order-15: 宣言
時は戻ってロゼが屋上に着いた頃、一階のレデイアは。
銅像を台座ごと倒して、廊下の道を塞いだ。乗り越えるには引っかかりがなく、手間取る隙を下から叩く。回り込むには一人ずつしか通れず、袋叩きになる。三対五の数的不利を地形で補い、この場に釘付けにする。半端に離れば各個撃破されるだけで、全員で背を向ければ後ろから叩くチャンスになる。
ひとつだけ追加の条件がある。レデイアの左手が台座と床に挟まれて動けない事実を、相手に気づかれないこと。もし気づかれれば戦力差が一気に暴徒の優位に傾き、相手の考え次第だがまず命はない。絨毯が少しだけ圧迫を和らげているが、引き抜けない強さを覆すには足りない。ここまで下がる途中で、視界を塞ぐ投擲武器として手袋も投げていた。手前側に小さな引っかかりがあり、引き抜いたら爪まで削り取られそうだ。
レデイアは現状に気づかれないよう、姿勢を下げる構えを装いながら、動ける二人に投げられるものを投げるよう指示した。化粧直し道具の残りを分解し、思考時間を削り、意見交換を封じるための攻撃を続けさせる。その音に紛れて小声で無線機に話しかけた。
「こちらレデイア。あまり長くは持たない。どうぞ」
レデイア側の投げられるものが尽きた。気取られないよう何かがあるふりをするが、現に投げていない以上、すぐに気づかれる。ついに暴徒が動きかけたその時、暴徒側の側面の壁に、金属が当たる甲高い音が響く。レデイア側は正体を聞かされていた。味方が投げ込んだスタングレネードだ。
左右の耳を指で塞ぐ。レデイアは左手を借りて、かわりに右手の指を使わせた。暴徒側は反応が間に合わず、スタングレネードは強い光と音を吐き出した。視力と聴力が一時的になくなり、平衡感覚も麻痺する。物陰で下向きに目を閉じてもまだ、瞼が光を受けた赤色が見える。
背後から駆け寄ったダスクともう一人によって、五人の暴徒は確保された。あとはロゼが待つ屋上に駆けつけるのみ。そのためにレデイアは左手を抜く必要がある。しかし、集まった四人がかりでも銅像を十分には持ち上げられない。
レデイアもしゃがんだままでナイフの鞘を使おうとした。普段の革製ではなく、頑丈なカイデックス樹脂の鞘を選んでいる。てこの原理で持ち上げるつもりだが、今度は隙間が大きすぎる。銅像と台座の形が最悪の噛み合いかたをした。
レデイアは左手に目を向けた。指が挟まっているうち、負担は中指に集中している。他の指は少し引っ張るだけて引き抜ける。そして、手元にはナイフがあって、他の道具を持ち込む時間はない。
「四人とも。彼らを片付けて。私に考えがある」
「なんです?」
「早く! 時間が惜しい!」
珍しく大声をあげたレデイアに、四人はたじろぎ、倒れた銅像の脇を通ってその場を離れた。レデイアを誰も見ていない。男たちを持ち上げて引きずる音が聞こえる。
レデイアは深呼吸で脈拍を落とした。ナイフを鞘から出し、先端を薬指側の床に突く。人差し指を上向きに跳ね上げてナイフの通り道を開ける。あとは振り下ろすだけだ。改めて深呼吸をする。脈拍を落ち着けなければならない。そうしたら右手で振り下ろすのみ。
目を閉じたまま、勢いよく振り下ろした。熱くて冷たい感触。痛みと平常。誰もいない背後から誰かに心臓を掴まれる感覚。相反する情報が駆け巡り、最後に理解したのは痛みだ。レデイアの中指は手から離れ、銅像の台座との間を確保する置物となっている。尊い犠牲のおかげで薬指と小指は隙間から開放された。
ナイフを鞘に入れて、レデイアも屋上へ走った。無線機が左耳にあるので、操作をそのままでリグに伝える。「屋上へ行く」とだけで怪我の詳細は伏せた。
踊り場を越えたところでロゼと顔を合わせる。すぐにハンドサインからキールの位置を読みとり、短時間で呼吸を整えて、ロゼの先導で屋上に飛び出た。
入り口は中心の階段だけで、出口は全方向に飛び降りられる、数での有利を無力化する地形だ。反面、最初の出待ちで撃ち漏らしたならば、一切の誤魔化しが通じない。
レデイアは右に、ロゼは左に回り込む。キールに続く梯子は無視して、下から長い武器を振るう。箒をぶら下げるループを利用したヌンチャク状をレデイアにも持たせて、キールの右腕を狙う。
