order-10: 静粛

 作戦会議を終えて夜、満月が地平線を離れたときに、車場のシャッターを開けた。発車したのは一見すると高級ではない車だが、中身は分厚い鉄板で銃弾から守り、その重量に相応のエンジンを積んでいる。


 運転はセクレトが担い、助手席にレデイアを乗せている。両者ともに、顔に細工をしている。ほくろを隠したり描き加えて、化粧で目元の印象を変える。発見や記録はされるのが前提で、その後で活用しにくい細工だ。


 目的地はトラク弁護士の事務所だ。レデイアが送った暗号から必要と判断された情報が届いている。事務所の場所に加えて、交通手段や徒歩経路もある。加えて、トラクの今夜の予定もだ。


 現地ですでに動いているのは、レデイア側の家政婦と、セクレト側の潜伏工作員だ。情報にはあまり期待できない反面、実働は背中を任せられる。特にロゼ・ブラックは、レデイアとは犬猿の仲だが実力を認め合っている。


 車を飛ばして、大通りに合流した。周囲を一般の車に囲まれ、無法な速度はもう出せない。時間は十分にある。トラクは会食を終えたら、事務所で解散し、秘密の情報を抱えてどこかへ向かう。向かう先を特定するのが今回のレデイアの目標だ。


 セクレトが提示した計画に対し、レデイアは信用しきってはいない。秘密の情報について詳細を伏せ、情報筋も伏せている。当分は全力を見せず、セクレトの動向にも注意を払う。信用できる相方がいかに重要か、レデイアはよく知っている。その逆についても。


「レデイアさん。三・二・一・〇の〇で開ける。次の交差点だ」


 セクレトの車は運転席から他の扉の開閉を操作できる。短い打ち合わせの通り、交差点でレデイアのみ飛び降りた。カーブで減速してもまだ時速は二〇キロメートルほど出ている。自転車からの飛び降りと同じような顔で、レデイアは寂れた裏通りに降りた。目標とする建物はこの奥で、表と裏から挟み撃ちにする。


 繁華街の大通りは夜でも明るいが、一方で裏通りは屋内から漏れ出る光でなけなしの視界を確保している。店のイメージに合わない身なりの従業員がこっそり出入りしたり、上階では休憩中に煙草をふかしている。レデイアは彼らとの面識がなく、家政婦の格好をしているので、目をつけられる機会がある。自分たちとは別のグループが似た商売を近くで始めたら商売敵となる。


 今日は幸いにも人影がない。初めに上階から雑談が聞こえた以外は、レデイアから見える場所には誰もいなかった。誰かの帰りの挨拶が聞こえたら、物陰でやり過ごしてからすれ違う。明るい部屋から暗い裏道に出てすぐには視界が馴染まず、多少の無理でも通るものだ。


 建物を数えて目当ての一棟に着いた。同時に、上階から人が飛び降りた。レデイアは目の前に着地した相手に、咄嗟に戦闘態勢に入った。衝撃を和らげる都合で顔が下を向き、見えるのは帽子の白とスカートの暗色だけだ。距離は十分にあるが、故に詰めるには向かず、続く行動への対処を優先する。


 顔をあげたら杞憂に終わった。飛び降りた人物は、ちょうどレデイアが懐かしんだ信用できる相方、リグ・リティスだ。


 暗い裏道では見間違いの懸念もある。レデイアは目を凝らして目の前の人物を見つめる。左手の人差し指を立てるので見間違いであっても直ちに危険はないと判断した。顔を耳元に寄せて、リグの囁き声でようやく確信した。


「二階を貸し切りにしてるっす。入れば死っすよ」


 リグは店外の隠れやすい場所を提示していく。これらは把握しているので避けるよう言い足し、室外機かフェンスに足をかけて、上階の持ち場に戻った。同時に中から扉が開き、リグの報告は古典的な「動いたと思ったら猫だった」で済ませる。すでに信用を築いているか、警戒時は動物に反応しやすいと知っているかで、すんなりと話を終えている。


 レデイアはここで隠れて、中から出るまで待つ。おそらくは露払いが安全を確認するまで本命は待機する。なので彼らの目を欺く手段が必要になる。掃除用具入れやゴミ箱はわかりやすい。コンテナと出窓の隙間もだめだ。隠れるつもりで探した場所は、大抵、すでに知られている。


 ならばどこに隠れるか。レデイアはビルとビルの隙間に、放置されたゴミを見つけた。段ボール箱とぼろぼろの布切れと、近くにはアルミ製のパイプが立てかけられている。おおかた、作業中を知らせる区切りを置いた場所に、何食わぬ顔で不法投棄を混ぜたような組み合わせだ。このゴミを味方につけて一部としてしゃがみ込む。


 探すときは隠れるつもりで、隠れるときは探すつもりで。人の目が人を探すとき、人の姿だと思ったら途端にはっきり見えるようになる。二本の足、腕、その上に丸い頭があったら、布を被っても下に人がいると想像できる。


