第6話『まだ慌てるような時間じゃない……』


洗面所の湯を張ったバスタブの中、一人の黒髪のショートヘアーの少女が全身を浸からせていた。

火蜥蜴(サラマンダー)の赤い炎がバスタブの冷たい水の中で揺らぎ、瞬間的に温度を湯気の出る適温へと変えていた。

周りには幾つもの燭台に着けられた蝋燭のオレンジ色の光が照明となって、少女のいる空間を真昼のように照らしている。

そのショートヘアーの少女――エニスは頬に張り付いた自身の黒い髪の毛を手で払いながら、ため息をついていた。


「オオハイショク……異世界の魔法使い……」

適温になったお湯の中で私は気付けば一人の名が浮かび、それを自然に口にしていた。

どうしてだろう……? 考えれば考えるほど不思議だった。

どうしてショクはあんな風にカナデや女王様にまで物怖じせずものを言えるんだろう……?

「私には……無理、だよね。きっと」

思わず、そんな風に妥協する自分が嫌になる。でも、それは今回が初めてじゃない。

昨日から、一昨日から、それよりも前から続いてきた事だ。

生まれながら、私の目には誇り高く強大な四大精霊の一つ『火蜥蜴(サラマンダー)』が宿っていた。

その火蜥蜴(サラマンダー)の瞬間的な攻撃力は他の召喚獣と比べるまでもなく強力だ。

そして小さい頃から友達のカナデには同じく四大精霊の『土塊翁(ノーム)』が宿っていた。

私はカナデの力と自分の力で何でも出来ると思った。

――でも、それは間違いだった。

今日も、昨日も、一昨日も、そしてそれより前の日から私とカナデは一度として任務を達成できていなかったのだ。そして今日、その友人のカナデにまで愛想をつかされてしまう。

私はそれさえも『仕方ない』と妥協してしまう自分の情けなさが嫌で嫌でしょうがなかった。

「……ぐすっ」

気付けば温かい湯船の中で私は泣いていた。

そしてふと、目線をすぐ下へ落とした私は湯船にぷっくりと浮かぶ自分の胸を見つめていた。

「ショクは……私のことをどう思ってるんだろう……?」

皆に嫌われて、自分でも嫌いになるような私をショクは好きだと言ってくれるのかな……?


「ショク。お風呂上がったよ」

私はお風呂から上がって洗面所の出際にそう言うと、ショクは一度ぱあっ、と明るく顔を上げ風呂から上がった私を見たもののすぐにしょんぼりした。

ショクが残念そうな顔を浮かべる理由が解らず、私は尋ねてみる。

「……どうしたの?」

「い、いや……。エニス、その体の炎……お、お風呂から出てもまぁーだ出してるのね?」

「? ……うん。これ出してたら夜寝てても寒くないから」

「へ、へぇぇ。そ、そーなんだ? ……っはぁぁ。そんじゃ俺、風呂入ってくるわ。エニスありがとな」

「……う、うん」

――どうしたんだろう。ショクの私に対する態度に思わず不安になる。

もしかすると、私を嫌いになったのかもしれない。

――あ、そういえば。私はショクの事でふと気になった。

(……私は召喚獣がいるから寝る時の服はいらないけど、ショクは着替えとかあるのかな……?)

私自身はおしゃれに無頓着だし、カナデや他の皆のように複数の服を持っていない。

(今はカナデもいないし、他に洋服をいっぱい持ってる人は…………あの子になら頼めそうかな)


