第5話『待て、男が嘘をつくのはエロ本の隠し場所関連の事で、それ以外には』
◆
暗く、そして冷たく凍えそうな闇の中。
その中で大灰蝕(おおはいしょく)の妹、愛忠(まなただ)こころはゆっくりと目を覚ました。
――ここはどこ?
そう言ったこころの声はどこにも響かず、ただ真っ暗闇の中に吸い込まれていった。
――こ、ここはどこなの? そ、それにどうして自分(こころ)の声が聞こえないの?
理解できない動揺に叫びながら、こころは記憶の糸を辿ってゆく。
使われていない焼却炉でこころは突如沸き起こった青い光に包まれ、意識を失い、それから――
――わ、わからないよっ……!! どうしてこころはこんな真っ暗なところにいるの……!? こころ達学校にいたんじゃなかったの……!!? こころ達――あ。お、お兄ちゃん……!
こころは一緒に光に飲み込まれたその人物を思い出し、気付けば声の響かない不気味な闇の中、彼の事を大声で呼んでいた。
――お兄ちゃんっ!! お兄ちゃんっっ!! どこなの!!? どこにいるの!!? こころ怖いよぉっ……! おにいちゃぁんっ!!
『……驚いたな。まだ意識が残っていたとは』
(え……?)
ふと、頭の中から声が響いてくるような奇妙な感覚にこころはいつしか叫ぶのをやめていた。
それは男でも女でもない性別はおろか、人のものとは思えぬような不気味な声だった。
――あ、あなたは誰……?
恐る恐る、尋ねてみる。性別不明の声の主からの返事は意外にもすぐに返ってきた。
『私は四大精霊が一人、『シルフ』。お前の体を奪ったものだ。今、お前は私の意識の片隅にいる』
言葉のうちに恐ろしい事実が含まれていて、こころは思わず恐怖した。
――体を奪ったってどういうこと? そ、そもそも四大精霊って……? 一体、何の話なの?
やがて、不気味な声が再びこころの頭の中で響く。
『今、私がここでお前になにを言ってもお前にはわからないだろう。だが案ずるな。すぐに今のお前の意識は消え失せ、これから先お前はもう何も怯えなくても、考えなくてもすむようになる』
――そんなっ!! こころ、お兄ちゃんのところへ行くんだから!! 邪魔しないでよ!!
しかし、そんなこころの訴えに不気味な声はたった一言、無駄だ、と断じた。
『お前の意識はこのまま私に乗っ取られてゆく。……悪いがそれが今のお前の運命なのだ』
こころの意識が次第に薄れてゆく。
青い光に包まれたときとは全く違う、自分がバラバラになっていくような恐ろしい感覚を持って、こころの意識は闇の中に消えていった。
完全にこころの意識が消えうせた闇の中、音のない空間にたった一つの声が響き渡る。
『私は召喚獣シルフ。ラウンズヒルに住む腐った人類に裁きを下す者』
◆
「ショク……大丈夫? 痛くない?」
「まぁ、さっきよりはだいぶマシになってるよ」
女王との謁見を終え、俺とエニス、カナデの三人は俺がぶつかった光の壁を抜け、城の外の城下町へ出ていた。
玉座で頭を打ってから無事に意識を取り戻した女王が言うには、とりあえず俺のこれからの処遇については、俺をこの国内の一国民として認めるというものだった。
衛兵に殺されかけたりしたが、なんだかんだでこの国にいてもいいことになったのは素直に嬉しかった。
しかし、俺が魔法使いであることは一切この国の民に他言するなということだった。
何でも魔法使いは、かつてこの国にいて今や女王を除き、滅びたらしく、新たな魔法使いの存在を公言することはこの国で大きな混乱を招くらしい。
そして俺はそれらを伝え終わった女王に思い切って行方が解らない妹のこころの事を尋ねてみた。
それに女王は知らない、見ていないと申し訳なさそうに返事したものの、ありがたい事に国内外にいる女王の部隊に俺の妹捜索を加えて依頼してくれるそうだった。
そうやってすぐ人を動かせる所は、実に慈悲深く人の上に立つ女王らしい。
――ところが。話が終わり俺たちが帰ろうとしたところに女王は突如、
「ショクさんの魔法にやられたままではくやしい」
などというワケの解らない理由で俺にぐわーっと襲い掛かってきたのだ。
……そんなわけで女王の繰り出してきた間接技(サブミッション)を十分に堪能してしまった俺は今、全身に傷一つ無いものの、体は女王に変な方向に何度も極(き)められ、腕や足をほとんど動かす事のできない情けない状態でいるのだ。
「ごめんな……エニス。さっきからずっとおんぶしてもらっちゃって。俺の体、重いだろ?」
「……ううん。ショクはぜんぜん気にしないでいいよ。それにそんなに重たくないし」
