第10話『――好きにしていいよ』

とある一室。

その部屋は屋内だというのに、色とりどりの花々や、複雑に絡み合い広がったツタで覆われ、壁や床一面を様々な色で覆い尽くしていた。

そしてその部屋の中央――一人の召喚女士(ミストレス)の少女が植物に埋もれるように、仰向けになっていた。

今、その少女は衣服というものを一切身につけていなかった。

少女は自らのもつ褐色の肌と、陽光のような腰まであるウェーブのかかった長い金髪、そしてその豊かな体の曲線、その全てを植物のベッドの上でさも誰かに見せ付けるように横たえていた。

今日も少女は窓から差す、朝の柔らな光とその温度を瞑った瞼の内側で感じながらゆっくりと意識を醒(さ)ましてゆく。

(……ああ、陽(ひ)の光が気持ちいいですわ――)

大量の草花の上で窓の陽光を一身に浴びながら少女は、その自らの召喚石の輝きである黄褐色に輝いた目を静かに開いて、ふと伏せったまま自分の体を見下ろす。

「ふふっ……」

無数の植物を生み出す召喚獣、『百面妖花(アルラウネ)』の召喚石を持つ少女レニティアは自分の胸、乳首の部分に着いた花びらを見て、不意におかしくなり、クスリと笑みをこぼした。

(寝てる間に花びらが落ちたのですわね。もうっ、こんなところについて可愛い子……)

やがてその乳首についた花びらを除けようと、レニティアは細い人差し指をそーっと伸ばしてゆく。レニティアの伸ばした指が花びらに触れる――その時。

「どらぁぁぁぁぁぁっ――――!!」

――バキャ――ンッッ!!!!

「なっ――なぁあぁああああ――――ッ!!?」

裸で目覚めたばかりのレニティアは火事の知らせを聞いた人のような大声で叫び、長い髪の毛と床の花々をバサバサッ!と乱しながらその場で跳ね起きる。

(な、ななな何ですの!!? 何ですの一体!!?)

動揺に思考が支配される中、レニティアは自分の目の前に見知らぬ男が立っている事に気づく。

「いてて、やっぱりドラマみたいに扉って簡単に蹴破れないんだな……」

そう言い全身に黒い服を着たその男は片足を抱えぴょんぴょん跳ねながら、顔を歪めていた。

歳はレニティア自身と大差なく見える。

(わたくしの部屋の扉をぶち破ったのはコイツですわね……!!)

「あなた――!」

「ん?」

その少年が激昂するレニティアの顔を振り向く。

(――――ッ!)

その時、不意にレニティアの黄褐色の目が一際大きく輝く。

目の前で振り向くその少年の顔はこれまでレニティアにとって見た事が無いほどの、貴公子のような気品のあふれる美しさと優美さを兼ね備えていた。

(な……何て素敵なお方…… ――!! いっ、いけませんわ! しっかりしなさい、わたくし! ここはこの男にドカーンと言ってやならなければいけませんのに!!)