「……ティミト? いる?」

「はっ、はいはーいっ。いるいるーっ。あ、ごめんね! もっ、もうちょっと待っててーっ」

やがて、とてとてだだだだだと騒がしく足音が近づく音が聞こえると、扉が中からバン!と開かれ、ティミトが現れた。

「あ、えにえにー! どしたの、こんな時間に?」

ティミトの格好はいつも変な格好だ。

ひらひらがいっぱいついた黄色いワンピースを着て、茶の短髪(ショートボブ)の上には大きなお星様のクッションが左右一対についたカチューシャをつけている。

ティミトは私より背は頭一つ分小さく、幼い外見だったがワンピースの胸元から大きく飛び出した胸がその外見の幼さを否定している。

私は相変わらず正しい名前で呼んでくれないティミトに呆れながらも話しかける。

「……えっと、あなたの持ってる洋服を一着だけ貸して欲しいんだけど」

「へえー! えにえにもオシャレしたくなったんだ! うん、わかった! じゃ、すぐ用意するね? えっとー……えーっと……おっ、これなら好みとか関係なく丁度いいかも! あ、そうだ――」

ティミトは部屋の奥へ向かって彼女の作ったらしい服の山をがさごそとひっくり返していた時、ふと思いついたような声をあげる。やがて――

「ご、ごめんねエニス。今日も『黒百合』の任務に行けなくて……怒ってない?」

私はその服を受け取りながら首を振った。

「ううん。怒ってないよ」

「もぅホント、今日に限って可愛いお洋服アイデアがビビッ! と思い浮かんじゃったからさぁ。え、えへへ……そ、その……ホンッットにごめんっ!」

「……気にしないでいいよ」

「ご、ごめんね! この次は絶対に任務に付き合うからさっ!! そっ、それじゃお休み!」

「うん。お休み」

私はそう言って、服を抱えながら扉が閉められたティミトの部屋を後にする。

(この次は……か)

――私はティミトの言う次が『黒百合』結成以来、今まで一度も訪れていない事をこれまでの日々で知っていた。


「はぁ……」

脱衣所に服を置くと私は月明かりの差す部屋の中、ぼふっと、ベッドに体をおおきく横たえた。

(やっぱり、私とカナデだけじゃ無理なのかな……)

一人になった途端、私はお風呂で考えていたことを再び思い出してしまう。

これまで他のメンバーを纏められず、私は意固地(いこじ)になってカナデと二人で任務に挑むようになっていた。

でも――今日、私はとうとう一人になってしまった。

(どうなるのかな……私……)

私は仰向けになって、ベッドの天蓋を仰ぐ。すると視界の端に何かキラキラと光るものが見えた。

「……?」

――何の光だろう?

それは月明かりのようなやわらかい光ではなく、星の輝きのようにまばゆく輝いていた。

私はベッドの上でゆっくり体を起こす。

すると、いつの間にか私の膝の上に封蝋で閉じられた、一通の手紙があった。

(この手紙、女王様からの……)

その中には女王の書く流麗な書体でこう書かれていた。

『女王直属召喚士部隊である女士団(ラウンズ)「黒百合」のリーダー・エニスは、その監督能力の無さによって、充分でない人数で出動していた事からこれまで多くの任務を完遂できずにいた。よって、明日より一週間の間に、「黒百合」のメンバー全員が正式に機能し、且(か)つそれによって何らかの成果を上げれなかった場合は――』

そして、最後の文面を目にした瞬間、私は思わず全身が凍りついた。

『リーダーであるエニスを召喚女士(ミストレス)から除名。加え、当人をラウンズヒル国外へ追放するものとする。――ラウンズヒル女王・プレウィック』


「あれ、なんだこれ……?」

俺が風呂から上がると、俺が制服を脱ぎ散らかしていた脱衣所には俺の脱いだ制服や下着に被さるようにして見慣れない服が置いてあった。

俺はその服を摘み上げる。それは誰に向けて作られたのか、なんと虹色のハイレグだった。

(な、何でこんな変なのがあるんだよ……エニスがよく着ているのか?)

