order-02: 使命

 家主の一人息子・クルツが「ただいま」と声を投げかける。レデイアは一階の台所で、分別を済ませたゴミ袋を並べて、いつ捨てるかを書いたメモを貼る。二週間以上も放置する理由は手が回らないだけではないと想定し、こうして文字で意識させる。立ち上がって挨拶の準備をしている。二階への階段は台所よりも玄関に近く、普段から二階に直行している様子で、階段を登る音が聞こえた。


 声の聞こえ方から、階段の踊り場あたりで話を始めた様子だ。父親のグロースが「家政婦さんへの挨拶を」と促し、足音が今度は降りてくる。台所の扉は引き戸で、開閉が慎重でもゴロゴロと一定の主張をする。レデイアに届く足音から距離を探る。確実に聞こえる程度に近く、驚かない程度に遠い場所に来たところで、引き戸をゆっくり開けた。


「初めまして、お世話になります。レデイア・ルルと申します。手が足りない分を補うため、一日に二時間を一週間ほどの契約で来ました。よろしくね」


 レデイアは流麗な抑揚を最後でさらに軟化させる。堅苦しくも馴れ馴れしくもない印象に、クルツは急に現れた女性に対し、心拍数を上げた。レデイアは職業柄、表情筋を使う機会が多く、健康的な肉付きをしている。意識しにくい所では、体調が健康そのものと匂いで示している。総じて魅力的であり、意識できる表層を言葉にするなら「顔立ちが整っている」と言える。その顔で見つめられたクルツは、緊張や照れへの反応として左耳の裏を掻いた。


「初めまして。クルツです。ええと、小四です。よろしくおねがいします」


 挨拶を済ませて、レデイアは本来の目的を始める。クルツは部活の関係で早めに下校した。他の生徒たちは十数分遅れで下校を始める。クルツにちょっかいをかける者についての情報が来ていないので、ここで把握しておきたい。


「今日の作業はここまでにしまして、あとは明日以降のために、この近くを案内してもらってもいいでしょうか。特にクルツくんの視点で教わりたいです」

「僕?」

「お父さんはまだお仕事が残ってるみたいですからね。それに、クルツくんのお友達ともし会ったら、挨拶をしておきたいですし」


 クルツは少しだけ間を置くだけで、すぐに快諾した。荷物を部屋に置き、一応の手提げバッグだけを持って玄関に戻る。この間に、レデイアからグロースに連絡を伝えておいた。干しておいた洗濯物を取り込む時間と、ゴミ出しの時期についてだ。


 邸宅を出てからは、クルツの先導で通学路を中心に歩いた。十字路で左に進むとコンビニがあり、右にはゴミ集積所を示す青いネットがある。真っ直ぐ進んで公園を抜けるのが普段の通学路だ。この方向に住む児童は少ないらしく、すれ違う機会はなかった。大通りに合流した所でようやく別方向へ向かうランドセル姿が見えた。


「この先は学校までまっすぐ。見るものはなさそうだけど、気になる何かはありますか?」

「よくわかったよ。ありがとう」

「あ、待って。友達が来る」


 クルツが指す方へ顔を向ける。クルツよりも少し背が高い少年だ。クルツの落ち着いた服とは対照的に、黒地に黄のラインが目立っている。


「よっすクルツ。こちらは?」

「父さんが短期で雇った家政婦さん。今は近くを案内してるとこ」

「初めまして。レデイア・ルルと申します。よろしくね」


 友人のアリアンは、短い挨拶に対し、クルツと似たような反応を返す。このあとすぐに習い事を控えているそうで、信号待ちの間に挨拶を短く交わすのみで、すぐに家へ向かった。


「アリアンとは一番仲がいいんだ。親友だよ」

「覚えておきます。方向までですが」


 大通りは一本道だが曲がっているので、アリアンの後ろ姿はすぐに見えなくなった。クルツの家から大通りに合流した後は、左手前がアリアンの家、右奥が学校。正面をしばらく進むと商業施設があり、他はクルツには用事がない建物だ。レデイアは地図情報にクルツの表現を加えていった。


 アリアンとの挨拶から、交差点の車道側に立つのはレデイアだった。この位置取りでは、クルツが避けたい相手が交差点側から来ても、気づけないままになる。帰り道を進みかけたその時、交差点を渡り切ったグループが声をかけた。


「やーっぱりクルツじゃん。このお姉ちゃんは、ついに再婚相手だな! おめでとう!」


 汗臭い三人組の、リーダー格らしき長身が薄ら笑いと共に見識の狭い言葉を投げかけた。気温だけではなくスポーツもあっての発汗だ。クルツは匂いで不快感を主張するが、この様子を見る限り、数でも体格でも劣る状況を長期的に続けている。本人による反撃は期待できない。ならばレデイアの行動は決まった。


