高校生編〈6〉

音は届かない。届けられない。


景色は動かない。動けない。


鼻に突くこの海の匂い、香り、生臭さ、全てあの時と変わっていない。


(嘘だろ…勘弁してくれよ…)


春ちゃんの事故がフラッシュバックしている。

 気持ち悪い。今動けているなら、おそらく気を失っているだろう。


(あぁ…気を失えるならどんなに楽か…。)


とりあえず落ち着くために、しばらく何も考えずに待ってみたが結局変わらなかった。


仕方ない…。少し冷静になれるようにゆっくり考えよう。


相変わらずのノイズ、海の香り、これは以前と同じだ。


場所が違うから景色は違っているがおそらく視界も同じ状態。

 ってことは「」が出ているはずだ。

 僕は動かせない視界の中から「」を探してみた。


目の前には人集りに揉まれている新垣さんがいる。僕が手を出したから新垣さんも手を出しかけているようだ。

 でも、は新垣さんに出てはいない。


僕は心底安堵した。


(良かった…!本当に……あ…)


ホッとしたまま視線を横に移した先に…あった。

 ホームの隅、線路に落ちるギリギリの所。

シワシワのスーツを着た、無精髭が不潔な壮年くらいの男性。


 その、両端に揺らめく記号。


○  と  ✕  


(…そうだよね…やっぱり、あるよね……)


駅のホーム、汚い身なり、光の無い虚ろな目。だいたい理解できた。

 というか、誰が見てもわかるくらいの雰囲気を壮年の男性は醸し出している。


(線路に身投げするのか…)


『選べ』


(うわっ!)


突然頭に響く自分にソックリな声にビックリしてしまった。

 時が止まっていなければ声を上げて驚いていただろう。


なるほど。今回はあの自殺志願者を助けるかどうか選べ、ということか。

 

(○を選べば助かるのか?結局別の場所で同じようなことするんじゃないか?)


ほぼ助かる』


今は…って無責任だな…。確かに目の前で身投げなんて見たくないが、だからといってその後の責任を背負うなんてできるはずがない。

 さて、どうしたもんか。


(✕を選べばやっぱり死ぬ?)


『死ぬ』


相変わらず冷ややかに答えるヤツだ。


(助けることで自分に被害はある?)


『ほぼない』


…か。

声が言うほぼが、一体どれほどなのかがわからないな。

 これは多少なりとも覚悟したほうが良さそうだ。


(んー…しょうがない…。こんなとこで死なれるよりはマシか)


僕はとうとう助ける決心をした。


(助ける。○を選ぶよ)


『了』


声が了承したのと同時に潮の香りは途切れ、周りが動き始めた。


それを理解すると同時に、僕の体は正面にいる新垣さんの方から左に逸れ、真っ直ぐにホームの方に向く。

 意志とは関係なく勝手に進む手足。

 視界の先にはくたびれた壮年の男。


人集りなど関係なく、僕は只々そこを目指しかき分けていく。


「ヤバいぞ!これ間に合うのか?」


ホームの切れ目、落下する場所まで男性はあと2、3歩のところまで行ってしまっている。


「くそ!間に合え!間に合え!」


このままじゃだめだ!

 僕はとうとう、自分の意志で走り始めた。


「間に合えぇ!」


思いっきり手を伸ばしーー


パシッ!!


…間一髪。

 なんとかギリギリで、男性の左腕を掴めた。


ハッとした顔で男性がこちらを向き、僕と目が合った。

 良かった…と胸をなでおろしたのだが、おかしい。

 男性はこっちを見ているわけじゃ…ない。


え?僕の…斜め後ろ?


振り向くと、そこには男性の背広の端を掴む新垣さんがいた。

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