order-13: 順調

 午前十一時。来賓の席は埋まり、司会が結婚式を始めると宣言した。拍手で新郎新婦を迎えて、挨拶を始める。来賓の目線が一点に集中する今、監視カメラが全員の顔を捉えている。新婦側の来賓は事前に洗ったときからわかっていた通り、叩いても埃が出ない。一方で新郎側は、キールの関係者が多くを占めている。幼少期の友とされている人物はすべて養護施設で出会った者だ。


 情報室では映像を見ながら情報の共有をする。レデイアは新郎側の席を指して「これはハート医師。私の顔を知られてる」と知る顔を挙げる。行方不明だったがこうして現れたことから、キールとの繋がりが確実となった。名簿の名前とは一致しない。偽名か、成り代わりかは不明だが、レデイアの行動を制限するには十分だ。


 初めに想定した時点で、レデイアとロゼは表立って動けないとわかっていた。主賓のトラクに顔を知られていて、最も見渡しやすい主賓席を取られている。追加でトラクの死角でも動きにくくなったなら、ダスクが鍵を握る。ロゼによると、ダスクの顔は誰にも知られていない。少なくとも、大人になってからは。


 レデイアは、ロゼの過去を知らない。誰にだって知られたくない過去ぐらいある。行動を見て、反社会的な組織への憎しみが強い理由がある、と察するにとどめた。自発的に言うときまで、外野は黙るべし。これまでにも、組織の親玉を確保する場に何度か立ち会ったが、今日のロゼは露骨に様子が違う。聞くまでもなく、キールと深い因縁がある。


 ならばレデイアは補佐に回る。ロゼが自らの手で決着をつけられるよう機会を作る立ち回りをする。式場は広いが、計画している控え室は追い込み先としてちょうどいい。逃げる先は二階への階段が近く、他の逃げ道は一人で塞げるし、二階は袋小路だ。


「定時連絡。異常なしっす。ダスクがそっちに向かいます」


 無線機でリグの声を受け取る。来賓の駐車場は機械式の地下にあり、地上の駐車場はスタッフ専用になっている。外に異常がないならば、外からの妨害はまずない。順調そのものだ。


 情報室でダスクと合流し、最後の打ち合わせをする。大筋は事前の計画と同じ、狙いどころはキールを控え室へ案内した直後だ。ダスクが控え室で合図をしたら、周囲のメイドがボディガードを剥がし、レデイアが通気口から降りる。開始はおよそ四〇分後だ。


 ダスクは頷き、レデイアと共に装備の確認をする。レデイアがナイフを持つ場所は右後ろのベルトラインで、背後からの組みつきに対処する備えだ。捕縛用の道具は普段通りにエプロンを使う。ダスクは武装を持たず、ここから異変を察知されるリスクを減らす。最悪なら、化粧道具を投げて使えばそこそこの成果は得られる。


 二人は控え室へ向かった。ダスクは一階の廊下から、レデイアは二階の通風口から。持ち場についたら、もう後戻りはない。無線機も切って、静かに時を待つ。遠くから聞こえる、司会の話でどうにか時間を把握する。


 レデイアは呼吸を深く大きく、静かに続ける。通風口では音が響くので、降りるその瞬間まで、少しでも音を立てればすぐに異変に気づかれる。呼吸の音が目立つ原因の筋肉は喉や鼻の奥に合計三箇所もある。加えて姿勢も、いびきと似た理由で音の元だ。


 横隔膜を除くすべての筋肉のリラックスを、狭い通気口でも普段通りに行う。網越しに出入口とダスクを見て、状況を把握する。時々、ダスクが腕時計を見て爪で叩く。音の数で時刻の把握に役立てるためだ。


 司会の話から、キールが向かってくる頃だ。下でもダスクを含む数人が動きを見せた。化粧台までの道を開けて、ひとつの席に誘導する。廊下側から足音が聞こえた。絨毯で軽減されようと、レデイアの耳は誤魔化せない。この場でキールを確保する。


