order-09: 慣習

 三日目の朝が来た。昨日に続き、寝ている間の変化を探す。確認するべき箇所を把握したので最短ルートで巡り、全ての箇所を指差し確認する。異常がなかったので次は、庭の雑草を刈る。ハサミを膝で支えて、そこそこの高さで切り落としていく。ひと通りの飛び出しがなくなったら、ポストの中身を取り、家主への提出ボックスに放り込む。


 レデイアのワーカホリックな習慣は、この仕事を早くも物足りなく感じ始めた。能動的な動きがないので体を持て余し、周囲への警戒が不要なので注意力を持て余す。誰かが忍び込んで鬼ごっこを始めるとか、退屈を凌げる客人が来るとか、そうでなければ早く仕事を終えて帰りたい。


 普段ならリグが近くにいて、待機時間を彩っていた。リグ抜きで行動すると体を休める時間を削りすぎて、リグ抜きでの休憩時間は意識を向ける先がない。気づかないうちに、リグの存在がレデイアの多くを占めていた。もうすぐで初対面から七年になる。レデイアがこの仕事を始めてから、リグと共にいる時期の方が長い。


 レデイアは空き時間でリグに想いを馳せる自分に気づいた。初めはどんな犠牲でもすぐに払うと言っていたが、今は躊躇する理由がある。具体的には、自分の命を犠牲にしたなら、きっとリグは悲しむ。きっといつでも生きて帰る。レデイアの当面の結論だ。


 レデイアとリグの間には恋愛関係がある。お互いがお互いをよく見ているので、状況に対し、相手が何をするかの予測の確度が高いほか、情けない姿は見せられない心理が働く。この心理による期待はいくつかの軍隊でも取り入れていて、成果の記録もある。


 恋愛関係と言っても、特別に何かをしたつもりがないので、単に話の馬があって信頼できる相手程度の認識だった。今は久しぶりにリグが単身での潜入をしているので、レデイアからは連絡もできない。可能な状態でやらないのと、不可能なのを比べると、行動こそ同じでも違いがある。今は万が一への備えがない状態だ。逃げるつもりがなくても逃げ道は確保するし、火事を起こすつもりがなくても消火器を用意する。後ろ盾がない状態は脳への負担が増えて、その分だけ仕事に使える能力が圧迫される。


 所長がわざわざこうなるよう仕向けた理由がよくわかる。知っているつもりだった内容に改めて気づいていく。今後の活動における行動に変化を促している。所長はいつも、おちゃらけたオッサンを装っているが、仕事は的確そのものだ。レデイアはとりあえず、リグを大切にする上でもっとよい方法がないか探すと決めた。


 その前に今は、目の前の仕事に集中する。


 玄関の前で何者かが荷物を漁る音が聞こえた。時計は正午を指している。客人ならば非常識で、侵入者ならば目立ちすぎる。レデイアは二階の見下ろすためらしき空間を陣取った。この家は一戸建て住宅としては珍しく、扉が内側に開く。外から押す手を、レデイアの位置からなら、真っ先に確認できる。


 見えた顔は家主のセクレトだ。明日の予定から早めたのか、それとも別人を見間違えたか。すぐに扉に鍵をかけたので一人だけではある。セクレトは靴を脱ぎ、二階に目を向けて、レデイアの方向に手を振った。レデイアは降りていき、本人である確認と、留守の間の出来事を報告する。


「おかえりなさいませ。予定よりも早いようですが」

「トラブルがあった。手伝いを頼みたい」

「わかりました。すぐに動きます」


 セクレトの指示のもと、棚や本棚から書類を引き抜いていく。共通して指示書か活動報告であり、チラッと見える部分には表向きの活動が書かれている。空調室外機の検査とか、繁華街の定点記録とかの、分野が離れた内容が並んでいる。レデイアが仮説とした、諜報工作員と考えれば合点がいく。


 出した書類をまとめて、書斎の金庫にしまった。ひと安心したセクレトによると、セクレトを相手取った訴訟が動いている。内容は粗末な捏造だが、相手のやり口が汚く、反論として役立つ資料を破壊し、強引に意見を通さんとしている。


 通常ならば資料は散らばって用意されている。しかし今回の狙いは、散らばった資料を用意させる自体だ。セクレトは深い説明をせず、レデイアは深い質問をしない。お互いに情報の断片から伏せられた事情を察知している。表の顔を重んじる者にとって、以心伝心は便利な手法だ。部外者を排斥し、追及に対して後出しできる余地がある。