ハイレグを身につけ、全身むちむちになったあられもないエニスのハイレグ姿を想像してしまい、俺は思わず腰を屈め、前のめりになってしまう。

(おふ――い、イカンイカン。落ち着け俺……。まだ慌てるような時間じゃない……)

俺はどうにかその生理現象をやり過ごし、さっきまで着ていた制服と下着に着替える。

(この世界の着替えとか明日にでも考えないとな……この制服がクサくなる前にも……)

「エニスー。風呂上がったよー――って、おい。エニスどうしたんだよ?」

風呂から上がった俺を迎えたのは相変わらず体を隠す忌々しい真っ赤な炎を体に展開したままベッドにうずくまるエニスの姿があった。

「…………」

エニスは黙ったままで俺の言葉に答えようとしない。

「エニス? 大丈夫か? ぽんぽんでも痛いのか? それならお腹をさすってやるといいと聞いた。なので俺が今から――」

「ショク。私……私……どうしよう」

ベッドの枕に半分顔を埋め、上ずったエニスの声が聞こえる。

その声に俺はさっきまで考えていた半分冗談でやろうとした合法セクハラの手順を脳内削除した。

「……やっぱりカナデにあんな風に言われた事、気にしてるのか? それはさっきも言ったと思うけど向こうはそんなに――」

俺がその先の言葉を言うより早く、エニスは突然起き上がり俺の体を抱きしめてきた。

(――え? うっ、嘘っ?)

エニスのおおきなおっぱいが俺の胸に押し付けられ、ぐにゅうっ、となる。

え? なにこの幸せな状況?

しかし、俺を見上げてくるエニスの悲痛な表情に俺の思考は突如停止した。

エニスの真っ赤な目には大粒の涙がとめどなく溢れていた。

「……どうしようショク。私……私、このままじゃこの国から追い出されちゃうよぉっ……!」

「――――え?」


数分後。

俺はとりあえずエニスを何とか落ち着かせてベッドの上で向き合って座っていた。

「落ち着いた?」

「……うん。ごめんショク。私……」

時間を置いたせいか、多少目は潤んでいるものの、それでも今では落ち着いた風に言葉を話してくれた事に俺はひとまず安心した。

「はぁ……ま、よかったよエニスが落ち着いてくれて。それじゃ、何で泣いてたか教えてくれるか?」

「…………」

「あれ、どうした?」

「えっと……よ、よく考えてみれば、これは私自身の問題だから……異世界から来たショクには関係のない事なの。だからもう何も気にしないで」

俯きがちにそう言うエニスの言葉にはどこかその言葉とは裏腹に寂しそうなものがあった。

そこで俺は――

「あっ。そーなの? じゃ俺が気にしなくてもいいのね?」

「……うん」

「へー……そーなの……」

「うん…………」

「へぇー…………」

「…………」

「…………」

――――――いや、待て待て。

俺は女の子の涙の理由を聞かずに去るような野暮な男じゃない。

大人気超イケメン主人公の面子がかかった俺はもう一度、エニスに尋ねてみる事にする。

「そんなこと言わずにさ、聞かせてくれよ。仮にも今、俺たちは同じ屋根の下で暮らす同居人、いわば家族でしょうが」

「……そうなの?」

「ああ、そうだよ。そして家族には当然、隠し事なんてないよな?」

「う、うん……」

「じゃあ話してもいいじゃないか」

「解った……」

――よし。

我ながら訳のわからない暴論だったが、人への疑いを知らないらしいエニスはそれに素直に納得してしまったようでショクに解るよう、順を追って説明すると言ってゆっくりと話し始めた。

「まず、初めに私はこの国で召喚女士(ミストレス)っていう役職についているの。それは召喚魔法を使える女の子のみがなれる役職のこと」

――ミストレス、直訳して『女主人』という名をしているだけあってやはり、男はいないのか。

「ああ、あのカナデもそうなんだろ?」

「……うん。それから私達、召喚女士(ミストレス)は皆この建物(アパート)に住んでいて、皆いずれかの女士団(ラウンズ)っていう四人一組の班に所属しているの。私とカナデは――」