 右腕をクルツの前に割り込ませた。まずは大袈裟な動きで距離を確保する。クルツの安全を確保し、心理的負担を和らげた。


「つかぬことを伺います。皆様の帰り道はクルツ様と同じ方向でしょうか」


 レデイアは仰々しい言葉と馴染みある言葉を織り交ぜて話す。思考先を話し方に集中させて、残る内容を直に届ける。予想外の反応への対処と合わせて、訓練がないものは混乱し、重要な情報をうっかりこぼしてしまう。口頭の、間を空けたら不自然に感じる状況なら尚更だ。


「すぐ先の左に曲がる所まで同じ。でお姉さん、その呼び方は再婚じゃない? 何者?」

「家政婦です。クルツ様の父親グロース様から、手の回らない範囲を片付けるよう指示を受けています。今は付近を案内してもらう最中であり、ご用件は手短にお願いします」

「メイドさんか。世話かけたね」


 へらへらと答えて、ゼスチャで二人を促す。揃って何かを把握した顔で立ち去った。この様子では明日以降も悶着がありそうだ。予感はクルツも同じで、憂いを顔に出している。


「クルツくん、彼らについて、聞いてもいいでしょうか」

「喋ってたのがメッコで、左がテッタで右がハイッカ。全員サッカー部。あとは、よくあんな感じで面倒な絡み方をしてくる」


 レデイアはしゃがんで目線を合わせる。背後を通る改造バイクの音が遠ざかるってから、クルツの肩に右手を置く。袖から微かに硝煙の匂いが漂った。


「私のせいで問題が増えては示しがつきません。責任もって対処します。任せていただいてもよろしいでしょうか」

 クルツは別の憂いを表情に出す。

「安心して。私がするのはお説教まで、ね」


 レデイアは立ち上がり、念のためクルツを家まで届ける。まずは三人の家を確認した。方向と名前がわかっていて、匂いが特徴的なのですぐにわかる。この日の調査はここまでにして、時間通りに迎えの車に乗った。


「おつかれさんっす。どうでした」

「おおむねリグの調査通りね。集団での暴力については、相手側のコミュニケーション手段の問題と想定して、明日にでも動くのが今の見通し。リグのおかげよ、ありがとう」

「光栄っす。ただちょうど今、新しい情報が来て、また結構やばくなりそうっすよ」


 リグは助手席の荷物を指した。曲がり道を抜けてから、レデイアは丸ごと持ち上げてタブレット端末を出し、残りを上座に置く。指紋認証をして真っ先に開いたのが目当ての書類だ。


「闇バイトに関与? 小学生が?」

「兄貴のほうっす。アパートの二階に住んでる子を確認してないっすか」

「リーダー格のメッコがそうね。二番目の画像」

「詳しい内容はまだっすけど、兄貴との関わり次第じゃあ、そのメッコも変な道具を持ってるかもしれないっす」

「気をつけるわ。あと、この辺りに夕食はあるかしら」

「しばらくはハンバーガーとしゃぶしゃぶしかないっすよ。急ぎますか」

「気分じゃないわね」


 情報共有を済ませて、雑談をしながら駐在所に戻った。レデイアにとってよい知らせは、数日は運転をリグに任せられることだ。同じ駐在所を拠点とする他の誰よりも信頼している。リグにとっても一番の先輩から信用を伝えられて、自らの価値を測っている。


 棚に並んだグラノーラを山盛りに食べて、風呂を済ませて、柔らかいベッドで眠る。フジミノ地区駐在所ではほとんどレデイア専用のワーカホリックな夜メニューだ。明日は八時に起きて、十四時に出発する。その空き時間に装備の手入れと選定をする。リグが用意した情報を加味して、身軽に動けて、情報を得られる物を中心に。


 妥協のない準備がレデイアの成果に繋がっている。目的に合わせて、柔軟に。拘りは敗因になる。


 向かう道で、車内からリグにも現地について共有する。通学路が際立つ、時刻は下校どきだ。今日は曇天なので、日陰めぐりより近さで道を選ぶ期待がある。大通りの十字路で各グループが解散し、アリアンの家がある方角へ向かう数はそこそこ多い。一方で、クルツやメッコの家側へ向かう者はごく少ない。道はこの先でさらに分かれる上、周囲は高年代を中心とする家庭だらけで、この道ではほとんど一人きりになる。


 ひと通り確認を済ませてクルツの家へ向かう。その途中に、倒れている子供がいた。一人きりで、ランドセルを背負っている。


 駆け寄って確認した。クルツだ。

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