部屋の窓ガラスが嵐なのかガラスが小さくガタガタと震えていた。光が無く、暗い所を見れば外はまだ夜のようだ。
ベッドの上で腰を起こして部屋の窓を見つめている俺に、同じく腰を起こしたエニスが口を開く。
「ショク何か叫んでいたみたいだったけど。こころ、こころって……それってショクの妹だよね……」
「いや、いいんだ。気にしないでくれエニス」
俺がなるべく明るく言ってエニスを振り向く。すると――
「……エニス?」
「――――」
エニスが俯き、目を見開き一点を見つめるようにしては固まっていた。そんなエニスに思わず俺が声をかける。どうやら窓の外を見つめている。
「おい、どうした? エニス?」
「…………ショク。その……こころっていつから行方が解らないの?」
「……? 三日前、丁度俺がエニスやカナデ達とあったとあの時だよ。俺はものすごい音で目覚めて、そしてその時、傍にいたはずのこころはいなかった。それが……どうかしたのか?」
「……………………っ」
エニスは動揺しているのか焦点の定まらない、虚ろな目を浮かべている。
何故、エニスは今動揺しているのか。考えを巡らせるが、その理由は解らなかった。
「? ま、いいや。とりあえず目が覚めちまったし起きるとするか。女王の出した期限までまだ日はあるとはいえ時間は無駄に出来ないからな」
そして俺はベッドから出て、おもむろに窓の外を見る。
その瞬間――俺は愕然とした。窓の向こうの景色に俺の理解を超えた光景が映っていたのだ。
「は――……な、なんだよ、これ」
気付けば、空には太陽が昇っていて俺達のいるこの国、ラウンズヒルに朝を告げていた。
――だがしかし太陽の眩しいまでの白い光は今や、全く地上に降り注いでいなかった。
俺とエニスが見上げている今の空には、昨日までの爽やかな青さは無く赤黒く、血を霧状にしたような不気味な靄(もや)で覆われていた。
降り注ぐのはひたすら気を滅入らせる、赤黒い不気味な陽光だけだった。
今、俺は空を見上げる中でまるで地獄の空でも見ているような錯覚に陥っていた。
「エニス! いるわね!?」
突如、俺達のいる部屋の扉がバァン!と勢いよく開かれ俺とエニス、どちらでもない声が響く。
その声の人物はどうやら何人かの人物を率いているらしく俺達の部屋へ幾つも足音をたて、入ってきた。
咄嗟に振り返った俺はその入ってきた人物達の姿を見て、驚いた。
「カナデ!!? それに、ティミト……レニティアまで……皆どうして――」
俺がカナデ達に口を開くも、カナデは俺を無視してずい、とベッドで腰を起こしたままのエニスの方へ向かって深刻な表情で言う。
「ねえエニス。今、私達で確認してきたんだけど、どの部屋に行っても私達『黒百合』以外の他の召喚女士(ミストレス)は一人も見当たらなかった。ねえ、これっておかしくない?」
「信じがたい事に……今このアパートにいる召喚女士(ミストレス)はわたくし達だけみたいですわ。それに今朝からある妙な胸騒ぎのような感じ、加えて外の禍々しい空模様といい……」
「え、えにえにー……。ほ、ホントにこれってどーゆーことなのかなー……?」
カナデ達三人が一斉にエニスに話しかける。
そしてエニスはゆっくりと彼女達のいるほうと反対側のほうからベッドから這い出て――
「――っ……!!」
突如、予期せぬ事が起きた。
何とエニスがベッドから出て、その場で立つなり胸を押さえて倒れこんでしまったのだ。
「エニス!!?」
一番近くにいた俺がエニスに駆け寄る。
「っ…………」
倒れたエニスの体は極寒に立たされたように全身が震え、目には涙が溢れそして大きく見開かれていた。
「エニス!! どうしたの、大丈夫!!?」
「わ、私のっ……」
「え?」
「私の、せいだっ……」
「え――」
「私が……私が任務に失敗して……逃がしたせいでッ…………!!」
「な、何の話をしてるんだよ!!? おいエニス! しっかりしろ!!」
俺は震えきって、床にうずくまるエニスの肩を抱く。
するとその時、突如俺達のいるエニスの部屋の一部の空間に白い光で構成された人影が現れた。
「エニス。お願いです落ち着いて下さい」
静かで、威厳のある女性の声が響く。そしてその後、白い光の中から法衣に身を包んだ女性が俺達の前に姿を現した。
「じょ、女王様!!?」
エニスを除く部屋の中にいた俺たち全員は驚きに叫び、エニスは呆然としながら突然現れた女王の姿を見つめていた。
「申し訳ありません。私はあなた達にこの数日ずっと黙ってきた事がいくつかあったのです」
「黙ってた事……?」
「はい。まずそれはショクさん。あなたの妹のこころさん、彼女が見つかっていた事です」
「え――」
思いがけない言葉。しかし、女王は俺に言葉を継がせなかった。
「色々言いたい事はあります。……ですが、とにかく外に出ましょう。今、最大の危機がこの国に迫っているのです」
有無を言わさぬ女王の口調に、俺達五人はただ従うしかなかった。
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