order-04: 序列

 夕方の総合病院は受付を止める。周知の事実なので、この時間帯に訪れるものはまずいない。精々が見舞いや迎え程度だ。


 大型ショッピングモールの立体駐車場から、レデイアは出る人影と数えている。広さと密度から仮定した人数が、現時点でどれだけ残っているか。人が少なくなれば多少は強引な手も選びやすい。車が出たら、外見とナンバーを控える。こっそり運び出すなら必ず車だ。


 リグは運転席で、付近の哨戒と、タブレットで各方面への連絡をしている。グロースはもちろん電話に出ず、職場でも動向を把握していない。位置情報だけは確認できた。急に抜けたので装備を外し忘れたためだ。件の総合病院である裏付けは取れた。


「北西側だそうっす。病室じゃないっすね。間取りは後で確認してください」

「あとで窓も確認するわ。移動時間の想定に加えて」

「了解っす。おっと、スリーパーからの連絡も来ました。アリアンは自宅で無事、グロースとクルツはどちらも面会不可だそうっす」

「確定ね。装備だけ置かれている場合以外なら、だけど」

「それだったら手詰まりっす。成功への道に限れば確定っすよ」

「意外と諦めがいいのね。てっきり手を探すと思ったけれど」

「届かない範囲に伸ばす手なんて、うちにはないっす。ルルさんはどうなんすか。そんな場合に対処する手なんて」


 レデイアは黙って双眼鏡を動かした。正面出入り口と車道ともうひとつ、西側の非常階段だ。焦茶色で風通しのいい空間は白衣を隠すには不向きになっている。サボりや喫煙を目立たせる設計だ。今も顔こそ見えないが、三階を出て四階へ登る一人が見えた。


「方法は、無いなら作る。作れないなら作る方法を作る。こだわりも制約もなく、ただ目的を達成するために。私はそうやって生きてきた」

「うちには無理っす。いくつかはできても、いずれどこかで譲れないものとぶちあたって、そこが限界っす。うちは怖いんすよ。いつかルルさんが、自分の身すら投げ出しそうで。今日なんか怖くてたまらないっす」

「もっと追い詰められた日もあったじゃない」

「今日のルルさんは責任を感じてるっす。ちょっとだけ間が悪い出来事を重ねたからって、原因がルルさんにはない、偶然の範囲まで自分だけで抱え込んでるっす」


 レデイアは深い呼吸の後に「そうね」と短く肯定した。後知恵ながら、闇バイトの情報だけで、蛇を知る証拠を消すと気づくには十分だった。アリアンからの話で、失敗の情報を得た闇雇用主の動きに考えを巡らせるきっかけがあった。考えればすぐに思い至る可能性に、考えなかったから思い至らなかった。


「ルルさん。『蛇はまだ捕まってない』『蛇は四人以上を殺す可能性がある』いいですね」

「ええ。いいお説教でした。ありがとう」


 大きなため息をついたのはリグのほうだ。

「それを、嫌味じゃなく言うんだから、もう。好きっす」


 口をあちこちへ動かしながらも、目の役目を全うしていた。出発の時だ。リグはエンジンをかける。何も買い物をしていないので駐車料金をそのまま払う。


 日没の直前に到着し、潜入を始める。


 難所は二階にある。


 外来の診察室が一階と二階にあり、その行き来のエスカレーターから離れた階段で三階にあがる。入院病棟はその先だ。階段の直前には受付があるので、目を誤魔化すか、強行突破するか。どちらにしても数で圧倒されるのは時間の問題だ。


 見取り図には部屋の場所が書かれているが、どんな部屋かは確認できない。中で机や棚をどう置いているか次第でも最適な動きが変わる。レデイアは頻出するパターンを想定した。あとは見て瞬時に選ぶだけだ。


 受付が見えた。近くには別の部署の看護師がいる。行動を見られたら制限時間が縮む。悪い条件ばかりではない。受付の扉はガラスの自動ドアで、うっかりで開く場合がある。中の様子が見える。階段までは直進で踊り場が近い。受付カウンターは横向きで、壁に穴を開けたタイプだ。左右は壁に阻まれて見えない。


 レデイアが使う手を決めた。古典的な注意逸らしだ。普段使いの名刺は紙製だが、同じデザインで樹脂製の名刺も用意している。十分な硬さがあり、投げれば音が出る。嵩張るので三枚だけだが、今回はそれでも余る見込みだ。