そう言って、いつものように優しく答えるエニスに俺は涙が出そうだった。
すると、俺の少し後ろのほうからカナデの鋭い声が飛んでくる。
「ショク、あんたどさくさに紛れてエニスのおっぱい触んじゃないわよ」
「おおっ、そうだったな。ありがとうカナデ」
「えっ、ちょっと待って。『おおっ、そうだったな』って、どういうこと!? 今気付いたの!?」
「それより、カナデさ」
「なっ……なによ」
「お前、さっきから何で俺達の若干後ろを歩いてるんだよ」
「……!! べ、別にフツーよ。これくらいっ」
さっき俺がカナデのおっぱいに触った事をまだ引き摺っているのだろうか。
「ふーん? ま、俺はこの国のいち国民になった事だし、エニスもカナデもこれから同じ国民同士で仲良くしようや……」
「うん。よろしくねショク」
「なっ、なんかひっかかるような言い方だけど……ま、女王様がそうおっしゃたのなら、しょうがないわね」
「カナデ、大丈夫だ。俺は女の子のおっきなおっぱいは大好きだが、許可が無ければ触らないさ」
もっとも、俺はその許可を誘導尋問で少々強引に得る事もあるが、ここではそれを口にしない。人を騙すというのは、相手にとって都合のいい情報だけを与える事だ。
「え、そうなの?」
カナデがさも意外そうに言う。すると俺をおんぶしたエニスがポツリと呟く。
「……でも、ショク私に初めて会った時いきなり私のおっぱいをすごい速さで揉んだよね」
(あ、あれ? そうだったかな?)
俺はこの世界に来たときのことを思い出す。見知らぬ部屋で目を覚ました俺。
そして超爆乳のエニスが俺の前に来た。その時俺は――――あ、思い出した。
「そ、そうだった……!! お、俺としたことが……」
おおおぉぉぉ、アタシってば自分の事ながら何と恥ずかしい事を!!
「う、うん。あのときはちょっと痛かったから……」
「いや、あの時は本当に悪かった。あまりの大きさについ我を見失っていたんだ。エニス、この埋め合わせは必ずするよ。信じてくれ」
「解った。私信じる」
「はぁ……。ねえエニス、こんなド変態の言葉信じるだけ無駄よ。男は女の前でなら幾らでも嘘をつく生き物なんだから」
「待て、男が嘘をつくのはエロ本の隠し場所関連の事で、それ以外には」
「同じよ。……ねえ、それよりエニス、さっきから私ずっと言いたかったんだけど」
カナデは俺を背におぶったエニスの前に立ちふさがるようにして言った。
いつの間にかカナデは土塊の露出度の高い鎧から、初めのときに身に付けていた牛柄のボディースーツへ着替えていた。
「な……何?」
途端、エニスとカナデとの空気が変わる。
(ん……何だ? 急に)
エニスの背におぶられながら俺は二人の間に流れる重い空気に自然と黙り込んでしまう。
「エニス、アンタ今自分が『黒百合』のリーダーだって自覚……ある?」
そのカナデの言葉に、珍しくエニスはうろたえて、正面にいるカナデから目を僅かに逸らす。
「……そ、それはっ……あ、ある……よ。ちゃんと」
カナデはエニスが言い切るよりも前に首を横に振った。
「ううん。そんなの嘘」
「うっ、嘘なんかじゃ――
「嘘よッ! そんなのッ!!」
「……ッ」
カナデの険しい目は今、俺ではなく、仲間であるはずのエニスに向けられていた。
「今日のシルフ確保の任務でもそう……! 『私とカナデの二人でも十分任務を果たせる』とか言って……結局今回みたいにシルフを逃がして失敗してるじゃない!! そんなの今回でもう何度目よ!! 女王様は自分が無理に行かせたみたいに言ってたけど、そもそも失敗の元は二人でも十分だからって言ったリーダーのアンタ自身なのよ!? いい加減にしてよッッ!!」
「そ、それはシルフがあんなふうに広範囲で動けるって知らなかったから――」
「今度は言い訳!!? 悪いけど、そんな風に弁解するリーダーなら私、もうついていけないわ」
そう言って、カナデは俺をおぶっているエニスに背を向け、そのまま歩を進めようとする。
「かっ、カナデ……? ど、どこ行くの……?」
「私、エニスとはしばらく会わないことにする。当分部屋にも帰らないから。何、エニスは私がずっとついてなきゃダメなの?」
「う、ううん。そ、そんな事は……。――えっと、その。わ、解った。ほ、本当に……ごめん」
カナデは振り向き、やがて横に首を振った。
「……いいえ、エニス。今のアンタは自分がどうして謝ってるのか全く解っていないわ」
すでに日が暮れ、城から出て薄暗い城下町を歩く事、およそ十分ほど。