それなら知ってるぞ、と俺は前置きしてから口を開く。

「『黒百合』とかいう名前の女士団(ラウンズ)って言ってたよな。 ……本当に中二くさい名前だな。誰がつけたんだ? あの女王様か?」

しかしエニスは首を横に振った。

「ううん、つけたのはカナデ。私が女士団(ラウンズ)のリーダーに選ばれたときにカナデがつけてくれたの」

「――え、そうなの?」

なんということだ。中二病はこの世界にも蔓延しているというのか。

異世界という場所にいるのに俺はここが妙に自分の世界に近しい親近感を覚えた。

「それで、私は『黒百合』結成から今まで、一度も女王様からの任務に成功してないの」

「……どうしてだ?」

「それは……私のせい」

「エニスが?」

「うん、私が悪いの。今日だって任務に失敗して、カナデにもあんなこと言われて……」

「……そういえば、女士団(ラウンズ)は四人一組なんだろ? 他のメンバー二人は?」

「……私が言っても、任務に来てくれないの」

「…………」

俺はその答えに思わず黙ってしまう。

押しの弱そうなエニスのことだ。恐らく、誰かに指示する事はできても、それを強制する事が出来ずにいるんだろう。

――なるほど、カナデが怒ってたのはそういうことか。

俺はようやく、女王との謁見の帰り際に突如、怒り出したカナデの気持ちを察せた。

「それで……その、さっきからエニスが手に持ってるその紙は?」

「これはさっき来た女王様からの手紙……。ここには今日から一週間以内に私と女士団(ラウンズ)のメンバー四人全員で何か任務を達成しないと、私をこの国から追放するって書いてあったの……」

俺はエニスが俺に泣きついてきた時から、何か悪い事があったと半ば予想してはいたが、それでもその内容には驚かされた。

――しかし、国外追放とは……あの女王もああみえて厳しいところは厳しいんだな。

「……そりゃまた、随分面倒なことだな。しかし、追放されるのはエニスだけか」

「うん。女士団(ラウンズ)の責任はリーダーが負うのはこの世界では当然だから……」

「そうか……。――よしっ」

そう言って俺はベッドから床へ降り立ち、クルリとエニスを振り返った。

エニスはきょとんとした目で俺を見つめている。

「喜べ。国外追放は無しだ。要はそのお前以外に三人いる女士団(ラウンズ)のメンバーを手なずけて、なんでもいいから一つ任務を果たせればいいんだろ?」

「う、うん……」

「任せろ。見ての通り女の扱いに関して俺はプロだ。明日から俺はお前を全力でサポートしてやる」

「えっ……! で、でもそんな……これにはショクは関係――」

「無許可でエニスのおっぱいを触っった埋め合わせは必ずするって、城を出るときに言っただろ?」

「シ、ショク……。……そ、その」

「ん?」

「……ありがとう。その、私……何もあげられないけど……」

「いや、見返りなんかいいって。俺は大丈夫だからさ」

ただでさえ、俺はエニスにおっぱいを触らせてもらい更にエニスのお尻まで拝ませてもらったからな。

エニスにはこのくらいの事はしておかないと、無許可でセクハラしたとかでまたこころに殺されかねない。こころにセクハラのことがバレた時に備え、言い逃れできる程の功績を立てておかないと。

「ねえ……ショク?」

「どうした?」

「その……私、さっきお風呂場にショクの着替えの服を置いておいたんだけど気付かなかった?」

俺の脳裏に、何故か俺の脱いだ服の上にあった虹色のハイレグがよぎる。

「え……えっと……あれって、俺用だったのか?」

エニスはコクリと頷く。

(ま、マジか……)

異世界人の常識というものにはつくづく驚かされる。俺の常識がこの世界で通用するのか?

エニスの前であんな事を引き受けてしまった手前、俺は今後の先行きが少し不安になった。


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