 扉が開いた。キールの前と後でボディガードが場を検める。ダスクの案内で所定の席についたら、残るは位置関係だ。不自然なく分断できる位置になる一瞬を待ち、ダスクは合図として、道具の一つを持つ手を緩めた。重い金属と硬い床の衝突による、耳障りな甲高い音を皮切りに、各メイドはボディガードを抑えて、ダスクがキールの服の袖を掴む。


 服は強い。多少の力では引かれても捻られても裂けず、偶発的な危険から着用者を守る。上質なものは刃物や炎もある程度は受け止める。大きさは持ち主の体つきに合わせて、過不足ない寸法になるよう整い、どこから見ても美しいシルエットになる。


 それ故に、服を掴まれた状態では動きが厳しく制限される。右肘を掴んで、前腕側に持ち上げる形で引く。ただこれだけで、左腕の動きが自らの服に阻まれる。掴む側は全身の筋肉から力をかけられるが、掴まれた側は肩の筋肉だけで抵抗する。差は歴然だ。


 キールは脚を使ってダスクの姿勢を崩そうとする。揉み合いの上から割り込むため、レデイアも通風口の網を外して飛び降りた。キールの左脚を内側から掬う蹴りを放つ。感触が違った。ズボンの生地で衝撃を吸収されている。ヘルメットと似た構造の、衝撃を逃がす空間がある。


 ボディガードは他のメイドが抑えているのでキールへ駆けつけるには至らない。数の優位は覆せない。だからこそキールは余裕の表情をしている。ボディガードが懐に忍ばせた小さな装置から、メインホールの大勢への連絡が送られている。レデイアは通風口から出た後も無線機を切ったままだ。降りる時点で、精度のために余計な動作をしなかった。ダスクからの声で状況を知る。


「レデイアさん、メインホールから敵増援、押し寄せます」


 もしロゼならきっと、キールの首の骨を折って終わらせる。悪を滅ぼすためなら自分が悪になってでも確実な手を選ぶ奴だ。この場で逃したら次のチャンスがいつになるかわからず、新たな被害者が増え続ける。そうなるぐらいならこの場で片付けるのも、合理的ではある。


 しかしレデイアは違う。その手で解決するのはキール絡みの事件だけで、他のすべてを受け止めるための秩序を乱してしまう。正当性もなく命を奪えば、やがて行き着く先は暗殺と恐怖が支配する混沌の渦だ。秩序の守り手として、取り返しがつく範囲で留めなければならない。


「拘束具を! 済んだら退避して!」


 レデイアの指示を受けて、ボディガードの担当が腕をねじり上げて手首を結ぶ。鬱血のリスクがある力任せの結び方だが、それ故に一人はこの場での対処に迫られる。キールも同様に、こちらはレデイアが腕を引っ掴む。頼りないリボンでも人間が引っ張る力には耐えられる。その後ろでは非戦闘員が扉を開けたままで押さえて退路に駆け出せるよう待機している。


 レデイアは扉の先で誘導と足止めを担う。分かれ道の正面から駆けつける来賓に向かい、ポケットに入れた小瓶を手当たり次第に投げつけていく。中身は無害なお直し道具だが、投げられる側はその事実を知らないので、警戒のために足を止める。その背後ではダスクが分かれ道を左へ、キールを担ぎあげて運ぶ。ロゼが待つ場所に合流する。


 建物の構造上、途中でどうしても狭い道を通る。キールは花瓶の台座を蹴ってバランスを崩させ、ダスクの腕から逃れた。大型の花瓶が割れて、中の花や水が床に広がる。キールは破片のひとつを口で拾い、立ち上がって逃げ去った。階段の上へ。


 ダスクはすぐに追うが、靴が濡れて踏ん張りが効かず、速度が出ない。このまま追うよりも、連絡を回す方が確実だ。無線機で言葉を送る。言い終える頃にはロゼが駆けつけた。


「こちらダスク。キールを逃しました。二階へ向かっています。腕の拘束を花瓶の破片で切るつもりと推察します。どうぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る