オーダー・メイド

エコエコ河江(かわえ)

夏、忍びよる気配

order-01: 整頓

 炎天下の正午に空を見る者はいない。ビル街の反射は小さな太陽を量産し、地上への熱を増幅している。対策として人々は日傘で頭上を覆う。元より頭上に見るべきものはない。誰も気に留めやしない。


 だからこそビルの上は戦場になる。特に繁華街の、高低差が少ない屋上群は鬼ごっこにぴったりだ。柵を乗り越えて飛び移る。隣のビルが遠いならば階段の踊り場に飛びつく。大きな音を立てているが、二人の鬼ごっこには誰も気づいていない。眼下の雑踏を歩く者たちは、遠くて薄暗い場所など無視して、誰もが目の前の看板や友人の声に集中している。


 逃げているのはシンという老年の男だ。秘書として経営者をはじめとする重役に取り入り、裏では横領や横流しをしていた。二十年間に七人が被害に遭い、うち一人は死亡している。


 表に出にくい犯罪を捜査する組織がある。国ごとに違う名前を持ち、一般には公安警察、秘密警察、あるいは諜報工作員などと呼べばすぐにわかる。それらに加えて一端を受け持つのがメイドだ。大物は時間を得るために金を使う。いかにも軽作業の労働力らしい顔で招かれ、潜入先で情報を得たり、捕縛を受け持つ。公的機関にも大抵は話が通っているので、仕事の後はすんなりと引き渡せる。


 まさに今、レデイア・ルルが追っている。濃紺のサーキュラースカートを靡かせて、切長の目で周囲を見渡しながら、ビルからビルへと飛び移っていく。後ろで束ねた赤毛の生え際には、激しく動いていながら汗ひとつ浮かべない。まだ若く強い肉体はただ追うだけでいい。炎天下で先に消耗するのは老体だ。


 逃げるシンは、ある程度の距離が離れたとわかったら、隠れられる休憩所を求める。錆びついた鍵をどうにか回して安心したが、レデイアが扉を叩く音で心は休まらない。それでも生身では開けられないと言い聞かせるが、レデイアはスカートの下から拳銃を取り出し、鍵は速やかに破壊された。


「クソ女狐が。ただ死ぬぐらいなら、道連れにしてやるぞ」

「殺さないわよ。それと、あなたに勝ち目はない」


 老体はナイフを構えているが、殺す覚悟が持てない様子で、迎撃に近い姿勢でいる。レデイアはいつ動かれても対応するため歩いて近づく。右手と右足を同時に出す歩法だ。日常生活では珍しい動きに老体は混乱し、やぶれかぶれでタックルを仕掛けた。


 成果はエプロンに穴を開けただけだ。その下に着るメイド服は特殊な防刃繊維を使っていて、中途半端な衝撃をして受け止めた。ならば別の場所へと動かそうにも、ナイフにはエプロンが纏わりついている。レデイアはこうなると知っていた。隙を見せた老体の腕を捻りあげて、エプロンを留めていたリボンで縛り上げた。


 階段を降りながら腕時計の音声入力で現在地を知らせる。下に着く頃にはパトカーが待機していて、老体を引き渡した。労いを伝え合ったら敬礼で見送る。次は後始末だ。


 予定表にあった関係各所への連絡をする。一ヶ月の潜入生活で顔見知りになった料亭にキャンセルの電話を入れる。同様に出席予定だった結婚式や、飛行機の予約にも連絡していく。


 レデイア自身の関係者にも連絡がある。破壊した扉の修理代を含む、今日の経費を入力していく。レデイアは長らく「替えが効くものをいくらでも使って確実に遂行する」を続けていたので、今では専用の予算が計上されている。全ての入力を済ませた頃に、帰りの車が待つ場所の知らせを読んだ。


 レデイアが脇道から大通りに合流すると同時に、目の前に車が停まった。人気の軽自動車で、協会でも使っている。助手席の窓が開き、奥から乗り出すようにして知った顔が見えた。同じく家政婦として派遣されている後輩、リグ・リティスだ。


「どーも、お疲れ様っす」


 肩に触れる黒髪を揺らし、小さく手を振る。愛嬌が好評で、執念深く徹底した仕事ぶりはレデイアに信頼される数少ない一人だ。大きな丸い瞳とそばかすの幼げな顔立ちだが、その裏にはレデイアと同等以上の仄暗い過去を背負っている。レデイアとの仲がいい割にファミリーネームのルルで呼ぶ理由は誰にも話していない。


「リグ、ここには何故?」

「ルルさんを拾いに来たっすよ。急ぎの話っす」

「シャワーぐらいは浴びたいわね。硝煙の匂いが残ってるもの」

「わかるっす。だからいいんすよ」


 リグは説明を始めた。次の依頼主は壮年の警官で、名をグロースという。一人息子が集団での暴力を受けている疑惑があるが、男手ひとつでは手が回りきらず、証拠の確保に難儀している。子供同士ならば匂いを仄めかす程度でも解決が見込めると考え、ちょうどこの日に仕事を終える予定だったレデイアに白羽の矢が立った。


