order-03: 命令

 今日は幸いにも曇天で、熱中症の懸念はまずない。クルツが登校する段階では普段通りの健康そのものだったと聞いている。ならば、路上で倒れる理由は限られる。何者かの干渉だ。


 リグの車は、後部座席の右側の扉が省スペースのスライド型になっている。どの位置関係で停めても同じだが、癖をつけておく意味も兼ねて、後ろへ出たら最短になる位置に停める。扉が邪魔になる事態があってはならないからだ。レデイアも座った状態からの歩き始めはこの角度に慣れている。


 クルツは膝を抱えた姿勢で、塀にもたれかかって倒れていた。呼びかけて返事がないのは救急車が必要な根拠だ。リグにハンドサインを送り、その間にレデイアが情報を探す。明らかな異常はズボンと靴下に。血が滲んでいる。レデイアは使い捨て手袋をつけて傷口を確認した。


 ふくらはぎに二個の穴が並ぶ。毒蛇の噛み跡として典型的な形だ。野生が市街地にいるはずはないが、爬虫類の愛好家は無視できない程度には多い。リグを経由して救急隊に情報を送った。併せて、近くの茂みから離れるようにも伝えておく。


 蛇の毒は大別して神経毒と出血毒があり、複合して持つ。蛇ごとに比率が違うが、使い方はおおよそ同じだ。牙の孔から注入し、獲物を丸呑みにする。獲物は体内で成すすべなく消化を待つ。


 まずは応急処置だ。タンパク質なので熱に弱いが、今日は生憎の曇天なのでマンホールの温度が足りない。太腿を圧迫して毒の巡りを遅らせて、傷口から搾れる分を搾り出す。完全な対処には血清が必要だが、生きている限り間に合う。手遅れがない分、精神的には楽だ。


 その間にも運転席では、リグが各方面への連絡を担っている。救急に場所と容態を知らせつつ、手では同時に、クルツの父親グロースへの電子メールを送る。勤務中なので個人宛と同時に交通課にも控えを送った。次の被害者が出にくいよう、毒蛇の危険ありと近隣の学校に知らせる。


 やがて救急車が到着した。受け入れ先はすぐに決まり、クルツと付き添いのレデイアを乗せて総合病院へ向かった。リグも連絡の後で追う。


 総合病院に到着したレデイアは、担当するハート医師にも情報を伝えて、以後の処置を任せる。血清の投与と呼吸や腎機能の管理をだ。画面の数字を見て、ハート医師は今のうちにレデイアに今後の話をした。


 噛まれてからの時間や、蛇の種類がわからず、傷口から別の菌が入り込む場合もある。とりあえず二日の入院と、検査の結果次第で前後する。確保した病室は一人部屋だが、病院側の都合なので入院費は通常通りだ。ここまでを話したら、ハート医師は別の仕事に向かう。


 ハート医師は三〇代の女性で、若くして外科と内科の両方の実績を併せ持つ。優秀な人物から指示を受ける看護師たちも、総じて顔つきが真剣そのものだ。慕われている様子が窺える。


 グロースが到着し、レデイアに声をかけた。ハート医師からの情報と部屋番号を伝えたら、すぐに病室へ向かった。親子に関するレデイアの仕事はここまでだ。今日はこの後、情報探しをする。


 峠を越えて、あとは待つのみとなった。グロースの顔色が落ち着いたと確認し、レデイアは駐車場に向かう。一緒に乗るならと提案したが、グロースは首を振る。顔を掻き、ばつが悪そうに話す。


「まだ時間はかかるみたいですから、計画も立てずに待たせすぎます。今日は多分、これ以上は僕が動けない。どうか休養の足しにしてください」


 そういうことなら、とレデイアは頭を下げた。この病院は駐車場が徒歩の出口とは別の方向にある。レデイアは奥へ向かう。その途中で見覚えのある顔に気づいた。


「アリアンさん」


 クルツの親友が待機椅子に座っている。小四の男の子が婦人科の前にいて、受付番号の感熱紙を持たない。おおかた妹の付き添いと想定した。近くの患者が持つ受付番号と呼び出し画面の番号を比べると、相当な人数が待っていると推測できる。クルツよりもずっと先に来ていた様子だ。


「クルツに何か?」

「蛇に咬まれまして、どうにか間に合った次第です」


 アリアンは静かに驚きをの顔を見せて、座るよう促した。盗み聞きを減らしたい情報と理解している顔だ。レデイアは座り、ちょうどいい高さになるよう背中を丸めた。看護師が次の患者を呼ぶ声が途切れたところで、耳元に秘密の情報を囁く。


「実は今日、クラスの一人がそんな話を喋ってたんです。兄貴の動物をこっそり持ち出したとかって。名前はメッコといいます」


 繋がらないでほしい部分が繋がった。リグの調査とも一致している。よほどの情報が増えない限りは、メッコの兄が闇バイトを請けて、道具の蛇をメッコが持ち出したものと想定して動く。こうなるとメッコの身も危ない。闇バイトを出す連中のことだから、必ず落とし前をつけさせようとする。