俺をおぶったエニスの足がある大きな建物の前で止まった。
「着いたよショク、ここが私の家」
「家って……随分りっぱな所だな」
俺は思わず目を見開いた。
城下町の雑多な西洋風の街並みの中に切り込むようにして、その巨大で豪奢な『家』は建っていた。
――これじゃ家っていうより、まるで学校の校舎みたいなとこだな。
「これ全部お前の家なのか?」
俺は『家』の大きさに驚きながらも聞いてみる。エニスは首を振った。
「ううん違う。ここは私達、召喚女士(ミストレス)の為にこの国が作った集合住宅(アパート)なの。私の部屋はここの五階の左奥」
「へえ、そうなのか。ってことはあのカナデもここに住んでるってわけか」
「……う、うん、そういう事になるね」
「なぁエニス、大丈夫か?」
「ありがとうショク。……うん。私はだいじょうぶだよ」
「そっか。あ、エニス。もう降ろしてくれていいぞ。休んだおかげでもう一人でも歩けそうだ」
「そう……? 解った」
エニスはそのまましゃがんで俺を背から降ろす。降りた俺はさっそく自分の足腰を確かめる。
何もなく、ひとまずほっとした俺はエニスと共にそのアパートへ向かいながらふと口にする。
「しかし、ホントにいいのか? 俺がエニスの部屋に泊めてもらっちゃっても」
そう、なんと俺は女王のお達しにより、エニスの部屋に泊めてもらえる事になっていたのだ!
こんな警戒心の無さすぎるおおきなおっぱいの女の子と同じ屋根の下で眠るなんて高校生の俺には刺激が強すぎる。だがそんな俺の不安を知らず、エニスはうん、と頷いてみせた。
「女王様も私の性格を知ってたから……だから私に頼んだんだと思う」
「エニスの性格ってなんだ? 優しいとか思いやりがあるとかか?」
俺は前を歩くエニスにそう言いながら、アパートの中に入って広がるホテルのように高く豪奢なフロントの天井に目を奪われていた。
「……たぶん。きっとそうだと思う。……ねえ、ショク?」
やがて、上階への階段へさしかかった時、中ほどまで登っていたエニスが手すりに手をかけようとした俺を振り返って来る。
「ん? 何?」
「ショクって妹がいたの?」
「あ、俺が最後のほうで女王に聞いた事か。――ああ、そうだな。こころって名前でさ。俺をモーニングスターで殴ってきたり、ロッカーに何時間も閉じ込めたり、最近になっては焼却炉に入れてくるようなどうしようもない奴だ」
階段を一段一段と上るごとに俺はこころの悪魔の所業を思い出し、思わず身震いしてしまう。
エニスはまるで幽霊でも見たかのように驚いた顔をしている。
「ショク、それで良く生きてたね……」
「俺の体はかっこいいだけじゃなく頑丈だからな。こころの相手してたら嫌でもそうなって来る」
「……ショクはその、そんなヒドイことをされても、こころの事が好きなの?」
「まさか。あんな貧乳のどこがいいっていうんだ。あいつのおっぱいはまるで壁のように――」
「でも、女王様が妹捜しに協力するっておっしゃってた時、ショクすごく嬉しそうな顔してた」
「そ、そうだったか?」
階段を歩く中、エニスに言われ俺は思わず赤面してしまう。
俺が一人で恥ずかしがっていると前を歩くエニスがぽつりと消え入りそうな声で呟く。
「私……さっきカナデにすっごい怒られた……それでも……ショクとこころみたいに、また仲良くなれるかな……?」
「気にするなよ。カナデも本心ではお前と仲よくしたいと思ってるはずさ」
「そう、かな……?」
「ああ」
女王に会ったあの時、カナデは泣き出しそうなほどに怖いのを必死に抑えてまで、エニスを俺の手から守ろうと自分のおっぱいを差し出したのだ。
本当にエニスの事を思いやろうとしないならあそこまでの行動にうってでないだろう。
「ま、とりあえず。部屋についたらさっきエニスが言ってた召喚女士(ミストレス)の事とか、『黒百合』の事とか俺にいろいろ教えてくれ。俺もこの世界に来てまだまだ解らない事が多すぎる」
「うん、解った」
◆
その頃、ラウンズヒル城のある一室にて。
「女王陛下」
「何ですかこんな時間に? 中で話したいというのならどうぞ入っても構いませんよ」
やがてギィィィ、と部屋の重い木戸が開かれ、その男が入って来る。
歳は五、六十程で、文官風の衣装に身を包んだ男だった。
だがその男は、このラウンズヒル王国において、唯一女王と対等に話せる権限を持つ宰相という非常に高い地位についていた。
「用件は何ですか?」
