第15話『ごめんなさい』
俺達が温泉から上がり、数十分後『黒百合』のメンバーはそこで現地解散となり、各々アパートの自分の部屋へ帰っていた。
「ただいま~」
「……あ、ショクお帰り。制服戻ったんだね」
ベッドの上で体を起こしたエニスに俺は新しい制服を見せ付けるようにおうよ、と頷いた。
「それにしてもあのスーツといいティミトの洋裁技術はすごいな。昨日頼んだばかりなのにもう『ショクのお洋服出来てるよーっ』って言って来るんだもんな。召喚魔法はまぁ……アレだけど」
「アレ……?」
「いや、何でもない。ああ、エニス。そういえばこの服を洗いたいんだけどどこで洗えばいいんだ?」
俺はすっかり汚れてしまった今日着ていたスーツを見ながら言う。間もなくエニスが答える。
「アパートの裏に川があるから、みんなはそこで服を洗うの」
「うぇ、マジか」
俺は地上からアパート五階にあるこの部屋に来るまでの労力を思い出し、口をへの字にする。だが、言われてみれば当然の事だ。
この世界には俺の世界にあって当然なもの――電気、水道、ガス、等が整備されて無いのだ。
(ま、不便なのは異世界じゃしょうがないのかもな)
俺は早速床のスーツを拾い上げ、「そっか、わかった」と言い再び部屋の外へと出ようとする。
――すると俺の制服のすそを掴む手があった。
「――え?」
「まって」 振り返るとそこには俺の背後で服を掴んで顔を伏せるエニスがいた。
「あれ? エニス?」
俺が振り向き聞いてもエニスはどういうことか顔を上げようともしなかった。
エニスはただ消え入りそうな声でぽそりと言う。
「……ごめん、ショク。私もショクについて行っていい?」
「いいけど……? どうしたんだよ? やぶからぼーに」
「解らない……。でも、今日はなんだか一人で部屋にいると不安になるの」
「あはは、じゃ俺とおててでもつないで一緒に歩くか?」
俺が不安を紛らわせようと、冗談交じりに明るく言う。
やがてゆっくりと伏せられていたエニスの目が俺を見つめ――
「う……うん。お願い」
「え……。――――」
そこにはいつものエニスの無表情は無く、宝石のような紅い目が潤んでいて、まるで迷子の少女のような憂いた表情で真っ直ぐ俺を見つめていた。
(…………う)
数分後、俺はエニスと共にアパートの外へ出た。
「ショク、どうしたの?」
「べ、別に……何でもない、よ」
(いやぁ、ようやく外に出れたか……。アパートの中でこんな俺達の姿を誰かに見られなくて良かった……特にカナデとかに見つかったらきっと問答無用で殺されかねないし)
手をつなぐことは嫌ではないのだが、こんな状態の俺たちを誰かに見られたら恥ずかしい。
都合よく六十人の召喚女士(ミストレス)が暮らしているという、このアパートの中は不気味なほど静かで、俺達は誰にも見つからずに外へ出られたのだ。考えれば妙な話だが同時に助かった。
「ショク、裏庭はこっちだよ」
「お、おう。す、すまん――えっと、それより川ってどこだ?」
俺はそう言って、いつの間にかたどり着いていた裏庭の暗闇に目を凝らす。
夜空には眩いほどの月明かりがあったが、学校の校舎のようなアパートの影に位置するこの裏庭は暗く、周囲の木などの輪郭がぼやけて見えるだけだった。
川のせせらぎこそ微かに聞こえるものの、その川がどこにあるのか見当もつかない。
「待ってて、今照らすから」
エニスの声と共に、数瞬遅れて別の音がする――――シュルッ。
俺は自分以外の人の前で裸体を晒した恥じらいを見せない――そんなエニスの一種の美術品のような堂々とした姿に目を奪われた。
「――――」
やがて薄暗闇の中、エニスの目の召喚石が一際赤く灯り、エニスの全身から溢れるようにして真っ赤な召喚魔法の炎がエニスの体の中からボウッ、と音を立て噴き出て、それは暗闇を眩く照らした。
「おお、すごいな。エニスのおかげで随分よく見えるようになった」
――それにしても川で洗濯なんてな……このまんまだと川上から桃でも流れてきそうだ。