「随分と簡単そうね。裏がなければいいけど」

「そこは安心していいっす。一人親で、しかも警官っすから」

「リグの調査は疑ってないわよ。大事なのは調べられない所、たとえば、半端に交流がある、ご近所さんや学校の教員とかね」

「相変わらず疑り深いっすねえ。これ資料っす。目を通しといてください。あとその女言葉、だいぶ板についてるっす。好きっすよ」


 リグは直近の二ヶ月を休養に充てていた。骨折の治療とリハビリに専念し、今日もまだ本調子ではない。基礎体力作りからやり直しだ。


 この期間はレデイアにとっても、優秀でお気に入りの助手を失った状態だった。久しぶりにリグを見て、言葉こそ普段通りでも表情は僅かに緩んでいる。この顔を知っているのはリグだけで、理由を知っているのはレデイアだけだ。


 目的の邸宅に近づくまで久しぶりの雑談を楽しんだ。


 住宅街に近づいた頃、ハンバーガー店の看板からドライブスルーを提案された。到着までの時間は三〇分ほどで、並ぶ車がもう減っている。リグに相談し、レデイアは遅めの昼食を買った。もし何も見つからなかったなら、携行食で最低限の栄養と満腹感を得るつもりだったが、レデイアは携行食を可能な限り避けている。味はまだ嫌いではないが、将来的に嫌うかもしれない。その時期を遅らせたい。非常時の食べ物が嫌いなものでは、ストレスが解決の妨げになる。


「食べながら聞いといてください。ここの左が小学校っす。通学路は奥の、車が通れない道。で、いま通ってるのが学区の外周っす」


 リグの説明を聞きながら、窓から見えるものを頭に叩き込んでいった。案内板、物陰、公衆電話、公衆トイレ、公園、ハニワ、ゴミ箱、物陰、民家、物陰、小規模の複合テナント。建物は二階建以下が中心で、三階以上は遠くに見える大規模な商業施設と、その周辺のマンションに限られている。駅の場所にあたりをつけて、地図と合わせて、住民の普段の暮らしを想像した。


 目的の邸宅に着いた。大通りから小道で深くまで進み、もう一度だけ曲がったらすぐの立地だ。側面には駐車場らしき庭があるものの、停めてあるのはバイク一台だけで、余る空間は手入れは甘くて日当たりも悪い。建物と合わせて深緑色の空気に包まれている。


 庭でない側は隣の建物との距離が近く、その気になれば窓から飛び移れそうだ。使う機会がないことを願って覚えておく。


 インターホン越しに短い挨拶をして、すぐに扉が開いた。家主との対面だ。玄関と門が近い地域の文化通り、門を開ける前に、改めて詳しい挨拶をする。


「初めまして。私はレデイア。レデイア・ルルです。よろしくお願いします」

「お世話になります。グロース・ワイチです。どうぞ、お上がりください」


 リグはここまでを見届けると「また二時間後に」と言い残して車を出した。レデイアは一人、恰幅の壮年男性に招かれた。


 居間で詳しい話を聞いていく。まずは息子のクルツが小学校の四年生で、この頃はトラブルに遭ってる様子があること。しかし本人からの相談がないので、本人の見栄と名誉も守りたいこと。これらを合わせて、あくまで家事手伝いとして雇ったレデイアが偶然にも解決した風を装いたいこと。


「わかりました。一週間ほどを見積もります」


 レデイアはさっそく作業を始めた。家事手伝いを振る舞うには実際に家事が必要になる。この家で明らかに必要なのは掃除だ。一見すると部屋の隅に収納スペースを置いているように見えるが、いくつかは荷物をまとめて覆っただけだ。手始めに居間の隅にある、サイドチェストの下に隠されていた洗濯物を取り出した。


「見つかってしまいましたか。お恥ずかしい」

「プロですから。ところで、この部分の汚れ方、わかります?」


 手にした洗濯物から早々に証拠を見つけた。子供服の背中側の一部を指す。緑と白の横ストライプで、くたびれかけたシワがある。


「汚れと言われましても、特筆するようなことは何も」

「匂いが違います。水辺の生き物の匂いがある。でも近場には池も川もない。おそらくは水槽でしょう。教室の隅に水槽を置き、ザリガニか何かを飼っている。しかし、背中側に匂いがつくのは偶然ではない。じゃれあいの線こそありますが、おそらくは想像通りのトラブルでしょうね」


 レデイアは得た情報から解決策を探していく。実行された場所が教室ならば、直接の手出しはまずできない。学校に潜入するか、相手が使う他の手が何か。どこを探すと情報が得られるか。


「数分でこれとは。僕も警察勤めでありながら、これまで何も気づかず。お恥ずかしい限りです」

「交通課でしたね。評価に繋がらない内容ですし、日常的には興味を持たない。どなたも気づかないものですよ」


 実際には、偶然のおかげで得た情報だが、さも当然の顔をして説明すれば、相手には卓越した技能として映る。そうなれば続く行動の説得力も増し、信用を得られる。誰かが信用しているなら、表情や言葉選びでごくごく細かな機微が周囲の人間へ波及する。


「誰もが注目する情報は誰もが隠す。誰も注目しない情報の隠し漏れが狙い目だ。受け売りですが、そのおかげで今があります」


 レデイアは口を切り上げて手を動かした。たまった洗濯物を確認しては洗濯機に入れていく。ひと区切りしたら、二階にあるグロースの部屋を叩き「次はゴミを分別してまとめる」と伝える。今日はクルツが帰る時間まで在宅仕事と聞いている。時間を取らせないよう言葉は短く、必要なものだけだ。


 インターホンの音と、直後に玄関の鍵が動く。クルツの帰宅だ。レデイアは作業を中断し、挨拶の準備をした。

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