order-05: 順番

 六時二七分、グロースを救出。レデイアはナイフを大腿に戻すと同時に、腕時計の音声入力で状況を伝えた。グロースが押し込められていた箱は細工こそ無いが、恰幅な成人男性には狭く、妨げられていた血流から動きは本調子ではない。しかし、脱出ルートは選べない。想定よりましなルートはなかった。窓から滑り降りる。


 グロースにルートと動き方を伝える。スカートの下から八の字に巻いたロープを取り出す。端に大型のクリップが付いていて、輪になったロープを二本同時に引いている間は頑丈に挟み込む。窓枠の下を噛ませて、降りたら片方を離せばクリップが外れる。先に降りるのはグロースだ。窓まではレデイアが先行する。


「クルツはどうなった? 緊急入院と聞いたが」

「すぐに確認します。あなたは脱出して」


 グロースはレデイアを信じて、下げたロープを滑り降りた。三階の窓から地面までは五メートル強で、勢いを弱めるために握る手が削られる。滑しても麻だ。手袋も無しで握る機会がなかった柔らかな手を容赦なく削る。


 グロースの着地と同時に車が近づき、後部ドアを開けた。グロースは怯むが、運転席から見せる少しだけ見覚えがある顔と手帳で気を楽にした。


「レデイア・ルルの相棒、リグっす。乗ってくださいね。もう大丈夫っすから」


 グロースは言われるがままに乗り、車はすぐに奥へ進んだ。直進すれば公道に出られて、方向転換すればレデイアを拾える。状況次第で行動を選べる位置取りは基本だ。


 同時刻のレデイアは、クルツの病室を探していた。こちらの手がかりは何もなく、病室にいるかどうかさえ定かでない。スリーパーからの報告では入院扱いにしていた。ここまでの手口から、相手は決して不利な証拠を残さない。雑に殺して処分はまずないし、整合性が失われるリスクも取らない。レデイアは対立してきた組織への信用がある。道は違えど、組織なりの規範を持っている。


 三階の南側にも病室がある。加えて、北側の窓から注意を逸らしたい。レデイアは反転し、手洗いを出た看護師に堂々と尋ねた。


「失礼します。私はクルツ様に仕えるよう仰せ使ったのですが、病室がわからなくなってしまい、案内を求めています。今日、緊急入院した小学四年生です」

「クルツさん。案内します。三〇一号室ですね」


 階下から上る足音が聞こえる。病棟の北端から南端まで一直線の廊下で鉢合わせを避ける方法は隠れるしかない。先導する看護師と比べてレデイアは長身かつスカートの輪郭がある。位置取りでは物陰にならず、僅かにでも色が見えれば確認され、潜入はここまでとなる。


 やり過ごすには全身の一切が視界に入らないことだ。同時に、不自然な動きになってもいけない。別の誰かが注目したら、やがて時間稼ぎにもならなくなる。ナースステーションに情報を伝えるまで移動時間を含めておよそ二十秒だ。その間にクルツの状況を確認し、脱出する。


 レデイアはポケットのハンカチを落とした。ひらりと空中を舞いベンチの前に落とす。階段の目の前には、太い柱を中心として自販機や休憩用のベンチが並んでいる。赤色の目立つハンカチはベンチ利用者の注目を集めた。消えやすくした声で「失礼」呟きハンカチを拾う。その勢いで柱の奥まで進み、休憩スペースを回り込んで元の歩き先に合流した。階下から来た職員との間を柱で阻む。


 すれ違いは成功した。後ろの様子を耳で伺うと、ナースステーションの前から情報を共有する声が聞こえる。この様子なら十五秒だ。カウンター内から足音が聞こえる。話しながらの目線は中だけに向いている。気づかれないまま、目的の三〇一号室に入った。同時に放送が短い業務連絡を伝える。ここまで案内した看護師が、詳細を確認すると言って席を外した。


 病室の扉は引き戸だ。まずはキャビネットを引っかかる位置に置き、開けるまでの時間稼ぎになる。クルツはすっかり昨日と同じ、元気な顔でベッドから話しかけた。点滴も他の器具もなく、ただ着替えて座っているだけだ。


「レデイアさん? 急にどうしたんです」

「よく聞いて。まず緊急入院の理由をどう聞いた?」

「よくわからないけど、急に悪化する恐れがあるって先生が。なので安静にしています」

「蛇でその対応は、おかしいね。脱出するよ。念のためこっちでも医者を用意してるから安心して」

「どういうこと?」

「後でね」


 六時二九分、クルツを確認。これより二名で三〇一号室から脱出する。レデイアは腕時計の音声入力で状況を伝える。病室の窓を開けて、真下を確認した。職員用の駐輪場になっていて、屋根は明らかに薄い。着地するには骨がある部分を探し出すか、屋根の高さから地面まで飛び降りる。リグの車が来たら話は早いが、見えない限りは期待できない。


 グロースに渡したのと同じロープを取り出した。クリップで窓枠を掴み、クルツを背中にしがみつかせる。入り口の扉から音が聞こえる。もうここまで来た。


「降りるわよ。掴まってね。手足に力を入れて。もっと強く。私が苦しいぐらいがちょうどいい。よろしい。揺れるよ」


 レデイアは窓枠を乗り越えて、ロープを滑り降りた。滑した麻縄が手の皮膚を削る。今日は手袋をつけておらず、削れた皮膚の独特の匂いが鼻先をくすぐった。上から乱暴に扉を開けた音が届く。その頃には既に二階の床ほどの高さにいた。窓に駆け寄る頃にはきっと、物陰にいる。


 足元の様子を確認する方法は、一階の窓を使う。南側なので強い光があり、窓の奥ではカーテンを閉めている。僅かな反射だが、駐輪場の支柱を探すには十分だ。ずれに合わせるため、脚を振る勢いで振り子になる。足先が触れる直前にロープの引き方を変えてクリップを外した。


 まずは着地の衝撃を受け止める。左脚、左膝、右足、そして右手の順で柱の一直線上につく。バランスを崩す前に、右足に力を込めて屋根の前へ踏み出す。頭上から迫るクリップを左手で掴む。


 駐輪場の屋根は一般的な二階よりも低い。受け身さえ取れれば垂直に飛び降りられる。レデイアは特殊な訓練を積んでいるので普段ならばもっと高くても脚だけで受けられるが、今日の荷物は子供一人だ。訓練で使った荷物よりも軽いとはいえ、打たれ強さが期待できない。衝撃を受け止めるために手も使う。


「屋根が割れてないですか!?』

「大丈夫、修理すれば済む。予算もあるから安心して」


 レデイアは屋根から着地した。スカートの膝部分がプロテクターとアスファルトで挟まれる。肘も同様だ。繊維は強くとも、使用感がまたひとつ増えた。


 屋根の下に入り、上からの目には映らない。接近するリグの車を認めると手振りでギリギリに停まるよう促した。その甲斐あり上からは最後までレデイアもクルツも見えないまま、それぞれ助手席と後部座席に乗せて車で走り去った。


「クルツ! よかった、無事だったな」

「何かあったの? 父さんがそんなに言うなんて」

「危ないところだったんだぞ。もしこのお二人がいなかったら」


 親子の再会を見守りながら、レデイアとリグはバックミラー越しに目配せした。病院を離れた、大通りの交差点で親子の家とは逆方向に曲がった。

「話は後っす。まだ終わりじゃない。後ろにいるスクーター、あれ怪しいっす。多分向こうの連絡役っすね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る