だが残念な事に今この場に流れるのは気まずい沈黙で、俺はそんな中スーツを洗っていた。
このスーツはレニティアの部屋でエニスが血まみれになったときに俺が着ていたスーツだった。
「……血って洗っても落ちないんだな」
「血? 血って……。ねぇ、そういえばショク。その、聞いてもいい?」
「何をだ?」
「私がティミトの部屋で意識を失って女王様のベッドで目が覚めたとき――その前に何があったのか。ねえショク、正直に教えて」
いつの間にか、川から顔を上げた俺の目の前には俺のすぐ隣で腰を降ろす、召喚魔法の炎を身に纏ったエニスの深刻な表情があった。
「……?」
エニスは初め、ためらうように言っていたものの、今、その口は淀みなく俺へ問いかけてきた。
「私、ショクに命を救われたの?」
「……」 ――ふと、俺は地面に目線を落とした。
「……ねえショク。お願い答えて。私、レニティアの部屋でどうなったの?」
「……何で今になって聞くんだよ? お前は今元気で、そしてレニティアもお前を理解して仲間になってくれた。全部無事に済んだんだ。もうそれでいいんじゃないか?」
俺はそう言って再び洗濯に戻ろうとすると、不意にエニスがガシッ!と川に入れた俺の手を掴む。
「……ショク、お願い」
俺の目の前に迫ったエニスの目は召喚石の光をたたえながら、俺の答えを求めている。
――正直、俺はあまりその話しをしたくなかったが……やがて俺は覚悟を決める事にした。
「……胸糞悪い話になるぞ」 俺は洗濯の手を止め、そう言った。
やがて俺が数分かけてレニティアの部屋で起こった血の惨劇について話す。
それは激情したレニティアにエニスが召喚魔法と殴打を喰らい意識をなくし死に掛けていた事、
そして俺が補給出来なかった魔力の代わりに自らの生命力を使い発動させた風の魔法でエニスを城まで運び女王がエニスの傷を治し、窮地を救った事、
――それら全てを話し終えると、エニスはゆっくりと息を吐いた。
「そう……ありがとうショク。ごめんね、私の為に……」
思いつめた表情でエニスは俺に謝ってくる。予想通りエニスは浮かない表情をしていた。
レニティアに対し、自分がとった行動で周りに迷惑をかけてしまったと思ってるんだろう。
「まぁ、結果的にエニスが無事だったから良かったよ。でもな、二度目はないぞー?」
俺は洗い終わったびちょびちょのスーツを物干し竿にかけながら、明るく言った。
「……」
「? エニス、どうしたんだよ」
「――ねえショク。さっき部屋でも言おうと思ってたんだけど……その……私、怖いの」
そのエニスらしくない言葉に俺は首をかしげる。
「……怖い? 何が?」
「ショクが私のそばにいないこと……」
「へ?」
「ねえショク。ショクはずっと私の仲間でいてくれるの……?」
「――――」
俺は思わず言葉に詰まってしまった。俺はこの世界の人間ではない。俺は帰る世界があるのだ。
それはここではなく、両親や友達のいる元の世界――地球であり日本だ。
だがエニスの問いは俺は元の世界を捨てる事ができるのか否か、という選択を迫ってきている。
だから俺自身が元の世界に帰る事を望むのなら、『それは出来ない』と答えればいい――しかし。
「……大丈夫だ。俺はお前のサポート役だって言っただろ。それはいつになっても変わらない」
俺は自分がエニスに嘘を言っているのか本当の事を言っているのか自分自身でも解らなかった。
「本当に……?」
それでも俺はそんなエニスに自信満々に頷いて答えてやる。
「ああ。俺はこの世界でずっとエニスの味方をしてやる」
「このせか……――――あ」
その言葉の後、エニスが途端に俺から後ずさると、やがて目を伏せてしまう。
「? どうした?」
今や、召喚魔法の明るい炎を纏うエニスの表情はその明るい炎の中、一際青ざめていた。
「私……、ショクにな、何言って……――ご、ごめんショク、今の話聞かなかった事にして……ッ!」