 アリアンに礼を言い、これ以上は深入りしない方がいいと忠告する。ならば誰が動くか、伏せていたら説得力は出ない。レデイアは胸に手を当てて、自らの仕事だと短く示す。何者かをほとんど伝えていないが、この年頃の子供たちはほぼ確実に、何かのふりをしてひっそり活躍するヒーローを信奉している。それらしい雰囲気で微笑みかけたら、勝手に想像して任せてくれる。


 レデイアが立ち上がったのと同時に、アリアンの妹と母親が処置を済ませた様子で合流した。軽い会釈のみに留めて駐車場へ向かった。リグなら今頃、誰かが調査した闇バイトの雇い主についてきっと受け取っている。車が並ぶ駐車場にひとつだけの高級車はよく目立つ。窓を叩く前に中でタブレットの光が揺れ、扉を開けた。レデイアの席はいつも通り後部の左だ。


「お疲れさんっす。グロースさんは?」

「面会時間いっぱいまで着いてるそうよ。それより闇バイトについて。メッコが当たりよ。兄貴の蛇を持ち出したって情報があった」

「わお。流石ルルさんっすね。よし、共有しました。」

「もう何人か回してくれないかしら。メッコとその周りにも危害が及びそうだけど、そっちの面倒までは見きれないわ」

「仰せの通り、いや、もう向かってるそうっす。で、うちらはどうします」

「オヤツでも食べる? 今日は休養の足しにって指示があるわ」


 気楽な会話をすると悪いことが起こる。レデイアにはそういうジンクスがある。今日も例外にはならず、タブレットが連絡を知らせた。通知音ありのモードに切り替えて、レデイアに渡す。


「ルルさんが笑うとすぐこれっす。出ますよ。間に合わなかったみたいっす」


 エンジンを回し、病院の敷地を出る。法定速度ぎりぎりで景色を後ろへ飛ばしていく。この車は加速と減速が早く、一時停止を最短時間で越えられる。行き先は東大通ひがしおおどおりだ。


 メッコは今、反社会組織の車に押し込められている。孤立して歩く背後から車で接近し、扉が開いている違和感より先に口周りを押さえられた。声を封じられ、何が起こったかもわからなず腕ごと胴体を持ち上げられた。拘束具は車内に押し込めてからだ。落とし物を確認し、車内に戻る。車が一時停止していた時間は五秒にも満たない。後続の車が直前で停まり、車の下になっていた落とし物を確認する。一切の痕跡は残らない。スリーパーの目を除いて。


 先回りがレデイアの役目だ。浸透している各人員からの連絡がタブレットの画面に並んでいく。画面は三列に並んでいたて、左に自分の入力欄と発言履歴とピン留めがあり、中央に他の主要チームからの情報が並び、右に発言のみのスリーパーによる情報が追加されていく。レデイアは目を通しては必要な情報をリグに伝えて、読んだ情報を既読状態にする。


「情報。標的のナンバーは白でD・4・3・C。どうぞ」

「了解。D・4・3・Cはここまで見てないす。どうぞ」

「情報。標的の窓は透明。どうぞ」

「了解。窓は透明。どうぞ」


 車内では右と正面をリグが、左と背面をレデイアが注視する。伝える以外の、人数や体格の情報は黙って頭に入れていく。人員はスリーパーを除いて合計九名が動いている。相手は六人なので合流されない限りは圧倒的な優勢だ。


 待ち伏せ場所が見えてきた。他の味方車も到着すると連絡を受けて、目標に対し優位を確立している。察知されてルートを変えられても追いつける。読み上げて、レデイアもリグも楽に済みそうだと確信した。そこに不意打ちで情報が入った。


「命令。とんぼ返りせよ。どうぞ」

「!? 了解、とんぼ返りっす。どうぞ」


 スリーパーからの情報だ。学生や会社員に紛れている都合で、入力端末や環境が不安定になり、情報が細切れになる。それでも人員の位置関係や行動は断続的ながら把握しているはずで、一定の信用ができる情報だ。特に、入力側が「命令」とつけた今回は確度の高い情報に基づいている。


「ルルさん。スリーパーっすよね。原文は?」

「『命令レデもち』ね。続報は、来た。『緊急入院グロース戻らない』そうよ。いよいよきな臭くなってきたわね」

「なんすか、それ。いま疲れてるっす」

「グロースが近くで見た、だから消しておきたい、かしらね。病院の誰かに息がかかってるなら不可能じゃない。診たハート医師以外にも、血清の使用記録、カルテの患者情報、盗み見る機会はいくらでもある」

「それ、ハート医師がそのままいたらほぼ黒確定っすよね」

「いたらね。お疲れの所だけど、宿題を出してもいいかしら」

「やりますよ。愛しのルル様のためっす」


 レデイアはルームミラー越しに微笑を見せる。待ち構える存在を前に、緊張をほぐし、準備を整えた。

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