「あ、あなたっ……誰ですの!!? わたくしのようなレディの部屋の扉を無理やりブチ壊して、それに無断で――――」

するとレニティアがまだ言い終わらないうちに続いて、部屋の中へ別の声が飛ぶ。

今度は聞き覚えのある女の声だ。

「ショク! 足は大丈夫なの? 平気?」

「ああ、へーきへーき。悪いなエニス。やっぱり扉もエニスに壊してもらえばよかったな」

その部屋の中に入ってきた女の姿にレニティアは動揺を禁じ得なかった。

「エニス!? あなたまでどうして……!!?」

「えっと……その……」

「エニス。任せておけ説明は俺がする。――さーて、お前がレニティアか」

不意に少年に名前を呼ばれ、レニティアはその喜びに不覚にも一瞬少年への怒りを忘れてしまった。

少年はそんなレニティアの心情の変化を察した様子は無く、そのまま続ける。

「俺はお前たちのリーダー、エニスのサポート役を務めるショクという者だ。まず、扉を蹴破った事は謝ろう。――すまない。このとおりだ。許してくれ」

「えっ……?」

その少年は言うと、いきなりレニティアの前で腰を落として床に手をつき謝罪する。

少年に素直に謝られるとは予想してなく、レニティアはその展開に情けなく戸惑ってしまう。

「えっ……えっと……そ、その……ま、まぁわかったならいいですわっ!」

自分なりの精一杯の答えでレニティアはその少年――ショクの前でどうにか言ってのける。

「それにしても……どうしてエニスまでいるんですの?」

「……そ、それはあなたに任務に出て欲しいから」

レニティアは敵意のこもった鋭い眼差しで、胸で手を重ねるエニスを睨みつける。

「任務に? ……エニス。あなた今更、何を都合のいい事を言ってるんですの?」

エニスの体がビクッと震えた。しかし、それに構わずレニティアは続ける。

「聞きましたわよ。あなた、私を任務に呼びつけようとする一方、女王様に「任務はカナデと自分だけで充分だ」と言ったそうじゃなくて?」

「……」

「そんなリーダーなんてこっちから願い下げですわ!! だから早くこの部屋から――」

「違うのっ」

「えっ――?」

レニティアはその突如響き渡ったそのエニスの声に思わず自分の耳を疑った。

レニティアの知る、今までのエニスは気弱でそして蚊の鳴くような声でぽそぽそ話すだけで主体性の無い人物だった。

ところが――レニティアの目の前のエニスは今や、気丈な態度でハッキリと自分の言葉を発していた。

「あなたの言うとおり……確かに今までの私は他のメンバーの事を軽んじてた。でも、今はそうじゃないの……! 信じて……力を貸して……!」

目の前のエニスはレニティア自身見たことも無いほど意思を持ったまっすぐな瞳で見つめてくる。

しかし――

「お断りしますわ。……あなたがどれだけ私に頼もうとも」

「そう、なの……うん。解った。でも、どうして?」

「女王様へ任務は二人で充分と言った……あなたのその言葉がどれほどわたくしを傷つけたか……。そ、それがっ……それがあなたにはっ!!」

レニティアはいつの間にか眼前まで来ていたエニスの表情が僅かに苦痛に歪んでいる事に気づく。

いつの間にかレニティアは身の内の怒りのあまり、エニスに詰め寄ってその肩を強引に掴んでいたのだ。

(わっ……わたくしとした事が……怒りに我を忘れるなんて……!)

「ふ、二人とも……わたくしの部屋から出て行ってください……!! すぐにッ!!」

やがて二人はレニティアに素直に従い、部屋から去っていった。

レニティアは二人の足音が消えていくのを確認すると――一人、部屋の中で自分の息づかいが荒くなっているのを感じた。今、レニティアは自身の怒りに押しつぶされそうになっていた。



レニティアにあっけなく追い出された俺たちは今、アパートの廊下を何の言葉も交わさず、どこともなく歩いていた。

エニスはまだあれから何も言おうとしない。沈黙に耐え切れず俺はエニスに話しかけていた。

「何か、今度のヤツはカナデみたいに気の強い奴だな。しかし、俺は全裸であそこまで平気な人間を見た事が無いぞ」

そう、驚くべき事にレニティアは脱ぎにくい服を着ていたティミトとは対照的になんと!全裸だったのだ。――しかし、あの全裸は卑怯な全裸だ。畜生。

なぜなら、彼女の腰まである長いウェーブのかかった長い金髪が見せて欲しい部分を何とも的確に覆っていたからだ。レニティアの全裸は男の純情をもてあそぶ残虐かつ非道な全裸なのだ。

そのおかげか、俺はレニティアのランク『AA』――ちなみにエニスはランク『AAA』――のおおきなおっぱいも必要以上に拝む気も揉む気にもなれなかった。一応、必要な分は拝んだが。