「おっ、おいっ!? 待てって! どこ行くんだよ!!? エニス!!」
俺がエニスに追いすがろうとするも、既にエニスは脱いだ服を持って遠くへ走り去ってしまっていた。
「……エニス?」
◆
ラウンズヒル王国領内には唯一、人の手が及んでいない荒地が存在した。
その地は草一本生えないような硬く乾いた砂地で、建物を建てるのにも不向きである為、国の多くの人が今もその荒地へは近づこうとしない。
しかし今夜、街の光が届かないほど遠くにある荒地の中心で一人の黒髪の少女が座っていた。
少女は簡素な二枚の布を紐で重ね合わせたような服に身を包み星空をぼんやり眺めていた。
「…………私、どうしてショクにあんな事言ったの……?」
その少女――エニスは誰とも無く、無意識に声を出し問いかけていた。
つい先ほど、エニスがショクという少年に言った言葉、これからもずっと私の味方でいてくれるか、その言葉がエニスはどれほどショクにとって残酷な言葉かを知った。
(……ショクはこの世界の人間じゃないのに……私……)
――解ってるはずなのに。エニスは自分の気持ちが、ショクにずっと仲間でいて欲しい事とショクに迷惑をかけたくないという気持ちで板ばさみになっていた。
(ショクだって元の世界に帰りたいんだ……。だからショクがずっと私達の仲間になるっていう事は……きっと無理――ううん絶対に無理な事……)
(それなら、もう甘えちゃだめなんだ。私は『黒百合』のリーダーなんだから。それなら――)
エニスは決めなければならなかった。これから先の自分のあり方を。
「私は……」
「よう、こんなところまで来て何してるんだ?」
その時、エニスの背後から聞き覚えのある声がした。
「……――ショク」
振り返ったそこにいたのは初めてエニスが見た時と同じ、異世界の服に身を包んだショクがいた。
◆
ようやく俺が街から離れたこの荒地でエニスを見つけた時、すでにエニスは魔法の炎を解き、いつもの服に戻っていた。
――全く、何だってこんな遠いところまで走ってきたんだ……?
「……なぁエニス聞いてもいいか? その――さっきはどうして俺から逃げたんだ?」
エニスの去った理由は解らない。俺はこの理由をエニスに尋ねずにいられなかった。
知らずうちにエニスを傷つけてしまったのならその理由を知りたかったし、謝罪もしたかった。
やがて押し黙っていたままだったエニスの口が動き、ぽつりと小さく口にする。
「ショク……ごめんなさい……」
一番初めに出てきた言葉は俺への謝罪だった。俺は思わぬ言葉に呆気にとられてしまう。
「え?」
「あのね、ショクのおかげで私、メンバーの皆とも打ち解けた。もう今の私は一人じゃなくなったの。不安になったらカナデやレニティア、ティミトがいる。だから……ねえショク」
そう言ってエニスは俺に近づいてきて俺と目を合わせてくる。
意思を持ったエニスの瞳が俺をまっすぐ見つめる。
「私、平気だよ。安心して。ショクはいつでも元の世界に帰っても……私は大丈夫だよ」
「…………ッ。でも、エニス俺は――」
「ショク、私さっき決めたの。これからの任務で私はもうショクに頼らない。私はこれから女士団(ラウンズ)のリーダーとして、皆にとっての強いリーダーになって見せる。そしてショクといなくなった妹のこころと一緒にすぐにでも元の世界に帰れるように……今度は私がショクをサポートをしてあげる――これがショクにできる私のお礼なの」
「……」
「私、ショクにどうしても恩返しがしたいの」
「……ごめんな」
「? 泣いてるの?」
「ち、ちがっ……泣いてなんかないぞっ」
「それじゃ、これは何?」
エニスの細い指が、つ――と俺の頬をなぞる。
「あ……」
「ショク泣かないで……私、ショクが元の世界に帰っても大丈夫だから……。ね?」
「――ッ………………悪い、エニス」
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