 最初にシルエットを崩す。しゃがんで膝を立てて、上に肘を乗せる。布を被せれば、下に見えるのはとがった何かだ。レデイアはいつでも肘と膝にプロテクターをつけている。普段は服の下で不自然なく馴染むが、この場で少しずらして、尖った印象を出した。


 次に靴だ。足元は気が緩みやすく、靴の光沢は特に目立つ。なおかつ隠すにしても、置き方で人間のシルエットに見せては元も子もない。レデイアは靴を脱ぎ、片方だけを道路側に転がした。靴を履けない状況でも動けるよう、厚手の足袋を選んでいる。靴をすでに見つけた者は靴を探す目が減る。


 最後が顔だ。ちょうどいい間隔で点が並んだり、ちょうどいい起伏になっていると、それだけで顔と認識する。この場では凹凸を増やす方法がないので、顔を覆う形で布を被った。片方の目だけで先を見て、その目も細くする。白目が目立つのを防ぐためだ。


 打てる手は打った。あとは出てくるまで待つ。本当に出てくるかどうか、その時に隠れきれるか。不確定要素は多い。しかし、レデイアは決して不安を持たない。平常心で、流れに身を任せる。精神を落ち着けていれば、案外うまくいくものだ。逆に精神が揺らいでいると、匂いが周囲に伝わり、まず動物たちが異変を察知し、やがては人間も異変に気づく。人間も訓練を積めば匂いの時点で把握できる。


 時間が流れる。表通りから微かに届く声と、風の音と、風が何かを揺らす音。ときどき、遠くで扉を開ける音。足音が目の前を横切る。奥まった場所とはいえ、距離は電車の向かい合う座席程度しかない。それでも、レデイアの呼吸の音は小さく、環境音に隠れている。


 足音がまだ届くうちに、近くで扉が開いた。


 暗闇に光が差し込む。革靴の音を控えめに、数人が先行して近くに潜む何者かを探す。そのうちの一人が、レデイアの正面から接近し、すれ違って奥側を確認した。深くゆっくりした呼吸で平常心を維持する。ここには誰もいない、この場は見つからない。自己暗示に近いが、こう見えて有用だ。心理状態の揺らぎは失敗の原因になる。


 革靴の男たちは異常なしと判断し、中に声をかけた。間もなく後ろからトラクともう一人、初老ほどの男が中心になって出た。匂いから酒やタバコはなく、他のドラッグを使うにしても吸いはしない。純粋な会食に見えるが、それで裏口から出るのは不釣り合いだ。駐車場の位置は表通りから出るほうが近い。


 裏からの道はレデイアの前を通るので人数を把握できる。中心となる二人の他は、まずサングラスとスキンヘッドのボディガードらしき男が二人と、部下らしき若い男が一人、そしてレデイアも知る顔がリグともう一人、ロゼ・ブラックだ。


 よりにもよってロゼ・ブラックがいる事実は、この集団が反社会的な存在か、少なくとも繋がりを辿れば証拠が出る。ロゼが送られる先は決まってそんな組織だ。加えてロゼは、違法すれすれの手を平然と使い、時には自ら悪に染まってでも目的を果たす。レデイアには決して真似できない憎悪を抱えている。


 やがてはあの組織と決着をつける。それがわかっている以上、ここでリグとロゼが顔を合わせているのは幸いだ。レデイアにとってはどちらも信用できる存在で、両者が間近で観察し合えば、どんな手を使うか話を進めやすい。ひと息ついたらリグから見えたロゼについて確認しよう。


 ある程度の距離を歩いた頃合いに、レデイアは待機したままで小石を投げ、小さな音を立てた。念には念をと人を置いていたならこの音で動く。その様子がないと確認して、次は腕時計を操作して連絡を送った。セクレトが動くのも時間の問題だ。立ち上がってからはまず手鏡を使い、建物の陰で出待ちへの対処をする。誰もいないと確認して、ようやく移動が始まる。靴はすでに拾われている。もう片方も脱いで向こう脛に固定し、足袋を地面につけた。十分な硬さを確保していて、細かな段差程度なら靴と同じに感じられる。


 駐車場への道を追う。リグとロゼがついていれば車の番号や行き先は把握できる。ここからの懸念は、タクシーや別の車で分断された場合だ。大通りに面しているので、当然、タクシーを呼ぶにも都合がいい。その予想通り、道の先にいる七人グループは、トラクを含む二人を残して駐車場へ向かった。


 レデイアはその場で左の道に移り、大通りまで走った。トラクを含む二人に気づかれず、セクレトの車に乗れる場所に行く。なおかつ、見失うほど離れてはいけない。正面に見える大通りに車は少ないが、到着の直前にタクシーが横切った。右を向くと、追っていた二人は既に姿を消していた。

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