「この書類を破壊したがっている、と?」

「その通り。報告にあった闇バイト、あれが当たりだ。位置情報から家の輪郭を探る手だろうな」

「真上からの衛生写真や地図では読み取れず、遠くからの観察では監視カメラに映る。ここまではわかりますが、この情報の使い方が私にはわかりませんね」


 セクレトが考えを述べようとしたところで、外から車の音が聞こえた。客人がインターホンを押す。画面に映る姿は整った顔立ちの男が一人だ。背広の襟元にはこれ見よがしの弁護士バッジが輝いている。


 先に話すにも、居留守を使うにも、今は不適な状況だ。防音にも限界があり、先のドタバタを聞いていた場合がある。ここまで近づかれたら話し声もあぶない。話を中断し、レデイアに二階の窓から周囲を確認させ、セクレトが一人で応対する。


「初めまして。弁護士のトラク・アーリと申します。セクレト・アルジェーンさんですね」


 トラクは鞄から大きなクラフト封筒を取り出した。封がされておらず、小さな封筒が三通まとめてあると確認する。一枚目には「起訴状在中」、残りの二枚は白無地に宛名と「親展」と書かれている。


「今日の要件はこれだけです。よろしくお願いします」


 トラクは封筒を渡すのみで、すぐに車に戻った。質問や反論を受ける前に立ち去れば、余計な情報を探られずに済む。仕方がないので、見える範囲から得られるだけの情報を得るしかない。トラクが乗り込んだのは後部座席だ。弁護士とはいえ若手が運転手を雇うのは珍しい。有能か、別の収入があるか。


 二階のレデイアには助手席の横顔が一瞬だけ見えた。リグが書類を読みながら説明している。所長からの連絡にあった「トラク・アーリ弁護士に警戒しろ」と合わせて、得るべき結果が見えてきた。


 レデイアは昼食を用意し、セクレトは封筒の中身を読む。空腹では思考に割くエネルギーが減って精度が落ちる。用意されていた食材のうち、タンパク質はそら豆で、炭水化物はパンで賄った。手の動きで思考が散るのも手間なので、そら豆を砕いてチーズでパンに貼り付けた。噛みちぎるのも掃除を含む手間が多いので、一口サイズに刻む。


「どうぞ、召し上がれ。栄養はあります。味の確認にご協力を」


 大皿に乗せてテーブルに置き、トングを用意した。一口サイズのパンを、レデイアは表情をそのままにどんどん口に放り込む。一方のセクレトは、口にいれてすぐに顔が歪んだ。飲み込んだあと、次の切れ端が果てしない重さになった。それでも必要だからと自分に言い聞かせて、意識を文書に集中させて食べていく。


「君を見くびっていたよ。こうまで熱心とはね」

「栄養不足で死ぬ時は、こんな味ではありませんから」


 食べ終えると同時にセクレトは文書を読み終えた。レデイアへの指示を決めるまでに、食器と料理器具の洗浄を済ませる。戻るときに水のおかわりを用意した。水分不足も思考を鈍らせる。セクレトの考えもまとまっていた。礼を伝えて、コップの半分まで一口で飲み、口を開いた。


「勝手だが、文書の内容は伏せさせてほしい。何を達成するかに絞って伝える。最初に決めるのが、二つの選択肢から選ぶことだ。今回の勝負を降りるか、今回で勝負に出るか。まずはそれぞれの情報を共有しよう」


 セクレトはタブレット端末と無線キーボードを取り出した。両者に見えるよう真ん中に置き、キーボードで入力しながら話す。


 選択肢は二つ。


 ひとつは、法廷で戦う。リスクは低いが、確実に損失がある。軽微とはいえ、相手の思惑通りになる以上、どこかで一歩でも間違えば取り返しがつかない。なので冒険ができず、確実に小さな負けとする。今回の勝負を降りる選択だ。


 もうひとつは、場外乱闘をする。リスクが高いが、成功したらリターンも相応に大きい。リスクの内訳は妨害を受け放題なこと。特に、第三者が一時的とはいえ敵対する部分だ。些細な行動でも、数が多すぎて対処ができない。その分、成功したら相手の事情を手に入れられる。トラク弁護士自身はもちろん、その周辺まで把握できるのは大きい。


 決定の期限は今日の夕方まで。必要な情報は場外乱闘の勝算だ。


 セクレト一人ならば迷わず勝負を降りた。むざむざと損失を得る理由はない。今回はレデイアがいる。技術や情報を持っているならば、もしかしたら勝負に出る価値が生まれるかもしれない。一抹の望みをレデイアに託す。


 レデイアは離席して、暗号での連絡を送った。

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