「では――。女王陛下。申し上げますが今回の件で、あの女士団(ラウンズ)にはいかなる処分をお考えで?」
「……あなた、何を言っているの?」
「ですからあの『黒百合』のリーダー、エニスへの今後の処遇についてですよ。これまでの任務失敗に続き、今回のシルフ確保の失敗。彼女は最早、この国において女士団(ラウンズ)を纏めるリーダーとしてのとして機能を果たしていない。私はそう考えていますが」
「いえ、彼女はまだ経験が――」
「では、一体いつになればいいのです? 『黒百合』が陛下によって編成されてからエニスは今になっても何の成果もあげていない。他の女士団(ラウンズ)達は少なくとも一つ二つは成果を上げています……!」
「…………!」
「女王陛下。この国の事を思うのならすぐにも処分を下すべきです。……どうか懸命なご決断をなされますよう。では、私はこれで失礼します」
一人部屋の中に残された女王は暫く俯き、机に向き直って羽ペンで何かを書き始める。
やがて封蝋でその手紙を閉じた後、祈るように外の窓から見える夜の帳を見つめた。
「ごめんなさい、エニス。でも私にはこれで精一杯なの……」
女王の手に手紙が握られた瞬間。その手紙は眩い星のような光に覆われ、独りでに消失した。
◆
「どうぞ」
エニスはためらい無く部屋の扉を開き、俺を部屋の中へ招き入れる。
「あ、ああ。お邪魔しますぅー……」
エニスという女の子はカナデと違って、本当に男性への警戒心や恐怖が微塵も感じられない。
俺は呆気にとられながらもエニスの部屋に入ってゆく。
その部屋は奥の壁に嵌(はま)った両開きの窓から差す青い月明かりに照らされ、おかげで全体を広く見渡せた。
まずその部屋の中央にはドン、とある大きな天蓋つきのダブルベッドがあった。
――そしてそれ以外の家具は綺麗に何も無かったのだ。
俺はあまりに物がなく、ゴミ一つすら落ちていないエニスの部屋に思わず言葉を失ってしまう。
「……? ねえ、ショク。どうしたの? きょろきょろして……」
「いや……エニスって無駄なものとか、あんまり置かないんだな」
「だって、ここは元々寝るためだけの部屋だし……。でも、ショクがそう言うのならやっぱり何か置いたほうがいいのかな……?」
「ああ、今度選ぶの手伝ってやるよ。どこかに座れる椅子ぐらいは欲しかったんだけど、このベッドしか家具がないんじゃなぁ……」
俺はその大きなベッドを見て小さくため息を吐く。流石に女の子が普段寝ているベッドに腰掛けるのは失礼だ。まぁ本音を言えばごろごろしたいのだが、それはエニスの見てない所でやりたい。
しかたない、床に座るか――と俺がベッドの前で腰掛けようとしたとき不意にエニスがいる俺の後ろからシュルリ、と衣擦れの音がして、『何か』がはらりと落ちる音がした。
「――え、エニス。今……その、何したの?」 あえて後ろを見ずに震える声で言う。
「あ、ごめんね。私、先にお風呂入ってくるから服を脱いだの。後でショクも入っていいよ」
(な、何ィィィィィ――!!?)
それは是非観測を、と期待を込めて俺はとっさに後ろを振り返る…………しかし――
「ん? どうしたの? ショク?」
裸になったエニスは俺の前で首をかしげた。俺は目の前の光景に口をあんぐりとさせてしまう。
どうしたの? ――じゃ無いぞ、一体どういう事だこれは。
今、そのエニスの出るとこはびっくりするほどに出ていて、引き締まっているところはしまっている豊満な美しい肢体は何故か――絵の具のように真っ赤な色をした不思議な色の炎が包んでいて見えちゃいけない局部ごと、まるで水着のように覆っていたのだ。
「あ、あの。エニス? な、なーんで、体に炎を纏ってるんだ?」
「えっと、これは私の召喚獣の火蜥蜴(サラマンダー)の炎なの。今朝、私がバスタブに水をためておいたからこの姿で入れば水がすっごくあったかくなるんだよ。お湯あったかくしておくから後でショクも入ってね」
そのエニスの体の真っ赤な召喚魔法の炎はどうやら特殊なものらしく、床の絨毯に燃え移る事も無く色のついた靄(もや)のように存在していた。
「あ、う……うん」
うぶなエニスには俺が失望している事も知らず、いつものように控えめな声でそれじゃ、と言うとそのまま背を向け、のんきに風呂のある部屋の洗面所へととてとてと行ってしまった。
一人残された俺は、床に座ってベッドに背を預けた。
――ま、おっぱいの代わりにお尻が見えたからいいか。
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