第8話・姑のような侍女

 コンコン。と、ノックの音がして、足湯を済ませていたアデルはリリーと顔を見合わせた。


「はい。どなた?」

「ハロルドです。お食事をお持ちしました」


 誰何の声をあげれば、先ほど対面した若者の名乗る声がした。白金の髪に灰色の目をした人懐こそうな若者を思い浮かべ、アデルはリリーと顔を見合わせた。リリーはドアを開けに行く。


「まだ移動中なのでたいしたお持て成しは出来ませんが、お茶でもどうぞ」

「お手伝い致します。見ず知らすの御方にそこまでして頂く理由がありませんから」


 ハロルドが運んできたサンドイッチの乗せた皿をリリーが受け取る。心なしか言葉がきつい物言いになっている気がする。


「リリー。そんな言い方ないでしょ。すみません。後でわたくしから叱っておきますので」

「いいんですよ。見ず知らすの者ですから」


 ハロルドに対して愛想のない態度をとるリリーを見ていたら、わざとそんな態度をとっているのだと知れた。自分達は人質のようなもの。そんな態度をとったらハロルドに不快に思われて、国王にどう報告されるか分からないのに、そんな態度をとるリリーが信じられなかった。用心深い彼女がそのことが知らないわけはないはずなのに。


(どうしちゃったの? リリー)


 アデルの視線の先では、ハロルドがお茶を入れるのを、リリーが目を尖らせてチェックしていた。まるで嫁姑の仲のようである。


(妻ハロルド。姑リリー。夫わたくし? それは痛い)


「随分となれた手つきですこと。見ず知らずの御方」

「これでも俺の入れるお茶は好評でしてね。陛下や皆さま方には評判なんですよ。どうぞご賞味あれ。姫さまの侍女さま」


 テーブルの上に置かれたサンドイッチのお皿と、三つのティーカップ。琥珀色のお茶が注がれていた。リリーに張り合うようにいがみ合うハロルドはどうだ。と、いうように胸を張った。

 リリーはふふん。と、鼻を鳴らす。これも王女付きの侍女のとる態度には思えないしぐさでアデルは頭が痛くなってきた。


「そういう訳にはまいりません。私は姫さまの侍女ですから。どこぞの見ず知らずの近衛隊騎士団総隊長さまにそこまでして頂く必要がありませんもの。私は後で頂きますので」


 誘いを固辞しようとしたリリーに、ハロルドが自信ありげに胸の前で腕を組んでにやりと笑う。


「ふ~ん。よっぽど侍女どのは自分の腕に自信がないらしい。俺さまのお茶に口をつける勇気もなさそうだ。ではこれは敵前逃亡ということで、見ず知らずのマクルナ国の近衛騎士団総隊長である俺の勝ちということでよろしいですかね? 姫さま」


(なぜに判定がわたくし? どうしてこうなるの?)


 リリーがむむむ。と、唸っている。

 アデルはなんだか嫁と姑に挟まれた世の中の男性全てに同情したくなった。マクルナ国王とまだ婚姻してない自分には正式な夫も姑もいないけど。


(これは今から嫁姑の仲をおさらいしておきなさいという神さまの啓示かも?)


「んまあ。敵前逃亡なんて致しませんわよ。リスバーナ北国の兵じゃあるまいし。ここで退いては姫さまの侍女の立場がすたりますわ」


(うわあ。国まで持ち出してきました。神さま。早くもこの場から逃げ出したいのはわたくしの方です)


 お互いに見あって動かない。アデルは呆れたがそのままにしておくわけにもいかないので進めた。


「さあさ。二人とも飲んでみないと勝敗は分からないんじゃなくて? 美味しそうな匂い。わたくしはお腹が空いたわ。もう頂いてもいいかしら? ハロルドさま」

「どうぞ。どうぞ。さあ。侍女どの。君も今朝は仕度で忙しかったでしょ? 休めるうちに休んだほうがいいよ。まだまだ移動に時間がかかるから。無理は禁物だよ。もしきみに倒れられでもしたら王女さまも困るだろう」

「そうよ。リリー。わたくしもなにかあなたにあったら心配だわ。ハロルドさまもこうおっしゃってるのだし、一緒に休憩にしましょう」

「分かりました。ではお言葉に甘えまして」


 アデルの取りなしにハロルドは気を良くし、リリーはハロルドの言うことももっともだと思ったのか、渋々アデルの隣の席に腰を下ろした。向かいの席にハロルドが腰を下ろす。

 アデルはホッとした。これでようやく訳の分からない「見ず知らずの御方」と冠した舌戦から逃れられる。


(神さま。終わったようです。良かった…)


 ふだん落ち着いているリリーがこんなに感情を露わにしたのは、今までになかったことだ。何が彼女の感情を逆立てる原因となったのだろう。いくら考えてもアデルにはさっぱり分からなかった。

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