第37話・嫌いになれたらいいのに
感心しているアデルに、トリアムが促した。
「殿下。お疲れでしょう。ハロルドは体力馬鹿なので、王都中を連れ回されたんじゃないでしょうか? お食事の方はどうなさいますか? お部屋にお運びしましょうか?」
ハロルドの方を意味深に見る。確かに芝居を観終わった後も、あれこれ王都に軒を連なる屋台を見て歩き、広場で行われていた大道芸を見ていたら、あっという間に時間が過ぎて、気がついたら日が暮れていた。
ナネットは帰りが遅くなったアデルに何も言わなかったが、陛下の様子を見るに、皆心配していたのだろう。改めてこの離宮を取り仕切っているトリアムに謝った。
「ごめんなさい。遅くなって。皆に心配かけたわね」
「お祭りですから無礼講ですよ。ただ女官たちはふいのお客さまに困惑していただけですから」
トリアムは、アデルがこの国に来てから初めての外出ともあって、大目に見てくれたようだ。気にしないで下さいと言う。ふいのお客さまとは陛下のことだろう。 ソラルダットが所在なさそうな顔をしてるのが目に入った。
「トリアムありがとう。食事はいらないわ。なんだかお腹一杯になってしまって」
「残念でしたね。陛下。殿下はお食事を済まされてしまった様ですよ」
トリアムが、ソラルダットに同情の目を向けた。
「もしかして陛下はわたくしと食事をする為に?」
ソラルダットの気まずそうな視線とかちあう。トリアムはそれを見て何か思う所があった様で、アデルの言葉を待つでもなく、リリーに指示を出す。
「殿下。今日はもう遅いですから、どうぞお先にお休み下さい。リリー。お連れして」
自分を訪ねてきた陛下をその場において退出するのもどうかと思っていると、
「こちらの御方のお世話は、ハロルドと女官長がお相手しますから大丈夫ですよ。さあ。お部屋に参りましょう」
「さっ。姫さま」
と、トリアムが先頭に立ち、リリーに促されてその場を退出させられる。しっかり者だがいつも女官長のナネットの勢いに押されぎみの侍従長にしては強気の態度だ。何か理由があるのに違いない。黙ってアデルは従った。
自室に入ると侍従長が、ソラルダットの訪問理由を明かしてくれた。陛下がいる前では言いにくいことだったらしい。リリーがお茶の支度をしてくれている間に話してくれた。
「陛下は、本当は殿下をお祭りにお誘いに来たのですよ。ですが殿下が出かけてしまわれた後だったので、帰りを待つとおっしゃられて」
「そうだったの。でもわたくしのことはお嫌だったんじゃ……」
(わたくしこの間、思いっきり振られたと思うのですが?)
困惑してると、トリアムがあの御方は面倒なお方でして……と、前置きをしながら、
「すみません。あの言葉では勘違いなされて当然だと思いますが、陛下は初恋が忘れられないようでして、もう十年以上になりますか…… 当時陛下が十一くらいの頃だったと思います。その頃に出会われた少女のことが忘れられないのです」
と、ため息をついた。
(なんだろう。このところ他人のため息を目撃するのが、多い様な気がしないでもないわ)
「陛下には今までにも何度か婚姻話が持ち上がったりしてきたのですが、その度にお断りされましてね。今回は殿下をお連れになったので、さすがに遠い幻への未練は断ち切れたものと思っていたのですが、迷われてる様でして」
つまり初恋の少女が忘れられずに、縁談に乗り気にならないということらしい。 アデルもソールたちの事を忘れてはいたが、一時はソールが自分に会いに来てくれると心待ちに待っていた時もあった。だか時が過ぎてゆくにつれ、あれは幼い子供の単なる別れを惜しむ為に出た言葉であって、色恋を含んだものではないだろうと結論付けていた。
でも思い出せば、胸が疼くほど甘酸っぱい思い出だ。
「その少女と陛下はその後は?」
「幼い頃の思い出ですから、もういい加減に区切りがついてもいい頃なんですが」
ソラルダットと、その初恋の女性とはそれ限りだったのだろう。トリアムはもう気持ちに整理がついていていい頃なのに。と、ぼやいていた。
「でもそれほどまでに、陛下に思われている女性はなんと幸せなのでしょうね。羨ましいわ」
ソラルダットの容姿なら、多くの女性に言い寄られる事が多いだろうに、彼の心は十年以上もすでに一人の女性に向けられている。ソラルダットの心を独占している見ず知らずの女性が妬ましくも思えた。
「あなたさまに思われている陛下も幸せ者だと思いますよ。傍観者の私からみれば、その思いがお互いに交わらないのが大変もどかしいです」
トリアムの言葉は、離宮の者たちを代表している様にも思えた。
「ごめんなさい。あなたがたにも心配させて」
「いいえ。余計なことを申し上げました。では失礼致します」
こればかりはままならないものですから。と、トリアムは辞した。
「あら。ト…… 侍従長は?」
ワゴンにお茶の用意を乗せて運んできたリリーが、辺りを見回す。
「いま出て行かれたわ。陛下のもとに戻られたんじゃないかしら? しかしリリーったら早技ね。離宮に帰って来るなり、いきなり置いていかれたからビックリしたわ」
離宮に帰って来て、ハロルドとふたりきりその場に残してどこかに行ってしまったことを指摘すれば、リリーはすいませんと頭を下げた。
「侍従長に報告するのが女官の義務なので……。 あ。それより姫さま。陛下は今晩こちらにお泊りになられるようですよ」
「珍しいわね」
アデルが離宮に来てからそんなことは一度もなかったことだ。
「実は…… あの日から何度も陛下はこの離宮に足を運ばれていたんです。女官たちに阻まれて追い返されても、毎日懲りずにやってきて、その内、女官たちの雑用を勝手に手伝い始め、じょじょに見直されてわたし以外の女官の心を掌握したようです」
悔しそうにリリーは言った。
「だからわたしが姫さまとお出かけの間に、離宮に上がり込んだようですね」
「リリー?」
「悔しいですけど。完敗ですわ。あの御方意外に根性あるんですもの。姫さまが受けた心の痛みの仕返しをと思いましたのに」
思ったより気骨があって、敵ながらあっぱれと、リリーは認めた様だった。
「嫌な奴だったら、どんなに良かったことか。気持ち良く困らせて差し上げたものを」
リリーは負け惜しみの様な事を言う。
「アルカシア大陸のほぼ全域を治める王ですもの。わたくしも含め、凡人にはあの御方に立ち向かうには、器が違い過ぎるのかもしれないわ」
アデルには、リリーの言いたいことがなんとなくわかった様な気がした。この間の一件で、ソラルダットは女官たちの反感を食らったが、それでも本人はその状況を捨て置けないと思って、離宮に通い続けたに違いないのだ。
(ずるい人……)
こんな行動されたら諦めがつかないではないか。
(とても敵わない)
でもこの御方を好きになったことは後悔してはいない。心の中の葛藤は続きそうだが。
突然の来訪にはいつも驚かされるが、自分はそう嫌でもないのだ。また。と、思いながら認めてしまっている。それがあの御方だから。
「嫌いになれたらいいのにね……」
アデルの呟きが、吐息と共に消えて行った。
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