3話:退治し損ねる


 怪物が移動し、別の町に向かった。

 知らせを届けたバンの後部に、レーニと、博士と、助手の二人が乗り込んだ。六人乗りに乗ったのは五人と大きな箱だ。今日で倒す見込みはレーニ次第なので、他の人員は先遣隊として情報収集に徹する。


 バンは山道を最短距離で進んだ。転げ落ちるような急斜面からの衝撃からの中身を守る。この時代では最新型の無線通信を搭載している。


 一般道に合流し、揺れが落ち着いてきた。今のうちにレーニは渡された短剣を取り出し、ラベルがない薬品を垂らす。粘度はサラダ油程度だが、加工との組み合わせで刃の全体に馴染んで保持された。この状態で短剣を鞘に戻しておく。この短剣で傷を作り、そこから薬品を押し込む。実験を兼ねた、今回の勝利条件だ。



無線機からの情報が届いた。


「こちらアサヒ、住民の避難が完了しました。どうぞ」

「こちらケシキ、住宅街の一角を移動しています。どうぞ」


と情報が届いていく。レーニは「大きさは」と確認を促し、博士から発信する。返ってきた答えは「高さおよそ三メートル」だ。補足として、近くの平屋住宅と同程度だったことからの概算と続く。


 レーニが確認したときよりも大きくなっている。陸の哺乳類と比べるなら、ゾウやキリンでようやく比較の意味がありそうだ。そろそろ隠すにも綻びが出てくる。今日で終わらせたい。しかし、巨体は相応に繰り出される攻撃が広く重くなる。レーニは戦法を思案した。


 まず真っ向からの殴り合いは、短剣ではおおよそ不可能だ。有効範囲の違いはそのまま一方的に殴りつけられる範囲を示す。この範囲と、間合いを詰める速度の兼ね合いで、防戦一方になる時間を割り出す。向こうの触手を二・五メートルと想定した。こちらの三倍だ。


 詰め寄る速度から相手が後退する速度を引くと、たったの一メートルを詰めるために三秒は必要だ。そうなると、防ぐべき攻撃は一五回以上になる。一撃ごとの勝率が九八パーセントであっても、距離を詰める見込みは七五パーセント止まりだ。失敗が死である以上、失敗率二五パーセントは高すぎる。


 セオリー通りに建物や障害物を利用するには、有効な大きさを確認してからだ。幸いにも相手は知能が低いおかげで、単純かつ種が明らかな策でも引っかかる見込みがある。


 レーニは町並みに関する情報を求めた。電柱の量や、裏道の入り組みかたを頭に入れておく。高低差は少なく、一定の動きやすさが確保できる。バリアフリーを実現した、住みやすい町だ。それ故に今の状況では、利用できる材料が少なく、怪物にとっては動きやすい。


 バイクの一台をレーニに回すと取り付けた。今の状況ではないよりマシ程度だが、使えるものでやるしかない。


 到着したら、まずは町外れで博士を降ろし、待機していた別の小型車両に乗り換える。この車が移動司令室となる。助手たちがスクーターで移動しながら情報を集めて、移動司令室の博士と助手が指示を送る。


 レーニはここまでの情報と自らの目を合わせて動く。


 まずは町並みを確認する。障害物となるものの配置や、建物の大きさを確認していく。正面に見て距離を把握するには周囲との比較が必要になる。


 遠くに件の怪物が見えた。どこまで近づいたら気づかれるかを確認しておきたい。そう思った段階で、すぐに気づかれた。


 レーニとの間にある障害物は、散水栓やガードポールなどの中途半端な高さなものだけだ。怪物の足元に注目する。中途半端な障害物とどのように関わるか。結果は「気づかない様子で踏み潰す」だった。体にめり込んだのではなく折れている。柔らかいのではなく一定の硬さがあると示している。散水栓があった場所に水柱が立った。


 成長に伴う姿の変化を確認する。シルエットは球体から離れて、正面からはイチョウの葉に近い形をしている。中央で左右に分かれて、上側が膨らんでいる。触手は三本で、中央と左右にある。光沢からクラゲに近そうな質感と予想した。重要な特徴は、正面の中央部分にある円形の仮面だ。目と鼻を描いたような模様があり、ゆっくりと一方向に回転する。


 触手の一撃が来た。狙い通り、左側の建物のおかげで触手は右手側から振られた。高さは体の中央で、触手の付け根よりも低い。狙うだけの知性は持っている。


 勢いよりも重さで押すような、ゆったりした動きで迫る。ならばと膝の力を抜き、頭上を触手が通り過ぎた。すぐに左脚に力を込めて、右から周りこんで距離を詰める。三本の触手のうち一本が明後日の方向へ伸びた上、残りの二本と干渉する。


 短剣が本体にめり込んだ。思ったよりも硬いが、勢いの力を借りて押し込む。怪物にも傷口ができた。痛覚はあるらしく、これまでの沈黙を破って叫んだ。手早く小瓶を傷口に叩きつける。


「ギョギョキョキョキョキョ!


 常識が通用しない相手でも、音の扱いは近いらしい。やぶれかぶれの様子がわかる。触手が届かない今、怪物の判断は「自らの体で押しつぶす」だった。縦よりも横の方が長い安定した形をしていながら、渾身の力で体の反対側を持ち上げる。短剣が傷口を拡げる助けになりなるが、背に腹は変えられない。


 レーニも負けじとコンバットブーツに力を込める。しかし見落としだ。足元に水溜りができている。散水栓から噴き出した水に、怪物の傷口から垂れる体液が混ざる。押しつぶそうとする勢いが増す。空回りした靴裏が決め手となった。


 アスファルトに崩れ落ちて、その上に怪物が覆い被さった。傷を引きずってか怪物は動きを止めたが、触手の動きからまだ生きている。レーニの姿はもう見えない。


 レーニはいつの間にか、水中にいた。水溜りとは違う、濁っていて深い。手を動かすと規則的な圧力がわかった。


「川?」


 地図にも目視でも、あの街に川はなかった。疑問は後にして、まずは水面へ向かう。少しでも明るい方向を上と信じて、腕と脚に力を込める。呼吸を止めるのは三〇秒だ。そのくらいならばいつでも練習できる。暫定的な限度の想定を駆使して焦りを静めた。


 指先が水面から空気に触れた。最後のひとかきで気泡の柱を立てて、空気を吸った。前髪と目から水を払う。怪物はいない。しかし、周囲は曇天の薄暗さだ。レーニは死後の世界を信じていないので、まずは生きているものと想定した。手近な川岸へ向かう。


 髪と服から水を絞り、装備を確認する。短剣も小瓶もなく、道具は何もなしだ。幸い、肘と膝のプロテクターを含む衣類は、帽子を除いて全て残っていた。


 落ち着いたので改めて、その場から周囲を見渡した。町並みが違う。まず、建築の様式が常識を覆している。建物は有機的な曲線で、看板は悪趣味に破れた臓物をモチーフにしていて、文字は不釣り合いに直線の楔形だ。縦書き文化らしく、看板は立てかけ式が多い。


 死後の世界を信じかけたところに、何者かが片言のアルトで声をかけた。この状況ならば助ける意思だ。声の方向へ、ゆっくり振り返った。


 女性的なシルエットの何者かは、怪物と同じ仮面をつけていた。

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