最初の目標は、銃を叩き落とすこと。銃を直接叩く他に、肩や太腿に当てて怯ませるのも手だ。的は大きく、背後からでもいい。抵抗するにも、二人がかりで挟み撃ちにする都合から、キールは片方を狙えばもう片方に背中を向ける。
その状況に対処する唯一の方法が、お立ち台を降りることだ。キールはレデイア側に飛び降りだ。でんぐり返って衝撃を和らげ、銃を構える。その眼前を狙って短剣の鞘が投げられている。打撃としては軽すぎるが、目に当たれば大事だ。キールの左手は姿勢の支えに使っている。
キールはたまらず右手の銃で弾く。狙い直しになった隙に、今度は箒が投げられた。薄い扇形になっているタイプで、縦回転の軌道はキールより手前で落ちる。狙いは視界だ。レデイアが最後に立っていた場所を狙ってキールは弾丸を放つ。ビジネス街には不似合いな音がひとつ。レデイアを無視して、階段への扉に穴を開けた。
箒は持ち手の先端を床に当てて、扇形の視界封じが最長になるよう弾んだ。キールは立ち上がりながら左手で弾く。一九〇センチの体躯を見せつけて銃を構えた。薄い側面向きではなく、幅広の正面向きで。格闘戦も見据えた構えだ。
レデイアはもう一本の箒を左手で持ち、キールの目まで一直線になるよう構える。先端でレデイアの目線を隠し、残っている埃が振り子状に揺れる。些細なことだが、積み重ねるほど大きな負荷になっていく。
戦闘での脳は、一秒の間に百や二百を上回る大量の情報を扱っている。間合いの管理ひとつ取っても、両者の体格、扱う武器、構え方、適切な距離、不適切な距離、現在の距離。まだまだ語り尽くせない情報が脳神経を飛び交っている。
膨大な負荷の中では、小さな要求でも、果てしない困難としてのしかかる。目の焦点を合わせる先は箒ではなくレデイアとか、行動の周期を支配するのは振り子ではなく状況とかの、座学では信じられないくらいに単純な手で撹乱できる。
レデイアがどの場所に立っているか。箒の陰に三人分の空間がある。二発目の弾丸を放つが、箒の先端はまだ近づいてくる。そちらに気を取られていたらもう一人、ロゼも追いついてきている。投げ込まれたちりとりも、レデイアが持つ箒と同じ理由で思考を圧迫する。
このままでは分断が解消され、キールの負けだ。弾丸が当たれば解決する問題だが、焦りは呼吸の荒さとなり、手の震えになり、弾丸が外れる原因となる。三発目、四発目。どこかの壁にふたつの穴が増えた。真下に落ちた破片は確実な証拠となる。
冬とはいえ、日光を浴び続ければ暑くなる。キールは髪を掴まれないよう丸刈りにしているので、頭皮が直に赤外線を受けて、熱された血液が全身に巡る。袖で汗を拭う。指が滑ってはいけない。
レデイアとロゼは屋内から出たばかりで、まだ暑くはなっていない。しかし、全身を覆う地味な黒の服は、キール以上に光を受けとる。キールにはそう見えているが、彼女らの服は赤外線を弾く加工があり、見た目に反して暑くなりにくい。
キールは
キールの銃に残る弾丸は五発だ。三発までなら空振りできる。しかしまだだ。ここまで当てられなかった時点で、先手の優位は消えた。今のキールは防御側だ。攻め手への妨害で隙を作り、そこに弾丸を叩き込む。一人目に四発を使う。人数が対等になった後なら一発で戦える。
すぐに飛び降りるのも手だ。このまま二人と戦うよりは下で逃げる方が可能性があるかもしれない。即決しない理由は、一向に連絡が来ない事実だ。任せた彼らがもたつく筈がない。確実に何かが起こっている。
事前に得ていた情報に気になる点があった。名前が似ているだけとも思ったが、キールへ向かってくる顔立ちにも見覚えがある。加えて、レデイアが走った後ろに血痕を見つけた。試す価値がある。
追い詰めつつあるレデイアに、ロゼも追いついてきた。手持ちの武器は錘付きのテグスだ。細くてよく滑る糸は掴まれても引けば手元に戻り、目を狙って視界を奪う戦法に特化している。
ロゼは特別に足が速いのではないし、レデイアの足が遅いはずはない。キールは土壇場で違和感に気づいた。何か理由がある。速さを抑える理由が。ただ戦うよりも勝率が上がるかもしれない。キールは言葉を使った。
「レデイン・エイド」
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