歩く俺はふと横を見て、エニスがいないことに気付き、後ろに振り返る。

いつの間にか立ち止まったエニスが胸に手を当て、俺をじっと見つめていた。

「……? どうしたエニス?」

「先に部屋に戻って待ってて。私も後で行くから」

そう言ってエニスは俺に背を向け、先ほどから歩いてきた方へ引き返そうとする。

俺はその背に声をかけた。

「――駄目だ。どこへ行くんだ?」

「…………」

俺はその無言の答えと、その足の向かう方向で察しがついた。

「レニティアの所へ今行くのは止めろ。エニスが危険すぎる」

エニスは振り返って、俺を見た。その表情に笑みは無い。元の感情の無い、いつもの無表情だ。

「どうして? 私は――」

「ついさっきレニティアが俺たちを追い出す前、お前に掴みかかっただろう。さっきはアイツから引いてくれたから良かったものの今度はどうなるかわからない。正直、俺は気持ちが高ぶっている今のレニティアとお前を二人にさせたくない」

「でも、レニティアの心は傷ついてるの。……私が女王様の前で自分勝手な意地を張ったから。……私がレニティアを傷つけてしまっていたの」

目の前のエニスは意思のこもった声で静かに俺に告げる。

「だから私は……レニティアが受けた悲しみを少しでも解ってあげたいの。お願い解って」

「……お前の気持ちはわかる。だけど今日は耐えろ。今は状況が悪すぎる」

「………………いや」

エニスの口から直接的な否定の言葉が出たのはこれが初めてだった。

あまりに聞き訳がないエニスに俺は気付けば感情的に言葉を放っていた。

「おい、自分が何を言ってるのか解ってるのか? 今のレニティアはお前を――」

「ごめんね。ショクがどう言おうと私はレニティアの所へ行くから。ショクは部屋で待ってて」

いつに無く強引にそう言ってエニスは、すぐさまレニティアの部屋へと駆けて行ってしまった。

「……クソ。ああ、いいさ。勝手にしろ……!」

俺はそのまま身を翻し、エニスの部屋に向かう。

――が、俺の足は何故かその場から一歩も先へと動こうとしなかった。


その頃、レニティアは自らの召喚魔法『百面妖花(アルラウネ)』で作った草花のベッドに再びその身を横たえていた。

「……」

レニティアは自分の胸に手を当て、自分の胸の鼓動を静かに聞く。

手に伝わる自分の鼓動は早く、それは今になっても治まる気配はなかった。

目を閉じ、無心になろうと懸命に心を落ち着かせようとするが無駄な努力だとあざ笑うように、心臓はいつまでも早鐘を打ち続けていた。

目を閉じ、レニティアの目の裏に浮かんでくるのは取り乱し、エニスに掴みかかった自分の姿だった。

「――っ」 咄嗟にレニティアは腕で自分の目を覆った。

この自身の召喚魔法で生み出されたさまざまな色彩と香りを放つ美しい花達の中――その中で今、エニスへの怒りに歪んだ自分はどれほど醜いのだろう。

しかし、エニスへ怒らずにはいられないのはレニティア自身がよく解っていた。

(今更「力を貸せ」ですって……!? そんな言葉、わたくしは絶対に信じませんわっ!!)

エニスが女王へそう言った事は他の召喚女史(ミストレス)達から漏れ聞いた事だ。

この召喚女史(ミストレス)全員が暮らすこのアパートに住んでいる限り、嫌でもそんな話はレニティアの耳に入ってくる。

確かにレニティアは自己管理が至らずに寝坊してしまい、『黒百合』の任務に行けなかった事があった。

しかし、その時にエニスは任務はカナデと自分の二人で充分だと言ったのだ。

――知らずうちに、レニティアの手は周りに生えた『百面妖花(アルラウネ)』の草花を上から握り、それをブチブチと力任せに引きちぎっていた。

額に置かれた腕の下でレニティアの表情は、自分のプライドを引き裂いた張本人――『黒百合』のリーダー、エニスへの憎悪に満ちていた。

(わたくしは……絶対にエニスを許す気になんか――

「レニティア。私、エニス。……入るよ」

帰ったと思っていたエニスの声が部屋の中に響く。

(――やめて、来ないで)

僅かに残ったレニティアの理性が入ってこようとするエニスに向けてその言葉を言おうとするも、それは口から出ず、ただレニティアは荒い呼吸をするだけに留まった。

「レニティア。私がここに来たのは任務の事なんかじゃない。ただ、貴女の気持ちを少しでも楽にしてあげようと思ったから。だから私は今、ここに……レニティアの前にいるの」

