第21話・急な王さまの訪問
「泣いているのか? トゥーラ王女?」
(トゥーラ? いったいそれは誰の名前? わたくしの名前は…)
誰かが耳元で囁くように言い、目じりに触れている? アデルはゆっくりと目を開けた。目の前に黒い瞳があった。
(へっ。陛下!?)
「ソラルダットへいかぁっ」
驚きのあまり声が裏返って、恥かしさのあまり耳まで赤くなってしまう。会いたいと思っていた人が思わぬ形で現れて驚いた。彼の今日のお召し物は光沢のあるアガット色。宝石の瑪瑙(めのう)を思わせる深い赤茶色は、色白で黒髪の彼を一段と気品よく見せていた。それに黒のマントを金のバッチで止めている。黒も良く似合う人だと思っていたが、赤系の衣服も肌の色が引き立って見えて、一か月ぶりに会ったソラルダットをアデルは凝視した。
(なぜここに? どうしてこんなときに?)
アデルは今日の分の課題の刺繍を刺し終えて、お茶を頂いていた所だった。陽光さしこむテラス脇のソファーでぼんやりと庭を眺めていたら、そよ風に誘われていつの間にか眠りの世界に誘われていたらしい。
アデルは慌てて立ちあがろうとして、ソラルダットが差し出して来た手を押しのけてしまった。思いきり不満顔を向けられたが、この場に急に現れたソラルダットによって、極度の硬直状態に置かれているアデルには取り繕う暇がなかった。
「申し訳ありません。失礼致しました。すいません。その。陛下がいらしてるとは思わなかったもので。ナネット。リリー?」
この場にいたはずのナネットたちはどこに行ったのだろう? と、辺りを見渡すと、その行動が可笑しかったらしく、ソラルダットが吹き出した。
「ぷっ、ははははは……」
(そこ笑うとこですか?)
不機嫌になりかけるアデルの前で、ソラルダットが悪かった。と、謝って来た。
「いやあ。すまない。ここにいた者達は気を利かせてくれたようだ」
(つまりリリーたちは陛下がいらして、この場から離れていったということ? 心の準備もないままに二人きりにされても困るのに~ どうするの。この状態)
「いきなり放置なんて……」
アデルの呟きが聞こえていたらしい。ソラルダットが聞き返して来る。
「今なにか言ったかな?」
「いいえ。なにも。なにも言ってませんわ。わたくしは。あははは。その。お久しぶりですわね。陛下。お元気でした?」
「余は何も変わりない。あなたをこちらに寄こしてから一度も顔を見せずに悪いことをした。済まなかった。その。生活の方で何か不便をかけていることはないだろうか?」
ソラルダットの気遣いに、アデルは気にしないで下さいと言う意味で、
「陛下はお仕事毎日お忙しいのでしょう? わざわざそんな時にわたくしに会っている場合でないのは良く分かってますから。でもわたくしに会っていて宜しいのですか? 重臣の方々に何か言われませんか? ここで油を売ってるなんて。と思われないでしょうか? 無理してこちらにいらっしゃることはないですよ。ハロルドやトリアムが良くしてくれますし……」
と、言ったのだが、緊張のあまり気を遣いすぎておかしな発言になってしまった。気のせいかソラルダットの顔が不機嫌になっていく気がする。
「余が来た事であなたに迷惑をかけたようだ。すぐに帰るとしよう」
(えええええ~ そんなぁ。わたくしが何か気に障る事を言った? ご機嫌をそこねてしまった?)
ここでソラルダットを帰してしまえば、離宮での生活がこれからも保障されるか分からない。リスバーナ北国に帰されたとしても、国を追い出された以上、あの古城に住む訳にもいかず行くあてもない。
(そんなの困るわ)
アデルは自分に背を向けたソラルダットの、マントの裾に必死に手を伸ばした。
「ええっ。いま来たばかりなのに? そんなにお忙しかったのですか? そうとは知らずに陛下に会いたいなどといってすみませんでした。きっとハロルドから聞いたのですね。そうですよね。すみません。ごめんなさい」
アデルは足を止めていたソラルダットの背に、頭を下げて心から謝罪した。
「王女。あなたって人は……」
振り返ったソラルダットは、アデルが自分のマントを握りしめていることに気がついたようだ。
「陛下?」
ソラルダットが何か考える様に言った。
「今の時期はこの城はチューリップが見事だ。王女。案内してもらえないだろうか?」
「お時間は?」
ソラルダットの顔色をうかがうように見上げれば、優しい笑みとぶつかる。
「作ればある。ただぼやぼやしてると屈強の重臣たちに連れ戻されてしまうかもな。邪魔が入る前に早く行こう」
「はい」
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