 まず別部署の看護師だ。正面を通りながら、頭の動きでトイレを探していると伝える。見つけて、適切な時間の後にハンカチで手を包みながら再び正面を通る。ここだ。


 ハンカチの下から二本指の小さな動き。名刺は静かに回転して飛ぶ。狙い通り、足元の後ろを通って反対側の椅子に当たり、軌道を変えて真下に落ちた。看護師は音の方に顔を向ける。発生源らしき白く薄いものを拾いあげた。文字に気づいたら条件反射で読む。家政婦の派遣なら、こちらの電話番号へ。読み終えるまではすぐだが拾い上げる時間もある。これで合計二秒程度を稼げた。


 レデイアは受付がある自動ドアへ進む。腰をかがめてカウンター近くの足元を歩く。ここでの名刺の投げ方は、放物線を描き、なおかつドア側から投げたように見せた。カウンターの中では座り作業をしていた。今日の記録を画面に入力している途中でも、周辺視野で投げてすぐの名刺に気づいた。顔を上げてもドア側にはすでに誰もおらず、投げられたものが名刺と気づいたら文字を条件反射で読む。これで合計一秒程度を稼げた。


 見られていない隙に階段を二段飛ばしで登る。足音がなくなるよう重心を整えて、素早く、かつ確実に登った。踊り場で折り返したら受付からは見えず、上にいる者は警戒心が薄い。堂々と振る舞っていれば、受付の確認を当然に通った者と思われる。異変が三階まで伝わるには二分、三階の全員に共有されるまでを含めたら三分と想定した。


 すれ違う看護師に会釈をする。レデイアが軽く頭を下げただけで相手も同じ動きをする。北西の部屋は突き当たりを曲がった先だ。


 北西の部屋は二つある。手前がリネン室、奥が処置室だ。あまり時間をかけられない都合で、レデイアはまず処置室に入った。誰かを監禁するならその部屋を使う機会が少ないほどよい。リネン室のタオルや枕カバーは不意に交換が必要になる機会がある。一方で処置室は、おおよそ計画通りにのみ使う。狙い目はこちらだ。


 念のため、足音を消して音を探った。一般の看護師たちならば音に無頓着なはずだ。病室と離れた配置なので特に。リネン室の前ではわかりやすく何かを動かす音がある。


 処置室に入った。こういう部屋はすぐに使えるよう鍵をかけていない。寝かせて使う診察台と、スツールが三つと、戸棚には最低限の医療器具が準備されている。多くの空間は道具を別の場所から運び込みやすいよう空き空間だが、その空き空間が不自然に占有されている。見るからに怪しい大きな箱があった。


『仮置 積上厳禁』と貼り紙に書かれている。


 工具箱風の暗い茶色を基調としている。怪しい点は、小規模な箱が並んだ印象にするカモフラージュだ。蓋が左右で分かれて、横には角を丸めた窪みがある。しかし窪みの奥を凝視すると、確かに暗がりで繋がっている。ご丁寧に深みが黒で塗装されて、隠していることを隠さない。


 今日は決め打ちの日だ。レデイアは八箇所のロックを外す。小気味のいい音が連なり、紛れて箱の中からもぞもぞと動く音と感触があった。予想通り、蓋を退した下にはグロースがいた。意識はある。体を起こして目隠しを外した。グロースは見えたの顔がレデイアと気づいた様子を見せる。人差し指を口の前で立てて、次は猿轡だ。


「レデイアさん、これは一体?」

「情報があったから、助けにきたのよ。手足の拘束を切るから動かないで」


 レデイアはスカートの下の、大腿の内側に隠し持ったナイフを抜く。グロースの足を束ねたロープの下に潜り込ませて、捻って刃を外側に押し付ける。ロープは小指よりも細いが、拘束具として使用された状態では、二重三重に巻いた分だけ力が分散する。ひとつ切れればあとは引き抜くだけだが、見た目以上に時間がかかる。これでどうにか座り姿勢を自力で維持できるようになった。続いて腕を束ねるロープも同様に切断した。


 グロースは久しぶりの自由を取り戻した。しかし、まだ安心はできない。病院関係者のどこまでが共犯かわからない今、安易に頼っては身を滅ぼす。


 次の仕事は脱出だ。

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