「ふっ……ふざけないでッ!!」

心がつぶれそうなほどの怒りに呼応して、レニティアの召喚魔法の植物は蠢き出していた。

「わたくしの中ではもう口で言ってすむような問題では無くなっているんですのよ!!」

(いけない。は……早く気持ちを抑えないと――)

しかしエニスへのこれまでの日々、抱いてきたその憎しみの放出は止まらなかった。

「今のわたくしはもう……今のわたくしは……あ、あなたの姿を見るだけで――――!!」

「いいよ。レニティア。私はそれでも構わない」

「……え」

レニティアの召喚魔法が怒りにざわめく中、エニスは身を守る『火蜥蜴(サラマンダー)』の召喚魔法を使おうともせず、そのままレニティアの目の前で両腕をゆっくりと左右へ開いてゆく。

「レニティア。私はあなたをそんな苦しい思いのままにしておきたくないの」

「……どういう事?」

「私はあと何日かでこの国から追放されるの。一昨日(おととい)、女王様からその手紙が来た」

「……はっ……はははっ。そ、そうなの? わ……わたくしにとっては嬉しい事ですわ……! ご、ご愁傷様ね!」

「……うん。だから私がこの国から追放される前にレニティアの気持ちが少しでも楽になっていて欲しいの。だからレニティア――好きにしていいよ」

「なっ……何をですの?」

「レニティア。貴女は私をどうしたい?」

「……!」

「私は貴女の気持ちが済むのならどんな方法でも受け入れてあげる。口で言って済まないというのなら、それ以外の方法でも私は構わない」

「そんな事言ってッ……! わたくしが思いとどまるとでも思いましたの!!?」

「――……本当にごめんね、レニティア。でも私には口で言う以外、貴女の心に負わせた傷を少しでも和らげようと思ったらこの方法しか思いつかないの」

「――ふ……ふ、ふざけんじゃないですわよッ!! 『百面妖花(アルラウネ)』ッ!!」

レニティアの怒号と共に細長いツタがエニスの体へ飛び、それは一秒もせず無防備なエニスの全身を拘束した。

「――――」

しかし拘束されたエニスは声を上げず口を結んだままでレニティアの行動に驚く様子もなく、その赤い召喚石の目は優しくレニティアを見据えていた。

常人なら痛みに叫ぶはずが、しかしエニスは叫びを上げず、ただ強力な力で全身を拘束されながらでもその表情を崩さなかった。

レニティアはツタを緩めることは無く、ただ己の怒りに任せ叫ぶ。

「あなたやカナデは四大精霊なんて強い召喚獣を持ってるからっ……!! 能力が平凡なわたくしやティミトのような召喚獣は、あなた達にとってお荷物だと思っていたんでしょう!!?」

――バシィッッ!! 叫び声と共に振るわれたレニティアの拳がエニスの頬を打つ。

「――――……」

殴られたエニスは何も言わず、ただ黙っていた。

「わたくし達……いえ、わたくしの召喚獣を不必要とあざ笑って……あなたはさぞいい気味だったんでしょうッッ!!?」

――バシィッッ!! 拳を打つ音が再び響く。

「――――……」

エニスは答えず口を結び、切れた口元から僅かに垂れる血以外何ひとつ出さなかった。

「どうして……どうしてあなたは黙っているんですの!?」

「――――……」

「な、何とか言ってみたらどうなの!!? これだけ殴られて……あ、あなたは……何か言いなさいよッッ!!」

――バシィッッ!! また拳を打つ音が響く。

「――――……」

「ど、どうして……答えなさいッッ!! エニスッッ!!」

――バシィッッ!! 

「――――……」


「ぁ、う、う……うああああああああああああああ――――ッッッ!!!!」


レニティアがエニスへ再び拳を振り上げる。その瞬間――。

「やめろッ馬鹿!!」

「え、――――きゃあっ!!」 ――――ドサァッ!

突如、レニティアの体が不意の衝撃に横向きに倒れ、それと同時にエニスの体を拘束していたツタがはらりと床へ落ちてゆく。やがて体を起こしたレニティアは今、目の前の事態をようやく理解する。

「え……エニ、ス……?」

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